永田 希 『書物と貨幣の五千年史』
☆mediopos-2502 2021.9.22
本書は
「ブラックボックス」というコンセプトで
世界をそして世界に対する私たちの見方を
さらには私たち自身の生をも
とらえようとする試みのようだ
ブラックボックスは
その「内部があきらかになっていないもののこと」
世界はそうした「ひとつの巨大なブラックボックスであり、
無数の小さなブラックボックスが集合したもの」でもあり
私たちは「それらに囲まれつつ、それらを読み解き、分解し、
またあらたなブラックボックスを
組み立てることで生きて」いるのだという
本書で扱うのは主に
書物(本)・貨幣(お金)・コンピューター(機械、計算機)
さらには人類の歴史や思想・文学
そして私たちの「生」についてだが
「ブラックボックス」というコンセプトで
それらをとらえる際に重要なのは
それらは自明なものではないということ
自明でないにもかかわらず
それらが機能していることに意識的であることだろう
たとえばスイッチを押しただけで機械が作動し
それに応じたアウトプットが得られるとしても
私たちはその仕組みを理解しているわけではない
それを知るためにはそのメカニズムを知り
必要に応じその中身を辿っていかなければならない
しかもそのなかで働いているひとつひとつの部品も
決して自明のものではない
それらについて知ろうとすればそれなりの理解が必要になり
おそらくそれらのなかにもまた入れ子構造のように
自明であるとはいえない数多くのものが存在している
そうした機械だけではなく
文字ひとつとっても
またその組みあわせによって作られる言葉も文章も
それらは決して自明のものだとはいえない
わたしたちはそんな自明だとはいえない
無数の「ブラックボックス」に囲まれ
「ブラックボックス」ゆえに
それを使って生きていくことができる
けれど「ブラックボックス」が
「ブラックボックス」であるがゆえに
私たちの生を脅かすものがあるとすれば
その「内部」を批判し検証し
それを明らかにしていくことが必要になる
「ブラックボックス」に対する無自覚さのあまり
たとえばスマホやAIという「ブラックボックス」や
お金・経済という「ブラックボックス」
病気・病院という「ブラックボックス」
歴史・物語という「ブラックボックス」
教育・信仰という「ブラックボックス」に
疑いさえもたず信じ込み過度に依存していくことは
私たちの「生」そのものを
損なってしまうことになるからだ
その「ブラックボックス」に対して
どのような姿勢を持ちえるかということが
私たち一人ひとりの重要な課題であるのだといえる
とはいえ私たちの「身体」や「思考」
「感情」や「意志」さえも
その「内部」をすべて明らかにして生きていくことはできない
その多くの部分が「ブラックボックス」であるがゆえに
「生」を営むことのできる無数のものによって
私たちは支えられている
重要なのはどのようにすれば
さまざまな見えないでいる「ブラックボックス」から
「生きた時間」を得ることができるかということに他ならない
そのために必要なのは
不断に更新される知識と解読力
深みから得られる知恵と想像力
そしてあくなき自由を求める力なのだろう
それらを失ってしまったとき
私たちは「ブラックボックス」に
支配されるだけの存在と化してしまうことになる
■永田 希
『書物と貨幣の五千年史』
(集英社新書 2021/9)
「世界はひとつの巨大なブラックボックスであり、無数の小さなブラックボックスが集合したものでもあります。わたしたちはブラックボックスのなかで、それらに囲まれつつ、それらを読み解き、分解し、またあらたなブラックボックスを組み立てることで生きています。
本書ではブラックボックスを代表するものとして書物(本)、貨幣(お金)、そしてコンピューター(機械、計算機)をとらえ、その成り立ちをまず辿っていきます。」
「ブラックボックスとは、内部があきらかになっていないもののことです。読めば分かるはずの書物を指してブラックボックスと呼ぶことに強い違和感を覚える人もいるかもしれません。しかし考えてみてください。「読めばわかる」ということはつまり、「読むまではわからない」ということではないでしょうか。良い書物は繰り返し読むことに耐えるとよくいわれます。これは読むたびに新しい発見があるということにほかなりません。「読めばわかる」はずの本ですが、読んでも読んでも「まだわからない」ことがありえるということです。
本論で本(書物)と並べて主題にしているのは貨幣(お金)です。たとえば千円札は「千円」という額面(文字)が繊細な図案とともに印刷されただけの紙切れです。にもかかわらず千円札は「千円」の価値をもったものとして、千円分の買い物に使用できます、千円札という貨幣は、千円分の買い物を可能にする機能を内蔵したブラックボックスなのです。」
「現在、世の中には膨大な書物と貨幣が流通しています。そこには、いましがた例に挙げた「紙に印刷されたもの」としての紙の本や紙のお金だけではなく、いわゆる電子書籍や電子貨幣も含まれています。電子書籍や電子貨幣にはコンピューターが欠かせないのはいうまでもないことでしょう。そしてコノユーターは、書物や貨幣よりもいっそうブラックボックスらしい存在です。」
「書物、貨幣、コンピューター。現代人は何重にもブラックボックスに取り巻かれ、支えられているのです。」
「ブラックボックスは箱状のイメージをもつ概念です。その空間的なイメージで、歴史を溯ったり客観時間や主観時間を論じるのは不思議に思われるでしょう。しかしブラックボックスという「箱」には、もとより「なかを開けてみる」という動きをともなう時間性が付随しています。」
「開けてみるまではなかがどうなっているのかわからないもの、つまりブラックボックスを開き、その中身をあきらかにすることでその成り立ちや仕組みを知ること、組み立てれらた製品を解体して、その仕組みを調べることをリバースエンジニアリングといいますが、世界はリバースエンジニアリングを待っているのです。
リバースエンジニアリングによって、設計図のないものの仕組みをつかみ、ふたたび組み立て直したり、別の製品を開発する際の参考にすることができるようになります。」
「時間もまた本論のテーマのひとつです。古くからクロノス時間(客観時間)とカイロス時間(主観時間)と呼ばれて区別されてきたものを、永遠と「生きられる時間」に言いかえて扱ってきました。(・・・)永遠と「生きられる時間」のあいだにあるズレをブラックボックスが埋めているということがわかるでしょう。
単純に考えるならば、永遠とは「生きられる時間」がずっと連続していくことだし、「生きられる時間」は永遠から切り出されたものです。しかし実際には、永遠は想像力なしには思い描くことができないし、「生きられる時間」を永遠のなかから切り出されたものとみなすためには、そこに生きている誰かの身体を想定する必要があります。そして想像力も身体も、それぞれ独自の中途半端さと複雑さをもっています。
ひとは、それぞれに中途半端でそれぞれに複雑な想像力と身体をもっていて、だからこそそれぞれに中途半端で複雑な時間を生きています。本論でもっとも多く言及した書物と貨幣というブラックボックスは、「中途半端さと複雑さ」の膨大な多様さと煩雑さを調停し、何かを伝えたり、何かの事業を推進するために利用されてきました。」
「そもそもひとは、産まれた瞬間に始まり死によって終わる「生」を直線的に生きている、と思いがちです。はたして本当にそうなのでしょうか。そう考えるようになったのがなぜでしょうか。ある時間に始まり、ある時間に終わる線上の時間を想定して、その線のうえを移動する点として自分の人生を考えるならば、ひとは出生から死までの連続のなかを生きているのかもしれません。しかし、「生」が、何もかもほぼ完全にはわからない中途半端さと複雑さの奔流にもてあそばれているだけであり、さきに述べた線上の人生観は、さしあたり自分たちを納得させるだけの物語でしかなかったのだとしたらどうでしょうか。
そのとき、線上の人生観はまさに「藁をもつかむ」ように必死に頼るしかないモデルになるでしょう。でも、ほかの「生」のとらえ方は不可能なのでしょうか。たとえば、書物を最初のページ〜最後の頁まで線的に読み進めるのではなく、好きなページ、好きな章、好きな単語や好きなキャラクターの部分を拾い読みして独自の「読み」をつくり出してしまうように「生」をとらえることはできないでしょうか。
実際のところ、ひとや病や睡眠、事故、スポーツやゲームへの没入、アルコールや薬物による酩酊によって、肉体の出生から死までの線的な連続から意識を分離して、そのあいだの時間をより濃密なものに感じたり、忘却して空白なものにしてしまったりします。一律の太さや濃さをもった単一の線だと思っていた生は、じつは突然に太くなったり濃くなったり、逆に細くなったり薄くなったり、途切れ途切れの破線になったりするのです。」
「ひとの「生」がブラックボックスであるように、人類の歴史もまたブラックボックスです。事実と虚構を明確に区別して、語り手の知りえた情報から可能な限り事実に近づけていこうとしつつも仕方なく虚構を書いているという自覚のある歴史家もいますが、多くの人は歴史を事実の単なる集合として理解しています。ひとの解釈によって事実が歪曲されるということを是認しているわけではありません。ただ、歴史には多くのひとの中途半端な知識、複雑すぎて書き残すことも読み取ることも難しい思惑が含まれています。その中途半端さや複雑さを状況に応じて整形したものが歴史の総体とした引き継がれていくのです。」
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