サンダー・エリックス・キャッツ (著), ドミニク・チェン (監修), 『メタファーとしての発酵』
☆mediopos-2497 2021.9.17
メタファーとしての発酵は
変容による創造である
どんなに純粋さを求めても
それによって自らのアイデンティティを持とうとしても
完全に純粋なものは観念のなかでしか存在しない
観念のなかでさえ純粋さは成立しがたいだろう
どこかで何かが混入し作用しそれによって
概念はさまざまなメタファーを持つようにもなるから
私たちの身体は多く微生物でできている
そして微生物たちの相互作用によって
私たちは生かされている
しかも純粋なひとりというのはどこにもいない
私たちは他者との相互作用のなかで存在している
私たちはじぶんだけでは生きられないのだ
私たち一人ひとりの身体でさえ
その境界は絶対的なものではない
わたしたちは外界と働きかけあいながら生きている
しかし清浄さを求めるあまりに殺菌が徹底されるとき
私たちはみずからをスポイルしてしまっている
多様な微生物へとの接触が過剰に疎外されることで
それがアレルギーや自己免疫疾患となってあらわれたりする
私たちは完結し閉じた存在ではない
内的にも外的にもさまざまな相互作用のなかで
常に変わり続けることで生きている
いわば「動的平衡」
さらにいえばそれによって
みずからを変容させながら生きている
その重要なメタファーが「発酵」である
身体においてもまた観念においても
それによって私たちは
常にみずからを再生させている
ちなみに Sandor Ellix Katzの『発酵の技法』は
(mediopos-1410 2018.9.25)でご紹介したことがある
それはまさに「発酵」大全のような内容だったが
今回はそれを「メタファー」としてとらえた
いわば思想的な啓蒙書だともいえる
興味のある方は以下をご参照のこと
(神秘学ポエジー〜風遊戯 第119 集・mediopos 57)
■ Sandor Ellix Katz (著), ドミニク・チェン (監修), 水原 文 (翻訳)
『メタファーとしての発酵』
(オライリージャパン 2021/9)
■Sandor Ellix Katz (著), 水原 文 (翻訳)
『発酵の技法 ―世界の発酵食品と発酵文化の探求』
(オライリージャパン 2016/4)
(『メタファーとしての発酵』〜「表面の複雑さと見えないものの美しさ」より)
「はっきりとした、厳密なカテゴリーに当てはめて物事を考えることには、抗しがたい魅力がある。善と悪、暑さと寒さ、正常と不浄、やさしさと残酷さがあり、天国と地獄がある。政治報道では赤い[共和党支持の]州と青い[民主党支持の]州などと言うが、たとえどちらかへの支持が圧倒的にせよ、どこにでもさまざまな意見の人はいるものだ。ジェンダーは男性か女性かのどちらかとされることがほとんどだが、それに反して大部分の人は男性的な側面と女性的な側面の両方を持ち合わせているのが現実であり。またどちらにも居心地の悪さを感じる人はどこにでもいる。実際には、たいていの物事は白でも黒でもない。その中間のさまざまな濃淡の灰色として、あるいは色のスペクトラム全体にわたって、存在するのだ。
カテゴリーが絶対的なものではあり得ないとすれば、境目も、境界も、膜も絶対的なものではなくなる。例えば私たちの皮膚は、私たちの内部を私たちの外部と隔てる境目だ。しかし太陽の光は皮膚に吸収され、皮膚からは汗が、時には血液や膿が排出される。蚊や、その他多くの生き物に刺されることもある。感染症や毒素、あるいは化学物質のために、やけどすることもある。そして皮膚のどんな部分にもバクテリアや菌類、ウイルスなどの微生物が住み着いており、私たちの体の部位それぞれに異なる環境条件に応じて、複雑で密度の高い群集を構成している。私たちは皮膚を自分自身とそれ以外の世界とを隔てるものだと思っているが、そこには地球上に存在する人間の数よりもはるかに多くの微生物が住み着いており、相互に、あるいは私たちとの間で共生関係を結びながら、複雑なバイオフィルムを紡ぎ出し、代謝副産物や遺伝子を交換し、私たちの周囲の世界との相互作用を仲介している。皮膚以外にも、私たちはひとりひとりが微生物的力場とでも呼ぶべきものを持っていて、特有の微生物的署名を体熱とともに発散しているらしい。
私たちの皮膚は、あらゆる生命体や細胞の膜組織と同様に(実際には、あらゆる境界や膜や境目と同様に)、複雑なものだ。遠目には、あるいは観念的には、これらの境目は厳然とした、明確な分界線に見えるかもしれない。しかし近寄ってみると、入り組んでいて、小規模構造に富み、生物多様性が豊かで選択的な透過性があることがわかっている。」
「私たちの存在は、微生物を基盤として成り立っている。いたるところに存在する莫大な個体数の微生物、バクテリアだけでなく、菌類やウイルスなどすべての微生物の決定的な重要性を、私たちは絶えず学んでいる。」
「どのように認識されようとも(あるいはされなくても)相互の共存は文化的進化の原動力となっている。先史時代から人類は発酵食品や発酵飲料だけでなく、農法に、ファイバーアートに、畜産に、その他多くの形でバクテリアや菌類など目に見えない生命の力を利用することを学んできた。この目に見えない発酵の力は、世界各地の人類文化で神や女神、神話的存在に仮託されていることからもわかるように、神秘的なものとして認識されてきた。」
(『メタファーとしての発酵』〜「メタファーとしての発酵」より)
「発酵を意味する英単語、fermentationは、文字通りに細胞代謝現象(微生物やその酵素が栄養素を消化し変容させること)を示すだけでなく、揺らぎ、興奮、泡立ちといった状態を暗示する、はるかに広い意味でも使われる。発酵という単語がこのような豊かなメタファーの能力を持つのは、その語源が「沸騰」を意味するラテン語fervereに由来するためだ。発酵がバクテリアや菌類の働きによるものだという科学的知見が得られたのは19世紀末であり、比較的最近だが、そのはるか前から発酵は(一般的には)泡を作り出すものだと広く認識されていた。つまり、何であれ泡立つもの、興奮あるいは由来だ状態にあるものは、発酵していると言えるわけだ。」
「メタファーとしての発酵は、きわめて広い使い道がある。私たちが心の中でアイディアを温め、想像力を働かせるうちに、そのアイディアが発酵して行くことはよくある。感情も、整理したり経験したりするうちに、発酵することがある。時には、この内面的な発酵が個人的な経験の枠を超えて、より広い社会的なプロセスへと発展したりもする。生物学的な現象と同様に、メタファーの意味でも発酵できないものは何もない。」
「発酵は特定のイデオロギーの独占物ではない。知的なものであれ、社会的な、文化的な、政治的な、芸術的な、音楽的な、宗教的な、スピリチュアルな、性的な、あるいはどんな形のものであれ、心が泡立つような興奮は誰もが経験するものだ。ふだんの生活の中でも、心の泡立ちを他人とシェアしている思いにとらわれることがある。どんな状況であれ、本来の意味での発酵と同様、メタファーとしての発酵もまた、世界中の人々がさまざまな形で役立て、巻き込まれてきた、抑えることのできない力なのだ。」
「変化の原動力として、発酵は比較的穏やかに作用する。泡立ちは炎とは違うのだ。発酵を、もうひとつの変容をもたらす自然現象、つまり火と対比して考えてみよう。火は。燃え広がる先にあるものをすべて焼き尽くす。発酵はそれほど劇的なものではない。変容のモードは穏やかでゆっくりとしている。着実でもある。地球上の全ての生命を生み出し、すべての生命の基盤であり続けるバクテリアが引き起こす発酵は、抑えることのできない力だ。発酵は生命をリサイクルし、新たな希望を生み出し、そして果てしなく続く。」
メタファーとしての発酵は新しいアイディアやダイナミックなエネルギー、そしてインスピレーションの汲めども尽きぬ厳選であり、私たちの再生へ向けた最良の希望でもある。」
(『メタファーとしての発酵』〜「純粋と汚染」より)
「純粋さの特筆すべき性質は、それが達成不可能であることだ。決して到達できない、野心的な目標なのだ。」
「細心の注意を払って清潔にすることはできても、純粋な環境は実現できない。(…)微生物の多様性は、すべての生命の基盤だ、そこから逃れることは不可能だし、望ましくもない。
多様な微生物への不十分な接触が、アレルギーやせんぞくなど自己免疫疾患の蔓延を招くことを示す証拠が、次々と見つかっている。」
「わたしたちはバイキンを恐れ、バイキンとの接触をなるべく避けようとする。化学業界はこの不安を煽り立て、バイキンを私たちの身体や環境から根絶して安全を守るという触れ込みの製品を絶えず供給するために利用している。この根絶による保護という触れ込みは、幻想にすぎない。実際には微生物を根絶することは自殺行為であって、「私たち」は「彼ら」なしでは存在し得ないのだ。バクテリアやウイルス、菌類などの微生物は私たちの一部なのであり、もっと正確に言えば、私たちが微生物の一部なのかもしれない。」
(『メタファーとしての発酵』〜「マクロバイオポリティクス(微生物をめぐる政治学)」より)
「私たちは、いわば微生物的な力場の中で生きている。それは私たちの皮膚や体内に棲み着いているバクテリアやウイルス、菌類など微生物の複雑なコミュニティであり、生涯にわたる接触によって積み重なり、化学物質や食習慣などの線テク的な環境の影響力によってふるいに掛けられたものだ。これらの微生物は、人間の機能を効果的に発揮させる意味でも、そして人体の調節プロセスの多くに組み込まれているという意味でも、私たちの一部なのであり、そのことに私たちはやっと気づき始めている。微生物との接触により免疫系の発達が促されるとともに、私たちの腸の中にいるバクテリアは体内細胞と協力して免疫や消化を促進し、不可欠な栄養素や化学物質を合成し、そして脳を含め、数多くの器官系の調整役を務めている。」
(『メタファーとしての発酵』〜「政治的な武器としての純粋さと汚染」より)
「純粋さと汚染の概念は現実離れしたものだが、それらは非常にわかりやすい形で応用され続け、私たちの思考や世界観を形成し、イデオロギーや倫理や文化的闘争を特徴づけ、法や政策の原動力となってきた。国粋主義的な政治運動において、自分たちの人種/国家/文化/血統を純粋なものとして描写し、その純粋さが他の人種あるいはエスニックグループによって汚染されようとしている、と非難することは、ここ米国だけでなく世界中で見られる。」
『メタファーとしての発酵』〜「純血の誤謬」より)
「「純血」という概念は、おそらく歴史上最も有害な純粋さの誤謬であり、人をモノ扱いする奴隷制度や現下の白人至上主義から、ナチス・ドイツのホロコーストなど世界中で絶えることのない民族虐殺に至るまで、人類の犯してきた数々の悪行がそれによって正当化されてきた。」
「遺伝子検査が広く行われるようになって、驚くような結果が判明することも多くなった。人種や民族の一体感がどんなに強くても、先祖はみんなバラバラだ。純粋さが一般に達成不可能なものだとすれば。遺伝的な純粋さは全くの幻想となる。遺伝的混淆こそが、有性生殖によって得られる特別な利点だからだ。」
『メタファーとしての発酵』〜「正常な食品」より)
「純粋という概念は、食の領域にも当てはまる。他人の食生活に関して、頭ごなしに批判的な態度をとる人がいる。(…)
自分が食べたい食品を「清浄な」ものとみなし、逆に食べないようにしている食品を「不浄な」ものとみなす人もいる。」
「清浄という言葉は食品に関してこれほどまでに多くの異なる意味を持ち得るが、食品は決して清浄なものではない。食品は決して純粋なものではないからだ。食品とは、要するに他の生命体を摂取することだ。意図しない、より小さな生命体が存在することも避けられない。大部分の生物と同じく、私たち人類は貪欲な食欲によって生き永らえている。」
『メタファーとしての発酵』〜「正常な食品」より)
「メタファーとしての発酵の最大の魅力は、新たな形態、それもあらゆるものの新しい形態を作り出すところにある。私が特に心を動かされ、励まされたのは、二者択一的な思考を打破し、私がスペクトラム・エンパワーメントと呼んでいるものを受け入れようとする文化運動だ。」
(『メタファーとしての発酵』〜ドミニク・チェン 監訳者解説「発酵する体」より)
「キャッツはこれまで英語で3冊の発酵食文化にまつわる書籍を刊行し、いずれも日本語に訳されている(『発酵の技法』オライリー・ジャパン、『天然発酵の世界』築地書館、『サンダー・キャッツの発酵教室』ferment books)。どれも多彩な発酵食のレシピや滋味、効能についてまとめた実地的な内容だった。対照的に、2020年10月に刊行された本書は、世界中の発酵食に精通したキャッツが発酵現象を比喩として用い、現代社会を生き抜く術すべを論じている。これまでの本でも彼の真摯な人となりや、AIDSと闘病しながら精力的に活動するライフスタイルが垣間見えたが、本書ではよりストレートにキャッツ流の処世術を綴っているのが特徴だ。」
「なぜ発酵現象について知ることによって、わたしたちの世界の見え方が変わるのか? それは、発酵を担う微生物たちが目に見えないほど小さい生物でありながら、わたしたちの身体を構成する重要な要素であり、また、地球環境の至るところに偏在し、文字通りわたしたちの世界を埋め尽くしているからだ。違う言い方をすれば、発酵微生物たちは、地球上の生命が成立する条件の大きな部分を担っているとも言える。」
◎Sandor Ellix Katz 『発酵の技法』をご紹介しているファイル
神秘学ポエジー〜風遊戯 第119 集・mediopos57(pdfデータ)
https://r5.quicca.com/%7Esteiner/novalisnova/yugi/sinpigaku-poesie/mediopos57.pdf
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