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カート・ヴォネガット『キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを』/若松英輔『死者との対話』/高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』・『深きより 二十七の聲』

☆mediopos-3126  2023.6.9

カート・ヴォネガットの生誕100周年記念
(1922年11月11日 - 2007年4月11日)ということで
ヴォネガットによる幻の架空インタビュー集が
翻訳刊行されている

『キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを』は
「死後の世界のレポーター」として
死者20人+αへの架空インタビューを行い
WNYCラジオ局で一九九八年に放送されたもの

心臓の手術中に起きた偶然の臨死体験をきっかけに
ヴォネガットは「自分は半分しか死んでいない身で、
完全に死んだ人びとにインタビュー」する
つまり積極的安楽死の支持者として知られた
キヴォーキアン医師の監督する制御臨死体験により
死者たちと話ができる立場となったということになっている

「死を経験した生者はいない」という原則から
死後の世界や死者との対話を
まったくナンセンスだとするひとも多いだろうし
死を怖れるために
あえて踏み込みたくはないというひとも同様だろうが

それはそれとして
こうして「架空インタビュー」として
かつて生者だった死者の声に耳を傾けようとすることは
致死率100%の人間にとって
むしろ欠かせない営為でもあるのではないだろうか

「序」はすでに死者となっているヴォネガットに対して
刊行のためのインタビューが行われたことになっているが
生前にインタビューを受けたときと同様
「語るべきことはすべて本の中に書いてある」とし
本(『タイタンの妖女』)からの引用に同意したとしている

さて死者の声を聞くことについて
「死者が生者の魂にふれる合図」としての「悲しみ」について語る
若松英輔『死者との対話』
そして詩人として「神神一柱ずつに一人称で語らせる」ことや
「詩歌の先人たちの霊を呼び出して
彼等それぞれの詩歌との関わりを語ってもらう」ことを試みた
高橋睦郎の二つの詩集をあわせてとりあげてみた

「死を経験した生者はいない」としても
死者の声を聞こうとすることはできる

それが実際の死者の声そのものではないとしても
詩歌の場合はその言霊そのもののなかに
響いている声を受けとることはできる
それは生者死者の別さえ問わない
魂の共振として可能である

そしてカート・ヴォネガットの言うとおり
「語るべきことはすべて本の中に書いてある」ならば
その言葉をしっかりと受け取らなければならず
さらにいえば書かれていないことについては
「死者の声」を聞きとることも
それなりの仕方で可能ではないか・・・

■カート・ヴォネガット(浅倉久志・大森望訳)
 『キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを』(早川書房 2023/5)
■若松英輔『死者との対話』(トランスビュー 2012/11)
■高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』(思潮社 2005/7)
■高橋睦郎『深きより 二十七の聲』(思潮社 2020/11)

(カート・ヴォネガット『キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを』〜ニール・ゲイマン「序」より)

「カート・ヴォネガットとは、これまでに二度、話をしたことがある。一度めは、彼が生きているときだった。2度めはもっと最近で、彼は死んでいた。」

「「死後の人びととの出会いを語った本についてお話をうかがいにきました」とぼくはいった。
「WNYのやつ?」とヴォネガットはいった。「覚えてるよ」
「その本に序文を書くことになっていて、そのためにいくつか質問したいんです」
「正直なところ、できればインタビューは受けたくないね」と彼はいった。それから、ぼくの表情を見て、「なあ。なんでも好きなことを書いていいんだよ。わたしは死んでいる。気にしないから」
「やめてくださいよ、語るべきことはすべて本の中に書いてあるというのは」
 そのとき、彼はぼくを見た。「前にもこのやりとりをしたことがあったかな?」
「まあ、似たようなやりとりは」
「だったら、本のどれかから、なにか引用すればいいじゃないか」そういって、ヴォネガットはにっこりした。「なあ、手を休めて話をしたいのは山々なんだが、この芝生はひとりでにきれいに苅られるわけじゃないんでね」
「ええっと、じゃあ、これはどうですか? 『人生の目的は、どこのだれがそれを操っているにしろ、手近にいて愛されるのを待っているだれかを愛することだ』」
「いいとも」とヴォネガットはいった。「わたしがそういったと伝えてくれ」
二〇一〇年九月」

(カート・ヴォネガット『キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを』〜カート・ヴォネガット「まえがき」より)

「わたしが死者たちと交わした会話をおさめたこの小冊子は、いくらかのお金を————わたしのためでなく、マンハッタンのダウンタウンにある国立ラジオ放送局、略称WNYCのために————稼ぐ目的で作られた。WNYC局は、局のコミュニティとわたしのコミュニティの洗練されたウィットと知恵を向上させている。ほかの商業放送のラジオ局やテレビ局には、もはやそうする余裕がなくなった。WNYC局は、一般人の知る権利を満足させている————羽振りのいい時事評論や広告宣伝業者のみじめな奴隷たちが、一般大衆の注意をわきへそらし、空虚なたのしみを与えているのとは対照的に。」

「わたしの願いは、死後になにが待っているにしても、みんなが長く幸福な人生を送ることだ。」
(K・V 一九九八年十一月八日および一九九九年五月十五日)

(カート・ヴォネガット『キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを』より)

「自分は半分しか死んでいない身で、完全に死んだ人びとにインタビューしはじめてからかれこれ一年近くになる。その間わたしは、わたしの個人的なヒーローに会わせてほしいと何度も聖ペテロに懇願した。おなじインディアナ州で、インディアナ州テレホートの故ユージン・ヴィクター・デブスである。この国にまだ強力な社会党があった時代に、社会党の大統領候補に五回も選ばれた人物だ。

 そしてきのうの午後のこと、なんと、ユージン・ヴィクター・デブスその人が、青いトンネルの向こうでわたしを待っていた。彼は、アメリカの主要産業である鉄道において、史上はじめてストライキを成功させたオルガナイザーであり指導者である。わたしたちはそのときが初対面だった。この偉大なるアメリカ人は、一九二六年、わたしがまだ四歳だったとき、七十一歳で亡くなっている。

 わたしは、彼の言葉を講演で何度も引用させてもらっていることに感謝を述べた。その言葉とは、「下層階級があるかぎり、わたしはその中にいる。犯罪分子が存在するかぎり、わたしはそこに属している。だれかひとりでも牢獄にいるかぎり、わたしは自由ではない」。

 彼は、この言葉が現世のアメリカでいまどんなふうに受けとられているかとたずねた。馬鹿にされています、とわたしは答えた。「みんな鼻を鳴らして冷笑するんです」

 「最も急成長している産業はなにかと彼はたずね、わたしは「刑務所の建設です」と答えた。

 「そりゃひどいな」といってから、最近、山上の垂訓はどのくらい浸透しているのかと彼は訪ねた。それから、翼を広げて飛び去った。」

(カート・ヴォネガット『キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを』〜「訳者あとがき」より)

「前半部にあたる「キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを」のほうは、序文にもあるとおり、もともとは、ニューヨーク・シティの公共放送、WNYCの番組で一九九八年に放送されたもの(番組と番組のあいだに入る、九十秒程度のブリッジ番組だったらしい)。その放送台本にヴォネガットが手を入れて書籍化された。

 WNYCは、一九二二年に設立されたニューヨークでもっとも古いラジオ局のひとつ。ヴォネガットはWNYCのプロデューサーであるマーティ・ゴールデンソーンとともに「あの世リポート」(Reports on the Afterlife)と題する番組を企画・製作。WNYCの〝死後の世界のリポーター〟として天国の門のすぐ手前まで赴き、有名無名とりまぜた多くの故人たちにインタビューした。」

「ジャック・キヴォーキアン(一九二八〜二〇一一年)は、積極的安楽死の熱心な支持者として知られた病理医。「死ぬこよは犯罪ではない」と主張し、末期の患者が医師の助けを借りて安楽死する権利を唱道した。(・・・)「キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを」最終章にもあるとおり、(・・・)キヴォーキアン医師は殺人罪で起訴され、翌年、実刑判決を受けた。」

(若松英輔『死者との対話』〜「死者がひらく、生者の生き方」より)

「死者は実在する。だが、死を経験した生者はいない。このことが私の死者論の起点です。臨死は死ではありません。それは死に接近して、上がらずに帰ってきたにすぎません。こちらの岸(此岸)の彼方に、「彼岸」の世界がある。そのことだけで十分ではありませんか・そこがどうなっているかは、私たち自身が死の彼方に赴いたときに、自分で経験すればいいのですし、そちらでどう生きるかは、またその場所で考えるべきことだろうと思うのです。私のいう「死者論」とは、生者と死者の関係、あるいは交わりを考えることです。」

「現代人は、自分の問いそのものがまちがっているかもしれないとは考えない。自分の問い方は正しいと思っている。あの人は、自分の目の前からいなくなったんだから、存在しない、確かなのは、喪ったことと癒やされない悲しみだけだ。死者なんかいない。だから、こんなに悲しいんじゃないか、そう思い込む。私もそうでした。でも、本当にそうでしょうか。

 死者はいる、死者は私たちのそばにいる、ときに私たち自身よりも近くに存在している、と今は感じています。そして、死者の臨済をもっとも強く実感させるのは「悲しみ」です。

 死者をめぐる悲しみとは、生者の感情の起伏ではありません。死者が生者の魂にふれる合図です。それは誰に教えられたわけでもありません。それは、私に訪れたはっきりとした一つの経験です。」

(高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』より)

「この国では神神と詩人があらかじめ断絶している。この詩(ポエジー)にとっての根源的な不毛を救済すべく、詩人は、自ら口寄せとなって、神神一柱ずつに一人称で語らせることを試みる。」

(高橋睦郎『深きより 二十七の聲』〜「伝統という冥界下り/重ねての代跋」より)

「詩歌の先人たちの霊を呼び出して彼等それぞれの詩歌との関わりを語ってもらうという永年の懸案を何とか果たしたのち、なお私には落ちつかないものがあった。古代から近世までの詩霊たちに対する巫祝の真似ごとの後ろめたさから解放されるには、もっと近い時代の誰かと親しく語ることができればすこしは気持ちが楽になるかもしれない。とすれば、その誰かとは誰か。旧詩歌と深く親しみこれを刷新すべく海彼詩移植の試みに当たった鴎外漁史森林太郞か、旧詩歌世界の各時代に易易と出入りが可能だった釈迢空折口信夫か。

 そのどちらでもなく詩人になることを熱望してそれに挫折した三島由紀夫平岡公威だとの結論に達したのは、二年余にわたる連載終了から半年以上経過した二〇一九年初秋のことだった。私は三島とはその死までほぼ六年間比較的近い関係にあり、ことに最晩年の一年間はかなり頻繁に会っていた記憶がある。彼となた単なる架空を超えた対話が可能かもしれないと思ったのだ。」

「同じく言語を媒介にしていても、詩人は霊能者ではない。ことに現代、二十一世紀を生きる詩人たちは霊の存在にも他界の存在にもいよいよ確信がもてなくなってきている。そんな現代の詩人にとって冥界といえるのは、過去の先人たちの場合にもましてひたすら詩歌伝統のことではないか。冥界の旅が大主題のダンテ・アリギエリ『神曲』の地獄は煉獄を経て天国へつづく。私をして言わしめればダンテの天国は究極の冥界。詩人を含む人類がけんざい余儀なくさせられているこの未曾有の閉塞状態は、究極の冥界に到達するための通過が必須の煉獄に喩えるのに、まことにふさわしい。

 詩歌伝統に繋がるのは名を持つ人びとだけではない。その末端には詠人不(よみびとしらず)の世界があり、さらにその知られざる詠人たちに霊感を与えた貌のない無数の人びとがある。彼らのひとりひとりが森田の霊のいう固有の人生を持っていたはずだ。私が三島の霊につづいて森田の霊との交流を試みた意味も、思えばその辺にもあったのだろう。
 二〇二〇年孟夏記。」

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