マーニーリウス 『アストロノミカ』/竹下哲文『詩の中の宇宙 マーニーリウス『アストロノミカ』の世界』
☆mediopos3669(2024.12.5.)
西暦紀元一世紀のローマ帝政初期を生きた
詩人マルクス・マーニーリウスによる
天文学・占星術について記された最古の文献の一つ
『アストロノミカ』が訳出されている(講談社学術文庫)
初代皇帝アウグストゥスから
第二代皇帝ティベリウスの時代に書かれただろうこと以外
著者について確かなことは知られていない
訳者の竹下哲文にはすでに
『詩の中の宇宙/マーニーリウス『アストロノミカ』の世界』
という著書をはじめ
「マーニーリウス『アストロノミカ』第1巻序歌の研究」や
「マーニーリウス 『アストロノミカ』 における百科全書主義」
といった論文をネットでも読むことができるが
ラテン語の原文から全訳されたのは初めてのこと
現代では天文学(astronomy)は科学として
占星術(astrology)は占いとしてとらえられているが
古代のラテン語およびギリシャ語においては
天に関する学問の扱う範疇としての
「星々の研究」という意味で違いはなかった
古代人にとってそれは
「天体の動きや法則の探求だけでなく、それが
地上に及ぼす影響の研究という領域にも及んでいた」
占星術は西洋古代において
ユーフラテス河下流域や広くバビロニア全体を表す
「カルダイアー」がその故郷として認識されていた
占星術には「星が力を及ぼす対象として
自然環境や国家ないし社会といった
人間集団が考えられることもあれば、
一個人が問題にされることもある」が
「個人に焦点をあてた占星術(誕生占星術)に
欠かすことができないのが、
ある人物の生まれた時点における星の布置を記録した
誕生星位図(ホロスコープ)である。」
ヘレニズム時代に至り誕生占星術は隆盛を迎える
たとえばアウグストゥスが生まれた日に
占星術師が「地上世界の主が生まれた」と断言したとされ
そのアウグストゥス自身も天文学や占星術を利用していた
政治家にとっても占星術は
「未来を知ることができる技術」として
重要な意味を持っていたのである
『アストロノミカ』の著書マーニーリウスも
その「第一巻の序歌」にこう記している
生きた身ながら果てしない大空を巡ること、そして星座や
逆行する惑星の動きを知ることは悦ばしい。
だが、これらの知識だけでは不充分だ、大宇宙の心臓部でさえも知悉すること、
それが星座を介して生物を生み出し支配する方途を
認識すること、そしてアポッローンの調律に従い
それを詩に語ることはいっそう激しい喜びとなる。
『アストロノミカ』は
古代の天文学や占星術について
まとまった形で論じているが
ストア哲学的な世界観を背景に
プラトン哲学やピュタゴラス主義・ヘルメス主義
そして魔術的オカルト的な影響をも受け
「星座の分布や天体の動きに関する知識だけでなく、
それらがいかなる力をもって
地上に働きかけるのかという問題」を盛りこみながら
「教訓詩」と呼ばれる韻文が綴られている
「第一巻の序歌」の冒頭にはこう詠われている
詩にのせて、神秘の技術を、そしてまた、運命に与り
人間の巡り合わせをさまざまに転じさせる星々を————
すなわち天の理法の作品を————空の高みから引き下ろすことに
私は挑む。いかなる先人も語っていない
異国の供物を携えて、緑の梢揺らすヘリコーンの森を
新しい歌の調べで動かすことに私は初めて挑戦する。
しかしこの著作は後世に影響を与えることは少なかったようで
マーニーリウスの名が現れるのは一〇世紀
しかも写本が再発見されるのは一四一七年のこと
さて最初にふれたようにかつての総合的な「星々の研究」は
現代では科学と占いに分かれているのだが
かつてカントが「実践理性批判」の結論に
「わがうえなる星の輝く空とわが内なる道徳律である」
と記したように
星々と人間が照らしあっているということは
狭量な唯物論的科学主義者でなければ
どこかで直感されていることではないだろうか
その直感がやがて
天と地・天と人との照応の法則として
明らかにされる時代も訪れるのではないか
現代はあらゆるテーマが狭い専門領域に閉じ込められ
しかも「科学」という信仰に強く呪縛されているけれど
やがては相容れないと思われているものがむすばれていく
そんな時代を迎えられますように
■マーニーリウス (竹下哲文訳)『アストロノミカ』 (講談社学術文庫 2024/11)
■竹下哲文『詩の中の宇宙: マーニーリウス『アストロノミカ』の世界』
(京都大学学術出版会 2021/2)
**(マーニーリウス『アストロノミカ』〜「第一巻」〜「序歌」より)
*「 詩にのせて、神秘の技術を、そしてまた、運命に与り
人間の巡り合わせをさまざまに転じさせる星々を————
すなわち天の理法の作品を————空の高みから引き下ろすことに
私は挑む。いかなる先人も語っていない
異国の供物を携えて、緑の梢揺らすヘリコーンの森を
新しい歌の調べで動かすことに私は初めて挑戦する。(第一巻一 − 六行)]」
*「〔・・・〕太虚の中をも通り抜け、
生きた身ながら果てしない大空を巡ること、そして星座や
逆行する惑星の動きを知ることは悦ばしい。
だが、これらの知識だけでは不充分だ、大宇宙の心臓部でさえも知悉すること、
それが星座を介して生物を生み出し支配する方途を
認識すること、そしてアポッローンの調律に従い
それを詩に語ることはいっそう激しい喜びとなる。(第一巻一三 − 一九行)」
**(マーニーリウス『アストロノミカ』〜「第四巻」〜「序歌」より)
*「一体どうして我々は、かくも鬱々とした歳月を過ごして生を蕩尽し、
人の世の盲いた恐れや欲望に苦しめられ、
尽きぬ憂いに老いさらばえて、得ようと求めながら生涯を失い、
ミタされてなお願いに際限を設けず
いつも生の首途(かどで)を前にしながら決して生きることがないのか。
誰もがいっそうの豊かさを求めるがゆえにかえっていっそう貧しくなり、
己のもつものを勘定せず、もたないものばかりを希う。」(第四巻一 −七行)」
**(マーニーリウス『アストロノミカ』〜「訳者解説」より)
・Ⅰ マーニーリウスとその年代
*「『アストロノミカ』の作者として伝えられるマルクス・マーニーリウスの人物や時代について、作品以外には何一つ証拠が残されていない。」
「『アストロノミカ』が書かれたのはローマ帝政初期という時代だったわけだが、本作が主題とする占星術という技術もこの時代と深い関わりをもつものである。」
「今日、天文学(astronomy)と占星術(astrology)は、科学と占いという相反する存在として捉えられている。しかし、それぞれの下となるラテン語及びギリシア語は、いずれも「星々の研究」という意味で大きな違いはなく用いられていた。そうした「星々の研究」は、古代人にとって、天体の動きや法則の探求だけでなく、それが地上に及ぼす影響の研究という領域にも及んでいた。今日なら非科学的な迷信として扱われる後者もまた、天に関する学問の扱う範疇だったという点に注意したい。」
「ギリシア・ローマ世界において、占星術は「カルダイアー人の技術」と称される。この「カルダーアー」はユーフラテス河下流域、また広くバビロニア全体を表す語であり、西洋古代において、すでにこの地域が占星術の故郷として認識されていたのである。」
「一口に占星術と言っても、星や天象に基づく予言にはいろいろな種類がある。星が力を及ぼす対象として自然環境や国家ないし社会といった人間集団が考えられることもあれば、一個人が問題にされることもある。そして、この個人に焦点をあてた占星術(誕生占星術)に欠かすことができないのが、ある人物の生まれた時点における星の布置を記録した誕生星位図(ホロスコープ)である。個人の誕生時における星の位置関係を記した史料は古くから存在しているが、バビロニアのそれには記録内容に対する解釈がついておらず、実際にそうした記録がどのように理解されていたのかについては不確かな部分が多い(最古のバビロニアのホロスコープは、前四一〇年月四月二九日まで溯る)。他方、ギリシア世界において現存するホロスコープは、年代的にかなり新しいものとなる(ギリシア最古のホロスコープとしては、前六二年七月七日のものが残されている)。この史料の時代的懸隔は、ヘレニズム時代におけるバビロニア天文学・占星術の受容とその発展の具合を詳細に知ることを妨げるものでる。ともあれ、ヘレニズム時代に至って誕生占星術は隆盛を迎えることになる。」
・Ⅱ 『アストロノミカ』を読む
・『アストロノミカ』の「新しさ」
*「占星術という主題設定は、ローマ帝政初期という時代にあって一定の必然性をもつ題材選択だった。この新来の占いを主題に設定する「新しさ」を詩人は繰り返し強調している。」
*「本作第一巻冒頭一〇〇行余りにわたって展開される序歌の流れを追ってみよう。この序歌は、主題の提示に続いて、占星術の起源と、さまざまな技術の案出による人類の文明史という脱線を経て、詩人の商戦の成就を願う言葉で締めくくられている。その中で詩人の企図に関する部分を詳しく観ると、一種の階層設定が読み取れる。
〔・・・〕太虚の中をも通り抜け、
生きた身ながら果てしない大空を巡ること、そして星座や
逆行する惑星の動きを知ることは悦ばしい。
だが、これらの知識だけでは不充分だ、大宇宙の心臓部でさえも知悉すること、
それが星座を介して生物を生み出し支配する方途を
認識すること、そしてアポッローンの調律に従い
それを詩に語ることはいっそう激しい喜びとなる。(第一巻一三 − 一九行)」
「第一巻の序歌冒頭に立ち返ろう、ここには、占星術という題材だけでなく、それを語るために採用された詩という手段についても語り手が重要な意味を見出していることがうかがえる。(・・・)
詩にのせて、神秘の技術を、そしてまた、運命に与り
人間の巡り合わせをさまざまに転じさせる星々を————
すなわち天の理法の作品を————空の高みから引き下ろすことに
私は挑む。いかなる先人も語っていない
異国の供物を携えて、緑の梢揺らすヘリコーンの森を
新しい歌の調べで動かすことに私は初めて挑戦する。(第一巻一 − 六行)]」
・「教訓詩」の伝統
*「ギリシア・ローマ文学史における『アストロノミカ』の位置づけを考える際には、「教訓詩」という分野について触れる必要がある。西洋古代の文学には、農業うあ天文などの専門知識を韻文で語り教える作品群が存在し、それらはしばしば「教訓詩」という名前で呼ばれる。」
・『アストロノミカ』の宇宙観・運命の支配
*「本作の内容は「ストア哲学の教授」ではなく、あくまで「主題となる占星術の効果的文芸化」に力点が置かれていることには注意を要する。そして、そうした記述意図に沿う形で、我々詩人はストア哲学に限らず、さまざまな思想流派を柔軟に(悪く言えば節操なく)取り入れながら自作に生かしている。」
*「まずは『アストロノミカ』の宇宙観に注目しよう。第一巻冒頭で主題を提示したあと、詩人はこれから取り組む題材たる宇宙の全容を記述することに着手する(第一巻一一八行以下)。詩人は、当時知られていた宇宙生成論の所説をいくつか紹介したうえで、自らの採用する学説に話を映す。そこでは、地、水、大気、火といういわゆる四元素が世界を構成していく様子が詩的言語で綴られており、それに続いてそうした世界が「理性(ratio)」によって整えられていることが説かれる。森羅万象は神的な「理性」によって設計されており、またそれは能動的な力として万物に浸透して働く「息吹(spiritus)」でもあるというストア派の唯物論的汎神論は、マーニーリウスの展開する宇宙論とおおむね一致する。また「共感(consensus)」のような個別の語彙の面でも、この学派の言葉遣いに通じていたらしいことがうかがえる。」
・第四巻に見える運命論と理性讃歌
*「さらに、神的摂理に支配された宇宙という自然学から、ストア派の倫理学の眼目として、自然の摂理を把握して恐れや憂いを懐かずに生きることが説かれる。自然の摂理とは、別の言い方をすれば、運命の支配でもある。それはある種の決定論に傾く側面がないではないが、冷厳な運命を見据えてなおこれを肯んずる力をもつ者は、必然に強制されるばかりの者とは明らかに異なる賢者としての地位をもつ。」
・計算と理性
*「「理性」や「摂理」という側面から取り上げたratioという語は、しかしまたより一般的文脈では「計算」をも意味する。そして、本書を読んだ者は、この作品の多くの部分が「計算」で成り立っていることがわかるだろう。実際、占星術の実践にあたっては、星々の位置の算定や時間の計測といった作業が枢要である。(・・・)さらに、詩人や音楽家の仕事(言葉のリズムを整えて詩行にまとめ、調べを授けること)にも「計算」が欠かせない。実際、ラテン語の「数」は「韻律」や「拍子」なども意味する言葉である。」
*「『アストロノミカ』の前半に出てくるのは、算術よりも幾何学的な内容である。読者はまず、宇宙の構造を語る中で、中心に位置する地球が外側の天球からどのくらい離れているかという議論に触れる。」
*「全体の中心に当たる第三巻は、内容的に最も複雑で難解なものとなっている。「役(sors)」という新しい概念を導入したあと、詩人は時の計算法に議論を移す。この役の割り当てには誕生時の時刻を正確に知る必要があるため、その計算方法の説明が本巻の中心的題材となる。」
・占星術書としての特異性
*「『アストロノミカ』という作品を占星術の専門文献として見た場合、その最大の特徴は惑星の役割の小ささにあると言える。このことは、裏を返せば、『アストロノミカ』において、天が地上に及ぼす影響力の帰される先が黄道十二宮にばかり集中する、ということでもある。」
・地上世界への関心————地誌、喜劇、百科全書
*「作品冒頭で詩人も強調しているように、天の星々の見かけだけを知るのではなく、その働きをも知ることが本作の目標だった。そして、その「働き」、すなわち星々が地上にもたらす影響についての記述が本格化するのは、この作品の後半においてである。先に述べた本作の占星術書としての特殊性、すなわち惑星の比重の小ささは、この部分にも影響を与えている。つまり、天から地上への影響が、もっぱら黄道十二宮並びに恒星天の星座そのものに帰される、という点である。」
・周航記的世界地図
*「第一巻で星座のカタログや宇宙の構造が詳しく語られたように、第四巻でも詩人は地上世界に全体像を描くことに多くの詩行を費やしている。当時知られていたかぎりの土地や国々が描かれる「世界地図」とも言うべき一連の記述は、それ自体、興味深い内容を多数含む。」
・後世への影響
*「『アストロノミカ』が後世に多くの読者を得ることはなかったようである。」
「その後、マーニーリウスの名前が文献上に現れるのは、一〇世紀を待たねばならない。」
「一四一七年、ポッジョ・ブラッチョリーニによって『アストロノミカ』の写本が再発見される。」
○マーニーリウス
紀元1世紀に活動した古代ローマの詩人。本作『アストロノミカ』の著者として知られる以外の詳細は不明。
○竹下 哲文(たけした てつふみ)
1991年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、京都大学大学院助教。専門は、西洋古典学。著書に、『詩の中の宇宙――マーニーリウス『アストロノミカ』の世界』ほか。