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村澤和多里・村澤真保呂『異界の歩き方――ガタリ・中井久夫・当事者研究』/フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』

☆mediopos3595(2024.9.22)

澤和多里・村澤真保呂
『異界の歩き方』の概略についての
mediopos3585(2024.9.12)に続き
mediopos3593(2024.9.20)では
R・D・レインの「反精神医学」についてとりあげたが
今回はそれに続きフェリックス・ガタリについて
「第8章 精神、文化、自然」の概略をまとめておきたい

ガタリは
「反精神医学とディープ・エコロジー」が盛んだったころ
「制度論的精神療法」という治療実践が試みられていた
フランス北中部にあるラボルド病院に勤務していたが

「精神疾患、社会問題と環境問題を
同一平面でとらえる思考を探求し、
エコロジカルな論理にもとづく精神療法の理論を展開した」

まず「制度論的精神療法」についてだが
それは「「制度は人間を縛るもの」という
通常の社会観ないし精神療法観とは逆に、
「制度は人間がつくるもの」という観点から
制度をそのつど集団内の話し合いをつうじて変えていき、
その自主的な社会運営によって
精神疾患の治療を促すことを目指す、独自の精神療法」である

「反精神医学」もまた「精神分析」も
「精神病の症状はその人の自然に根ざしたプロセスが、
社会的に抑圧されることによってつくりだされる」
と考えているが

「制度論的精神療法」は
「精神医療のすべてを
そのような抑圧装置として否定」はしないものの

「社会は自然を抑圧するだけでなく
自然を支えることができる」
つまり「制度を患者の自然治癒過程を促すように
つくりかえる」ということがその根底にある

(参照:表1 自然と社会の関係についての3つの観点)

ガタリはそうした「制度論的精神療法」と同じ観点に立ちながら
家族関係や脳機能をはじめ精神医療制度のほかに
「政治的イデオロギーや価値観、文化、経済、自然環境など
抽象的で多領域にまたがる事物」をも
症状という機械を形成する部品のひとつであるとみなし
それらの部品を治療に活用する

その臨床的思想は「症状を形成する機械の仕組みを読み解き、
それを構成する部品を新たに「治療機械」として
機能するために組み替える方法として考案され」
「スキゾ分析」と名付けられているが
晩年にはその治療理論が四機能図式の形で体系化されている

(参照:図1 ガタリの四機能図式)

この図式では左側の列が客観世界

  全体世界 :Φ(抽象機械)
  個々の要素:F(具体的事物の流れ)

右側の列が主観的世界

  全体世界:U(内的宇宙)
  個的要素:T(実存的領土)

Tが「実存的領土」と呼ばれるのは
コスモロジーの中心にあるには「自己」だからである

この図式では
統合失調症はUとTが切り離されていることで起こる
「自分自身の心のなかの世界で、その中心にあるはずの、
自分の居場所が失われている」のである

そうした内的疎外から回復されるためには
UとTを再結合しなければならない

ガタリは
症状形成と治療の流れ(右回り)を
「プロセッション」と呼び
治癒の流れ(左回り)を
「リセッション」と呼んでいるが

「ガタリのスキゾ分析の治療では、
外的世界の諸要素(F)を組み替え、
それによって変容した周囲の環境(Φ)が
患者の精神世界(U)に反映され、
そこで患者の自己(T)が
ふたたび居場所を見出すことを目指」している

さて晩年のガタリは
そうした「スキゾ分析の治療論を
社会病理や自然環境問題の解決に結びつけることを目指し
『三つのエコロジー』や『カオスモーズ』において
「内的宇宙の回復」を強く主張している

「エコロジーとは何よりもまず
精神的・社会的なエコロジーであらねばならない」
というガタリの言葉のように

統合失調症患者の「内的宇宙」が
人類全体の「内的宇宙」として拡張され
統合失調症の治療理論の延長上に
社会病理や自然環境問題の解決へと向かう・・・
そんな構想が示唆されている

■村澤和多里・村澤真保呂『異界の歩き方――ガタリ・中井久夫・当事者研究』
 (シリーズケアをひらく  医学書院 2024/9)
 〜「第8章 精神、文化、自然」
■フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』(平凡社ライブラリー 2008/9)

**(『異界の歩き方』〜「第8章 精神、文化、自然」より)

*「反精神医学とディープ・エコロジーの運動がさかんだったころ、すでにそれらを統合的に論じようとした思想家がいた。彼は精神疾患、社会問題と環境問題を同一平面でとらえる思考を探求し、エコロジカルな論理にもとづく精神療法の理論を展開した————それが次に述べるフェリックス・ガタリである。」

・ガタリと反精神医学

*「フランスの北西部にある、中世の城のような古い館と広大な敷地を利用したラボルド病院に、ガタリは1992年に亡くなるまで勤務していた。」

「ラボルド病院では、すでに1960年代には「制度論的精神療法」という治療実践が試みられていた。」

「制度論的精神療法の特徴のひとつは、治療者と患者のあいだの権力的関係をできるかぎり緩やかなものとして、患者を共同で病院の運営をおこなう仲間集団とみなすことである。もうひとつの特徴はその名称にも示されるとおり、制度を人々が従うべき「ルール」や「掟」のようなものとみなさず。人々が自分自身のための自由につくり直すことができる「道具」とみなす点である。前者の特徴は反精神医学の実践とも類似しているが、後者の特徴はそれとはだいぶ異なっている。

 反精神医学においては、文化(特に社会制度)、とりわけ医師と患者という権力的な社会関係は、自然の治癒過程を阻害するものとみなされた。つまり、そこでは「人間社会」の制度や権力を離れ、「自然」に戻ることが望まれた。このような思想の前提には、人間と社会を根本的に対立するものとしてとらえる観点がある。言い換えれば、人間社会をつねに自然(人間の本来のあり方という意味での「自然」)を搾取し、抑圧するものとみなし、両者のあいだに権力的関係が存在することを前提としている。

 しかし、人間社会は自然と本当に対立するものだろうか。人間も自然的存在の一部であるという単純な事実にもとづけば、そのような観点に依拠するのは問題があるのではないか————そのような疑問が浮かぶ。

 つまり「社会(あるいは文化)」から離れた「自然」な治療共同体をつくろうとしても、人間が根本的に社会的存在である以上、そこで作られるのはやはり「社会」であり、結局のところ抑圧的構造を再生産することにしかならないのではないか、という疑問である。

 また反対に、人間もまた自然的存在であるのならば、その営みである「社会」もまら「自然」の一部ではないのか、と考えることもできる。ここで「社会」を「制度」、「自然」を「人間(の内的自然)」と置き換えると、制度論的精神療法の基本的な観点が見えてくる。」

・制度論的精神療法

*「制度論的精神療法とは、簡単にいえば「制度は人間を縛るもの」という通常の社会観ないし精神療法観とは逆に、「制度は人間がつくるもの」という観点から制度をそのつど集団内の話し合いをつうじて変えていき、その自主的な社会運営によって精神疾患の治療を促すことを目指す、独自の精神療法である。

 この考え方は、「社会が精神病をつくる」という観点に立った反精神医学の流れを汲むものであるとともに、他方ではハイデガーやサルトル、ラカンといった哲学者・精神医学者たちの思想に大きな影響を受けながら、トスケル、ウリ、ガタリという三世代の師弟関係をつうじて展開されたものである。精神療法家としてのガタリが統合失調症に関する独自の思想(スキゾ分析)を確立したのは、このようなラボルド病院の制度論的精神療法の実践を通じてであった。」

・制度的精神療法から「スキゾ分析」へ————ジャン・バチストの事例より

*「制度論的精神療法は、精神分析の影響を受けながらも独自の治療方法を確立していった。そこからガタリの臨床的思想は「スキゾ分析」へと結実していく。スキゾ分析という風変わりな名前は、ガタリの統合失調症(スキゾフレニー)についての独自の考察からつけられたものである。」

・「機械」としての無意識

*「症状とは、それら(引用者註:幼児期の体験・脳機能・認知機能)の部品が特異なしかたで組み合わさって作動することで形成される機械のようなものである。逆にいえば、それらの部品の組み合わせを変えることで症状が治癒することも考えられる。ガタリが精神療法において、さらには政治活動や社会運動で重視したのは、組織や制度とい部品(ガタリの用法においては「器官」や「機械」と呼ばれる)を活用することだった。ただし、それは既存の自立支援プログラムに自身をゆだねたり、専門家の指示のとおりに既存の制度にしたがって手続きを進めるという意味ではない。

 反精神医学の(また精神分析の)主張と同じく、ガタリも精神病の症状はその人の自然に根ざしたプロセスが、社会的に抑圧されることによってつくりだされると考えている。どのような治療や支援であっても、その人を「患者」とみなすことが受動性を植えつけることになり、その人に固有の生を抑圧することになってしまう危険がある。実際、治療すること、看護すること、支援することにはつねにこのような抑圧の危険性がつきまとっている。

しかしガタリは、反精神医学のように精神医療のすべてをそのような抑圧装置として否定することはしない。この点でガタリは制度論的精神療法と同じ観点に立つ。つまり家族関係や脳機能が症状という機械を形成する部品のひとつであるのと同じく、もろもろの精神医療制度もその機械の部品のひとつであり、その使い方や組み合わせ(ガタリの用語では「動的編成(アジャンスマン)」を変えることで、それらの部品を治療に活用するのである。

 ただし、その部品は、たんに友人や学校、病院などの具体的な社会制度や事物にとどまらない。というのも、政治的イデオロギーや価値観、文化、経済、自然環境など抽象的で多領域にまたがる事物もまた、症状としての機械を構成する部品として組み込まれるからである。」

・スキゾ分析の四機能図式

*「ガタリは晩年の著作において「スキゾ分析」の治療理論を、以下に示す四機能図式にもとづいて体系化している。」

「この図式で左側が客観的世界、ここでは個人の外側に広がる物質的世界と考えよう(実際には物質ではない観念や制度などの記号や言語も含まれるので、適切ではないのだが(、マクロ、すなわち全体世界はΦ(抽象機械)と呼ばれ、ミクロ、すなわち全体を構成する個々の要素はF(具体的事物の流れ)と呼ばれる。右の主観的世界の列はそれと異なり、精神世界や文化的コスモロジーなどの非物質的世界である。その全体世界はU(内的宇宙)、その個的要素はT(実存的領土)と呼ばれる。」

「Tがなぜ「実存的領土」と呼ばれるのか。精神世界の全体であるUは、当然ながら無数の要素から構成されている。その要素のなかでもっとも中核的なのは「自己」である。それこそは本来、自己の精神世界(コスモロジーと呼んでもよい)の中心にあるはずの要素である。というのも、「自己」の心のなかの世界が「自己」を中心としてつくられていなければ、それは「自分の世界」ではないからである。

 ガタリにおいて統合失調症の問題とは、UとTが切り離されていることである。つまり統合失調症者は、自己の精神内宇宙から自己の実存が疎外されている。わかりやすく言えば、自分自身の心のなかの世界で、その中心にあるはずの、自分の居場所が失われているのだ。そしてスキゾ分析における統合失調症の治療では、このUとTの結びつきを回復することが目指される。

 ここで付け加えると、客観的世界と主観的世界、あるいは物質的世界と精神的世界というふたつの世界は、たとえば宗教的コスモロジー(U)を社会体制(Φ)が体現したり、社会全体のあり方(Φ)が精神的世界に内面化されたりするなど、互いに反映しあうという特徴がある。そして精神世界において患者が自身の居場所を失うのは、外的世界が内面化されることに由来する。」

「このような内的疎外から回復されるのは、UとTを再結合することが必要となる。そのためにガタリのスキゾ分析の治療では、外的世界の諸要素(F)を組み替え、それによって変容した周囲の環境(Φ)が患者の精神世界(U)に反映され、そこで患者の自己(T)がふたたび居場所を見出すことを目指す。ここで外的世界の諸要素を組み替えることは、先述すた症状という機械を構成していた部品を新たな動的編成のうちに組み替え直すことに相当し、それによって変容した周囲の環境は、新たに組み立てられた治療機械に相当する。

 そしてひとたび治療機械が作動したら(つまり治癒が開始したら)、それまでと逆の流れが倦まれる。つまり精神内宇宙(U)に自己(T)の居場所を見出した患者は、自己の精神世界の中で自分の居場所を拡大していくともに、外的環境(Φ)やその要素(F)にも影響を与え、周囲に変化をもたらす。つまり、それまで既存の社会環境に見合った自分の居場所を求めるのではなく、自分の居場所として社会環境を新たにつくりかえていくようになる。

 ガタリは症状形成と治療の流れ(右回り)を「プロセッション」、治癒の流れ(左回り)を「リセッション」と呼んで区別している。」

・精神病理とエコロジー

*「晩年のガタリはスキゾ分析の治療論を社会病理や自然環境問題の解決に結びつけることを目指していた。その構想をまとめた『三つのエコロジー』や『カオスモーズ』において、ガタリがもっとも強く主張したのは内的宇宙の回復であった。

 ガタリは「宇宙(コスモス)」を、個人の精神世界、社会の目に見えない人間関係のネットワークや文化、自然界の生態系に通底する領域とみなし、その領域と自己が結ばれる感覚こそが、精神病理、社会病理、環境破壊を解決するにあたり、もっとも核心にある要素であると考えた。というのも、「宇宙」————精神世界、社会、自然環境のどの宇宙であっても————と自己が結ばれることは、自己がその宇宙と切り離せない関係になることであり、深い愛着と倫理的な責任を持ってその宇宙を自分の居場所としてケアすることだからである。」

*「このようなガタリのエコロジーについての主張が、統合失調症の治療理論のそのままの延長線上にあることは明らかだろう。

 スキゾ分析においては、統合失調症の核心にあるのが精神内の宇宙と自己の結びつきの喪失と考えられ、その結びつきを回復することが治療の目的とされ、外的世界としての社会環境を「治療機械」として組み直すことが治療手段とされた。そのような精神療法理論を、ガタリは環境問題の治療論として拡張する。そこでは無数に複雑な要素が結びついて作動する社会環境の「機械」が、ここでは自然環境も含めた「エコロジー」としてとらえ直され、統合失調症患者の内的宇宙は人類全体の内的宇宙として拡張される。

 つまりガタリは、自然環境問題も精神病理も、原因は人間が(生物界や社会の)「宇宙」と自己との内的な結びつきを失っていることにあると考えた。そうであれば統合失調症の治療と同じように、環境問題の克服もその内的な結びつきを回復することが何より必要であり、それにあわせて外的環境も回復に向かうと考えられる。反対に、内的な結びつきが破綻したままであれば、(・・・)外的な自然環境もさらなる破綻に向かうことになるだろう。

  エコロジーとは何よりもまず精神的・社会的なエコロジーであらねばならない。そうでなければエコロジーの挑戦は無意味であり、あるいはたいして役に立たないだろう。

 ガタリが言うように、心の回復が環境問題の鍵を握っているのであれば、精神医学や臨床心理学の分野におけるさまざまな議論や経験は、それらの問題の解決に寄与することにつながる可能性を十分にそなえているように思われる。」

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