小峰 ひずみ『平成転向論/SEALDs 鷲田清一 谷川雁』/戸谷洋志「「私たちの言葉」を政治に息づかせるために」 (群像 2022年 08月号)
☆mediopos2792 2022.7.10
社会問題なるものが存在する
問題は解決する必要があるが
あくまでも社会の問題である
私ではなく私たちの問題
私たちの問題は
私たちが解決しなければならないので
そこに社会運動が生まれる
私たちの問題は
マルクス主義的にいえば
階級が存在するがゆえの問題である
ゆえにその解決は階級闘争という姿をとる
SEALDsは社会運動を
政治的な言葉の連呼によって語るのではなく
そこに「個人の言葉」を補おうとした
現在とは違った社会のシステムである
「外部」を掲げることができず
代議制民主主義も信頼されなくなっているなかで
政治の問題を個人の日常に根差したものとして語り
「民主主義は一人ひとりの人生に内在するもの」とした
小峰ひずみ氏の「平成転向論」は
そんな「「外部」から「内部」への
運動の根本的な「転向」」を論じている
しかしそのSEALDsは解体し
社会運動の表舞台から退場する
ロスジェネ世代までの活動家たちにとって
「日常と政治を分離させない」
そして「日常生活こそ変えなければならない」
というのが原則だったが
SEALDsは日常を政治的にとらえる観点を忌避し
運動や組織を自己目的化しない
そしてメンバーの日常を運動に巻き込まないように
解散へと向かうことになる
つまり「私の問題」を
「私たちの問題」にしてしまうことなく
それぞれがそれぞれの日常へと帰っていく
逆に言えばそれぞれには最初から
帰るべき日常という場所が存在している
帰るべき日常があるというのは
ある種のプチ・ブル的な状態にある者が
一時期のクラブ活動のように運動に参加し
そして時期がきたらそこから卒業してゆくようなものだ
もともと社会運動を主導する者は
「理想」を掲げるいわゆる知識人であり
労働者そのものではない
そこでは知識人の「私」が
「私たち」を労働者階級としてみなし
それを導くために運動することになる
そしてみずからを「私たち」とみなし
「日常と政治を分離させない」ものとしてゆく
SEALDsはその意味では
「私の問題」と「私たちの問題」とを
はじめから切り離してとらえている
その両者は完全には切り離すことができないが
少なくともその両者をイコールにはしないことを選択した
そのことはむしろ重要なことかもしれないが
問題があるとすれば
当初から見え隠れしていたプチ・ブル的なスタンスと
それを持ち上げすぎた知識人たちの錯誤かもしれない
けれどそのままでは
「私たちの問題」は解決へと導かれないがゆえに
小峰ひずみ氏は臨床哲学をめぐる鷲田清一の思想から
「「外部」の権威を振りかざすことでもなければ、
「内部」に閉じこもることでもなく、
それぞれに人々が、それぞれの「現場」のなか
で互いに語り合うことによって、言葉の意味を書き換え、
「私たちの言葉」を形作っていくことへの希望」のために
そうした「実践に身を投じ、試行を繰り返す人々」のことを
「エッセイスト」(試行錯誤する人)と名付け
そこに可能性を見いだそうとしている
■小峰 ひずみ『平成転向論/SEALDs 鷲田清一 谷川雁』
(講談社 2022/5)
■戸谷洋志「「私たちの言葉」を政治に息づかせるために」
(群像 2022年 08月号所収)
(戸谷洋志「「私たちの言葉」を政治に息づかせるために」より)
「なぜ、SEALDsは持続的な運動体になることができなかったのか。なぜ、当時、多くの知識人からの熱烈な支持を受けながら、彼/彼女らは社会運動の表舞台から退場せざるをえなかったのか。その理由を、日本社会運動史の歴史的な帰結として解釈することが、小峰の視座である。
そもそもSEALDsの新しさはどこにあったのか。一般的にそれは、暴力的ではなく平和的なデモ活動に終始したこと、あくまでも合法的な手法を徹底したこと、そしてデモに音楽をはじめとする新しい表現を取り入れたことである、と語られる。しかし、小峰が注目するのは、むしろ彼/彼女らが使う「言葉」である。そこでは、政治の問題があくまでも個人の日常に根差したものとして語られ、民主主義は一人ひとりの人生に内在するものとして再定義された。小峰はそれを、政治的な言葉が「個人の言葉」で補われる、という事態として説明する。そうした政治観によって運動が下支えされていたという点にこそ、SEALDsの独自性がある。
なぜ彼/彼女らはそうした言葉を選択したのか。なぜそのように語らざるをえなかったのか。小峰はこう解釈する。すなわちそれは、そのように再定義されなければ人々がもはや民主主義を信じることができなくなっているからだ。言い換えるなら、これまで私たちが民主主義を体現すると考えてきたシステムが、具体的には代議制民主主義が、もはや信頼されなくなっているからだ。
(・・・)これまでの日本で一般的だったのは、現在とは違った社会のシステムを、いわばその「外部」を理想に掲げる、ということだった。しかし、グローバル資本主義の浸透した今日において、私たちにはもはやそうした「外部」がない。では、「外部」に頼ることができない社会運動はどのように可能になるのだろうか。小峰によれば、それは「内部」への、つまり一人ひとりの日常への「もぐり込み」の戦略を取らざるをえなくなる。その帰結として立ち現れたものが、SEALDsに他ならないのだ。
「平成」に起きた、「外部」から「内部」への運動の根本的な「転向」————それが、小峰の突きつける平成転向論である。ではなぜこの転向を体現したSEALDsは、解体せざるをえなかったのか。この新たな社会運動が失速せざるをえなかった理由はどこにあるのか。(・・・)
本書の大きなオリジナリティは、このような社会運動史の分析のなかに、鷲田清一の思想、および彼が提唱した「臨床哲学」を定位させようとする点にある。(・・・)
小峰は、臨床哲学をめぐる鷲田清一の思想から、SEALDsとは異なる形で政治を語る可能性を模索する。それは「外部」の権威を振りかざすことでもなければ、「内部」に閉じこもることでもなく、それぞれに人々が、それぞれの「現場」のなかで互いに語り合うことによって、言葉の意味を書き換え、「私たちの言葉」を形作っていくことへの希望である。そうした可能性を信じ、その実践に身を投じ、試行を繰り返す人々は、鷲田がW・ベンヤミンから引用した概念を借りて、本書において術語的に「エッセイスト」(試行錯誤する人)と名付けられる。」
(小峰 ひずみ『平成転向論』〜「第一〇章 SEALDsとその錯誤」より)
「いくら理論家や活動家が「最大の善意をもって」活動を行おうと、「善意だけでは」資本家階級に益することを免れない。原則があるのだ。この(註:レーニンの)指摘は現代の運動論を批判するときにも有効である。社会主義革命を目指せと言いたいのではない。ただ、その「運動論が結果的にどの階級に益することになるか」を見極め続けたマルクス主義者の作法は、いまだ、いや、いまだからこそ有効性を持つように思う。
その眼はSEALDsにも注がれてしかるべきだろう。
SEALDsの「スキル」志向の根はどこにあるか。能力主義が本格的に日本資本主義に導入されたのは、バブル崩壊後、一九九五年のことだ。日本経営団体連盟は「新時代の『日本的経営』————挑戦すべき方向とその具体策」で労働者を三つの階級に分類する。「長期蓄積能力活用型」「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」である。一般的に、この三つはそれぞれ、正社員、専門職、フリーターという類型に分けられるだろう。ここで「能力(スキル)」を活用すると想定されているのは、前者二つ(正社員・専門職)である。もちろん「能力(スキル)」は「活用」されねば身につかないから、SEALDsの人々は正社員・専門職として就職することになる。
(・・・)
この活動家たちが属する階級の違いは、二一世紀型大衆運動とそれ以前の運動の質に大きな違いをもたらす。たとえば、ロスト・ジェネレーション世代の活動家は「変えるべき日常」(奥田)を持たなかった。ロスジェネ論壇の論客であった杉田俊介は日常を「生存の現場」と呼び、「若年フリーター階層には、そのままでは、真の未来ない」と述べ、「生活のスタイル」を変えるべきだと訴えた。杉田は「生存が単に生存であり続けることを肯定する権利」、すなわち生活を送る権利を「たたかいの主戦場」とした。ここで杉田は日常と政治を決して分離させまいとした。他方、SEALDsの考えでは、「政治」は日常の中に埋め込まれる事項のひとつにすぎない。(・・・)
ここには、ロスジェネ世代まで脈々と続いてきた活動家たちの「日常と政治を分離させない」という決意がごっそり抜けている。(・・・)
その論理によれば。日常を政治的にとらえる観点は、運動の自己目的化として忌避される。社会運動は「居場所になってはいけない」。ゆえに、ロスジェネ世代の活動家とは異なり、労働組合などを作って、そこを「居場所」にしていくという方針を取らない。奥田は「組織を続けることを目的としてしまって引きずったら、関わるメンバーの日常も、そこに全て巻き込まれていってしまう」という判断を下し、SEALDsを解散させる方向に舵を取る。
それゆえ、SEALDsは「政治の場所で個人の言葉を語る」ところで立ち止まり引き返したのだ。それは政治とは別に「変えるべき日常」があったからにほかならない。というよりも、階級的にそれが保障されていたのだ。(・・・)SEALDsの名前に刻まれた「学生」という二文字は、自分たちは「スキル」を磨くことに意味を見出せる階級に属しているということの無意識な表現なのだ。
「スキル」という言葉は、階級によって、その意味合いを大きく変える。SEALDsの人々にとって、「スキル」は「仕事」をもらい昇給していくために必須だろう。しかし、他の階級はどうだろうか。(・・・)
SEALDsは階級問題を自らのなかに織り込まなかった。闘争という重いトンネルの先を照らす光を、「スキル」と名付けた錯誤こそ、SEALDsが集団的に表明したプチ・ブルジョワ的傾向だ。なるほど、この世では、誰もがプチ・ブルジョワたらざるをえない。「スキル」アップすることで他人と差をつけて蹴り落とし、自己の延命を図る。この資本主義社会では、誰もがそのうちに巻き込まれざるを得ない。それは重々承知の上で、しかし、そこに巻き込まれざるを得ないことと、それを手放しで肯定し、これから先の民主主義を照らす光とすることは、まったく別の話である。」
「SEALDsが転向した要因は、団結こそ力であるという鉄則の放棄にある。この鉄則を放棄したことで、彼/女らは日常生活こそ変えなければならないという階級闘争の視点を(個人ではもっていたとしても)、集団的に放棄したのだ。」
「これを六〇年安保前後に活躍した知識人、たとえば吉本隆明の立ち振る舞いと比べてみればよい。吉本がみせた介入(ふみこみ)と比べて、SEALDsを前にした知識人の介入は、驚くほど脆弱だ。間違いなく戦後日本の知識人は衰えている。知力というよりは、筋力が衰えているのである。」
「集合離散のネットワーク型運動論を保持している限り、「日本の民主主義」は「百姓」の「保守性」にかなわない。「政治の場所で個人の言葉を語」った後には、あの「学習サークル」のように日常生活を送る場で政治の言葉を語らなければならない。詩人は反転し、エッセイストにならねばならない。むろん、現代において、その行為はしばしば狂気とみなされるだろう。さすがに狂えとは言えない。が、その狂気は思考のなかに繰り込まれるべきだった。二〇一六年、SEALDsが転向の論理を表明し解散したのは、エッセイストたる狂気を二つ目の中心に据えなかったことによる。彼/女らは詩人−エッセイストを両極とする軸を持ちえなかったのだ。SEALDsの転向は、鶴見的な点の思考の産物である。」
「「だれ」としてそこにいるのか。二〇一六年、私たちの世代で最もよく闘った運動体であるSEALDsは、最終的に「自由と民主主義」の旗を下ろしアスファルトの上に置いた。「君はだれか?」と聞かれ「SEALDsの一員です」と答えるのをやめた。つまり、エッセイストたることができなかったのだ。(・・・)そこに物怖じしたのがSEALDsの限界であり。同時にSEALDsを超える運動体を持たなかった私たちの限界でもあった。そこが限界であったなら、そこから出発せなばならない。
その出発点を明示するために本書は書かれた。」
「二〇一五年、私たちは、アンダークラスとの連帯を放棄したのだ。
さて、どうしようか。」
《小峰 ひずみ『平成転向論』》目次
序 論駁するということ 射影の方法をめぐって
第一章 二〇一五年の鷲田清一
第二章 〈戦前〉から〈戦後〉へ
第三章 〈ふれる〉ケアと加害の反転
第四章 平成の転向者たち
第五章 〈戦中〉派としてのSEALDs
第六章 鷲田清一から臨床哲学へ
第七章 軸と回転 谷川雁vs.鶴見俊輔
第八章 〈地方〉と〈中央〉
第九章 〈旗〉と〈声〉 臨床哲学再論
第十章 SEALDsとその錯誤
終論 待兼山の麓から エッセイストたち