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千葉聡『招かれた天敵――生物多様性が生んだ夢と罠』

☆mediopos-3135  2023.6.18

本書の表紙の中央には
「ベダリアテントウ」のイラストが描かれている

農作物の害虫に対する生物的防除の歴史のなかで
この「ベダリアテントウ」は
柑橘類に壊滅的な被害を与える害虫
イセリアカイガラムシの天敵として
19世紀後半のオーストラリアからアメリカへ導入
画期的な防除効果がもたらされた

駆除すべきカイガラムシを食い尽くした後には
共食いを始めて自然に数を減らしていくため
外来種の抑止問題としても有効だという

こうした天敵昆虫の導入は
19世紀以降に本格化することになり
1919年には「生物的防除(biologial control)」という
用語もつくられているというが
日本では欧米ほどは普及してはいないそうだ

ベダリアテントウによる防除が成功したからといって
必ずしも天敵としての外来昆虫の導入に問題がない
というわけではない

そこには
有害生物vs外来の天敵
自然vs人為という
両者の攻防の歴史があり
成功することもあれば
壊滅的に失敗してしまうこともある

そこでは
極めて複雑な「自然」と
そこに介入することで
それをコントロールしようとする
あるいはそうせざるをえない人間の
戦いが繰り広げられることになる

養老孟司は本書について

「防除は生物的防除の一本槍で済むものではない。」
「話は「ああすれば、こうなる」という具合に
単線的、一直線には進行しない。」
「近代社会は単線的な論理構造で処理できることは、
おおむね処理してしまったのではないか。
それでは処理できないことが「問題」として浮上している。
人の社会なら戦争、自然が対象なら環境問題。」

このように評しているが
本書は問題の解決策を与えるようなものではなく
「〝有害〟な生物に立ち向かう作戦家と、
〝有益〟な生物の使い手らをめぐる」展開の歴史を通じて
私たちの自然に対する意識を問い直すものでもある

〝有害〟〝有益〟というのは
きわめて人為的な価値観であるのはいうまでもないが
「自然を大切に」というような単純な発想で
そのいわば「境」を外してしまうわけにもいかない

「自然との共生」という際にも
それを素朴にとらえてしまうことはできない

実験室で単純な科学モデルによって
解決策を導くような単純を自然に適用させることは
そこにさまざまな問題を生じさせかねないが

きわめて複雑で予測することのできない
自然のありようの前で
どのような態度をとればいいのかは

著者が示唆しているように
「そのための手段のひとつは、過去へ遡り、
何が起きたのかを知ることだ。
歴史は問題を解決してはくれないが、
問題を解決するために、
何を覚悟しなければならないかを語ってくれる。」
ということしかないのだともいえる

養老孟司の示唆のなかで
「人の社会なら戦争、自然が対象なら環境問題。」
とあるが
まさに「戦争」あるいは
それに類する社会問題を考えるときも同様だろう

■千葉聡『招かれた天敵――生物多様性が生んだ夢と罠』
 (みすず書房 2023/3)

「西欧文化を受容し、情報化社会に生きる現代日本人にとって、自然と人間が調和していたとされる過去の日本は、もはや異国である。もしそんな異国に魅力を感じるのだとしたら、それはおそらくロマン主義のエキゾティシズムと同類のものだろう。自然との調和、自然との共生という表現自体、その伝統が失われたか、それが幻だったことの証左ではないか。なぜならそれは、西欧の概念に翻訳しなければ、語れない過去を意味するからだ。

 二度と取り戻せない知恵と生き方にこだわるよりは、いまも確かに残っている独自の文化や自然————守れる文化や守れる自然を確実に守り、次代に伝え、新しい価値に発展させるほうが大切だろう。そもそも森羅万象と関わる日本の伝統世界には、必ず仕切り役として土俗的な因習がともなうが、現代人はそれを有害なものとして拒否し、排除してきた。だが拒絶されたものこそが、知恵、つまり問題の伝統的な解決策だったわけで、私たちはそれに代わる策をもたない。

 それゆえ現代の私たちは、自然が関わる問題の解決を迫られたとき、答えを近代西欧の知恵————科学と技術で導くしかない。それが現代の問題を引き起こした根源であるとしても、それに解決を頼らざるを得ないのだ。

 もちろん背景にある近代西欧の自然観は一様ではない。自然を狭く、人為の範囲を広くとる場合もあれば、精神活動とその結果以外の部分は自然に含めることもあるし、人間を自然の中に含める場合もある。

 だがここでは、自然を、人間と人間の直接の創作物以外のもの、と定義しよう。どこまでを人為とするかは、じつは非常に難しい問題で、おそらく自然との境界は不明瞭だ。しかし、あえてそこまで踏み込まず、上記の単純な見方を採ることにする。

 たとえば野菜は自然物か人工物か。畑で育てた野菜なら、自然と人為の共創物、農地も同じ。ものによって関わる度合いが違うと考えよう。人手の加わった野菜でも、野生生物が豊かな森は、自然度の高い環境というわけで、自然環境に含めるとする。

 自然と人工のような二分法、二項対立、世界の単純化、法則化は、自然科学の定石である。複雑な世界かえあ本質的な要素と法則を抽出し、単純なモデルにして世界の理解と説明を試みるのだ。モデルの妥当さを裏づける証拠があり、モデルの予測が現実の系の振る舞いと合致するなら、モデルは実用上の問題を解決する強力な手段となる。

 だがこれは自然科学がはらむ危険な側面でもある。もし対象とする系が著しく複雑で、多様な要素で構成されていたら、その一面しかモデルでは説明できない。ところが、現実の、つまり考慮も説明もできていない、あらゆる面が関わる問題の解決策に、その単純なモデルが役立つと錯覚し、実際に使われてしまう場合があるのだ————あたかも世界があまねくひとりの神で支配されていると信じているかのように。

(・・・)

 農地や生態系など、生物が関与する環境は、まさにそうした複雑で多様さに溢れた系の例だ。したがってそこに生じた問題を自然科学に基づいて解決するのは、時に大きな危険がともなう。特に環境を単純なモデルでとらえている場合は、要注意である。系の複雑さに隠れている重要な要素が見落とされている可能性が高いからだ。

 とはいえ、私たちには、ほかに手段がない。自然環境に生じた問題は当面、自然科学を利用しなければ解決できない以上、危険を知りつつ、科学を利用するしかないのだ。

 自然を良くするため、自然から利益を得るため、また有害な自然に対処するため————それが善意であれ、悪意であれ、正義であれ、欲望のためであれ、目的と動機の如何にかかわらず、自然環境に何かの操作を加える行為がいかに危険か、また、どうすればその危険を回避しつつ、目的を果たせるのかを考えておく必要がある。

 そのための手段のひとつは、過去へ遡り、何が起きたのかを知ることだ。歴史は問題を解決してはくれないが、問題を解決するために、何を覚悟しなければならないかを語ってくれる。

 それは実のところ現代の私たちの、自然に対する意識と無関係ではない。自然に与えた操作と、それに対して自然が示した応答の歴史は、自然に対する価値観にも波及するからだ。

 なぜあなたは「自然が好き」なのか。その理由の一端は、歴史にある。

 さて本書はこうした自然科学を舞台に、〝有害〟な生物に立ち向かう作戦家と、〝有益〟な生物の使い手らをめぐる、一般的な問題を追って展開する。だが本書の意図は、この問題の解決ではない。そうした一般性は目的としていない。終盤に明かされるその意図は、ごく個別的なものである。だがどんな個別の問題も、背後には普遍的な歴史があり、等しく考慮する意義がある。それに、個を大切にすることなく、全体の問題を適切に解決できるはずはないのだから。」

○目次

はじめに

第一章 救世主と悪魔
夢の薬 / 自然のバランスを取り戻せ / 夢の天敵 / 赤い寄生蜂

第二章 バックランド氏の夢
外来生物 / 世界を支配するものは何か / 創造主の慈悲と夢の食材 / 豚か仔牛のようで、キジのような風味がある / 素晴らしい未来のために善を為せ

第三章 ワイルド・ガーデン
帝国の恵み / グレイヴタイ・マナーの領主 / 自然な庭園 / 赤い雑草 / 侵略の生態学

第四章 夢よふたたび
金の時計とダイヤモンドのイヤリング / 不毛な大地 / これを「自然のバランス」と呼ぶ / あれこれ考えるより、まず行動

第五章 棘のある果実
ブリスベンでの出会い / 赤い染料 / サボテン旅行委員会 / 謎の蛾 / 最初の一撃 / 赤い大群

第六章 サトウキビ畑で捕まえて
旅する昆虫学者 / 葉の上を跳ぶもの / 少しでも多く獲れ / グレイバックの災い / 海を渡ったカエルたち

第七章 ワシントンの桜
旅の始まり / 異国の旅 / 悲しい成功 / 友好の証 / 退く天敵 / 高まる敵意 / 危機を未然に防ぐとヒーローになれない / 大義の前に情を捨て

第八章 自然のバランス
分類学なくして防除なし / 密度依存 / 動物集団のバランス / 自然のバランス論争 / 自然はたいてい複雑である

第九章 意図せざる結果
理論か実用か / 光と陰 / 諸刃の剣 / 反自然的行為はもうやめなければならない / パラダイムシフト / 天敵には天敵を / 前車の覆るは後車の戒め

第一〇章 薔薇色の天敵
カタツムリの悪夢 / 戦いの始まり / 病気より悪い治療法 / 薔薇色の狼 / 楽園の行方

第一一章 見えない天敵
群島にて / 賑やかな夜 / 見えない捕食者 / 防除の行方 / もうひとつの道 / 封印の解き方

謝辞
参考文献
索引

○千葉聡(ちば・さとし)
東北大学東北アジア研究センター教授、東北大学大学院生命科学研究科教授(兼任)。1960年生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。静岡大学助手、東北大学准教授などを経て現職。専門は進化生物学と生態学。著書『歌うカタツムリ──進化とらせんの物語』(岩波科学ライブラリー、2017)で第71回毎日出版文化賞・自然科学部門を受賞。ほかに、『進化のからくり──現代のダーウィンたちの物語』(講談社ブルーバックス、2020)、『生物多様性と生態学──遺伝子・種・生態系』(共著、朝倉書店、2012)などの著作がある。

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