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山脇岳志『SNS時代のメディアリテラシー ―ウソとホントは見分けられる?』/ハナムラチカヒロ『まなざしの革命 世界の見方は変えられる』

☆mediopos3661(2024.11.27.)

10代のためのノンフィクションシリーズ
「ちくまQブックス」第3期
「情報爆発社会を生きるためのあたらしい教科書」として
山脇岳志『SNS時代のメディアリテラシー』が刊行されている

「10代のための」とあるが
むしろネット社会に不案内な方にこそ必要な内容となっている

とはいうもののいわゆる専門家による「教科書」的な視点でもあり
「見方を変える」ことにはつながらないところもあるので
それに加えてmediopos3656(2024.11.22.)でもとりあげた
ハナムラチカヒロ『まなざしの革命 世界の見方は変えられる』の
「情報」についての視点もあわせてとりあげることにしたい

メディアからの情報が少なかった時代に比べ
現代は情報爆発の社会だといえるが
情報を受けとり理解できる量は限られているため
「情報への向き合い方」
つまり情報の中から「ウソとホント」を見分けることが
非常に難しくなってきている

情報環境が劇的に変化してきたのは
1990年代後半にインターネットが普及しはじめてからで
2005年前後からソーシャルメディアが
2008年ごろからはスマートフォンが広がり

「誰でも発信でき、誰もがメディアという時代になったことで、
新聞やテレビなどのマスメディアの影響力は低下して」きている

「マスメディアを信用するかどうか」は
「イデオロギー(政治的意見)と結びついてい」て
「アメリカ人全体で、マスメディアを信頼している人は
3割程度にまで下がってしまってい」るという
(日本ではメディアへの信頼度が急激に落ちているところ)

ちなみに共和党支持者の間でマスメディアへの信頼度は10%台
民主党支持者の間では6割近い人が
マスメディアを信用しているという

日本の現状はまだアメリカほどの「分断社会」にはなっていないが
昨今の選挙等におけるマスメディアの激しいまでの凋落をみると
アメリカとは異なった社会環境ではあるが
日本も「分断社会」へと傾斜していくことは
避けられないかもしれない

山脇岳志は
「一人一人がマスメディアやソーシャルメディアの仕組み、
それと人間の心理や社会との関係についての理解を深め、
物事を多様な視点でみていくことが、
暮らしやすい社会に結びつく」としているが
実際はそうした「教科書」的な視点は絵に描いた餅かもしれない

ハナムラチカヒロ『まなざしの革命』では
そうした現状を踏まえながら情報への私たちの態度について

「今、私たちはメディアから流れてくる情報に対して、
いくつか異なる見方を示し始めている」という

「最も一般的だと思われる見方は、
従来通り報道機関が報じる情報をそのまま受け入れること」だが
その場合「「なぜその情報が発信されるのか」という
そもそもの前提は見落とされがち」で
「その情報が発信されること自体が、
世論を誘導しようとしている可能性は常にある。」

「メディア」とはそもそも「中立的な立場ではなく、
何かの意図を持って情報を報じる性質がある」るために
「それに注意することもなく、
流れてくる情報を多くの人が鵜呑みにすると、
皆が一斉に間違えてしまう可能性が高まる。」という

そうした見方に対して
「マスメディアの報道や政府の公式見解を
片っ端から疑う見方」がある
「そういった懐疑的な態度を取る人は、以前と比べて増えている。」
しかし「インターネットの中に真実があるとは限らない」
それを鵜呑みにすると「それは自らが批判する
「マスメディアによって誘導されている人々」と大差な」くなる

どちらの見方にも偏らないためには
「報道機関やウェブメディア、SNSなどの
さまざまな情報をフラットに眺め」
「どの情報が信頼に足るもので、
どの情報が怪しいのかを精査する態度。
そして何が正しくて、何が間違っているのかを
自ら確かめようとする努力」が必要になる

「情報は単なる情報でしかない」

「情報に固執することも、情報を遮断することも、
情報に過剰な価値判断をすることも見方を曇らせてしまう。」

「情報とは私たちがその場で
必要な行動を判断する上での単なる材料であり、
情報だけが私たちが何かを判断する唯一の拠り所ではない」
ということを常にふまえておかなければならない

『まなざしの革命』での示唆に付け加えるとすれば

現在の社会状況は選挙報道やワクチン接種の問題
マイナカード(保険証)の問題を含め
少なくとも今後数年は
こうした混乱した状態が続くと予想され

それらはメディアリテラシーを学ぶための
とてもすぐれたライブ的な実践環境となっているといえる

そこには「教科書」からは得られない
貴重な「まなざし」が得られるはずである

■山脇岳志『SNS時代のメディアリテラシー
 ――ウソとホントは見分けられる?』
  (ちくまQブックス 2024/11)
■ハナムラチカヒロ『まなざしの革命 世界の見方は変えられる』
 (河出書房新社 2022/1)

**(山脇岳志『SNS時代のメディアリテラシー』
〜「はじめに 情報におぼれてしまう?」より)

・世界の情報の量はどのくらい?

*「世界中で1年間に作られているデータの総量って、いったいどれくらいあるか、わかりますか? 企業や個人はコンピューター、タブレット、スマートフォンなどで文章や図表、動画などのデータを作り、そのデータはインターネットを通じて世界中に流通しています。

 さて、答えです。IDCという国際調査会社の2023年の発表によれば、2022年に世界中で生成されたり消費されたりしたデジタル情報量は101ゼタバイトと推計されました。1バイトは半角英数字1文字分の容量です。1キロバイトはその約1000倍、1ゼタバイトは21個もの0がつく天文学的な数字です。世界中の砂浜にある砂粒の数をハワイ大学の研究者たちが試算したら7.5×1018という推計でしたが、その推計に従えば世界中の砂浜の砂粒の数の約13500倍にもなります。

 世界中にどれくらい砂浜があるかもわかりませんが、その砂粒たるや……ということで、まあ、想像を絶する量のデータや情報が流れている。その中から自分にとって必要な情報を自分で見つけに行くというのは大変なことです。」

・1年間のデジタル情報量は1ゼタバイト

*「便利な時代といえますが、世の中にもっと情報が少なかった時代に比べて、情報への向き合い方が難しくなったともいえるのです。

 なぜ難しいのでしょうか? 一つわかりやすい例を出しましょう。

 世の中にあるデータ量を砂浜の砂粒の数と比較しましたが、砂粒はいろんな色をしていますよね。仮に、白い砂粒が本当の情報、黒い砂粒を嘘の情報とします(1バイトのデータが1つの情報とはいえないですし、白が良い、黒が悪いという発想は単純すぎますが、わかりやすくするための例示です)。

 実際の砂浜には、白い砂粒もあれば黒い砂粒もある。嘘か本当かわからないようなグレーや茶色い砂粒もありますよね。白くみえるけれど、洗ったら黒い砂粒かもしれない。世の中にある情報は、さまざまな色や形をしているわけです。

 また砂粒がどう扱われているか、という点も実は違います。ある砂粒(情報)は、情報を扱うプロ(たとえば新聞やテレビといったマスメディア)がチェックして(洗ってみて)、色や形を確かめています。しかし、別の砂粒(情報)は、誰もチェックせずに、誰かがX(旧Twitter)につぶやいたものかもしれません。

 日々ますます増えていく膨大なデータや情報の中で、おぼれてしまう(砂に埋まってしまう)ことがないようにする。コンピューターが選んでくる自分好みの情報に振り回されずに、自分にとって本当に必要な質のよい情報を、自分の意思で選び出していく。そんな作業は、とんでもなく難しいですよね。」

・約30年間、記者をしていました

*「遅くなりましたが、自己紹介をさせてください。私は、ちょうど還暦(60歳)になった元記者です。22歳から56歳まで、朝日新聞社に勤めていました。

 1986年に新聞社に入り、栃木県宇都宮市で事件や事故を追いかけていたころは、原稿用紙に手書きで記事を書いていました。

 当時は、大事件や大事故が起きても、SNSで情報が流れたりしませんし、スマートフォンもありません。情報を集めたり確認したりするのは、現地にいくか、固定電話で行っていました。入社後まもなく、肩からかける「ショルダーフォン」という移動電話(大きすぎるので携帯電話とも言えないですね)が支局に配備されて、驚いたのを覚えています。重さは3キロもありました。

 それからしばらくしてワープロやパソコンで記事を書くようになり、携帯電話はどんどん小型化されていきました。

 テクノロジーの進展とともに、記者の仕事も変化します。劇的に変わったのは、1990年代後半にインターネットが普及しはじめてからです。新聞社も、紙の新聞だけでなくインターネット上のデジタル発信に力をいれるようになりました。

 さらに2005年前後からソーシャルメディアがよく使われるようになり、2008年ごろから、手のひらサイズのコンピューターといえるスマートフォン(スマホ)が広がってきました。ちなみにソーシャルメディアとは、インターネット上で人がコミュニケーションをとるFacebook、Instagram、XなどのSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)に加えて、動画共有サイトやブログなどを含む広い概念です。

誰でも発信でき、誰もがメディアという時代になったことで、新聞やテレビなどのマスメディアの影響力は低下していきました。

 約30年間の記者生活のうち9年は海外に住んでいました。2000年から03年までと2013年から17年まではアメリカの首都、ワシントンで仕事をしました。

 2001年にはニューヨークとワシントンで旅客機を使った大規模な自爆テロで3000人以上が亡くなり、2016年には虚偽発言や人種差別をくり返したドナルド・トランプ氏が大統領に当選するという「アメリカの転機」を目撃しました。」

・何を信じたらいいかわからない?

*「ただ、そうした大きな出来事以上に私にとって衝撃だったのは、1回めと2回めの駐在の間の10年でアメリカ社会がすっかり変わってしまったことでした。保守派(右派)とリベラル派(左派)の感情的な対立が激しくなり、マスメディアへの信頼度もがくんと落ちたのです。

 保守派とリベラル派とは、どう区別されるのでしょうか。国によってもとらえ方は違うのですが、アメリカで保守派といえば、以下のような考えの人が多いです。

 政府の仕事は無駄が多いので規制は緩和し、税金は安いほうがよい。貧しい人のための生活保護はあまり必要ではなく、外国からの移民の受け入れには反対。「自助努力」が大事であり、黒人などの社会的弱者を(大学の入学選考などで) 優遇するのも反対。厳格なキリスト教信者が多く、女性の妊娠中絶や同性婚には反対。個人の自由を大切にする考えから銃を持つことに積極的(銃規制に反対)。

 リベラル派は、その逆ですね。政府は良いこともするので、業界への規制も必要だし、税金は少々高くてもよい。貧しい人のための生活保護を充実することや、(大学の入学選考などでの)黒人などの社会的弱者の優遇には賛成で、移民もある程度は受け入れてもよい。女性は自分の判断で妊娠中絶をする権利があり、同性婚にも賛成。銃については規制を強化して、なるべく使えなくするべき。

 内実は複雑ですが、ごくおおざっぱにいえば、そんな色分けができます。

 共和党で保守派のトランプ氏は、民主党のリベラル派を徹底的にけなすことで、白人を中心に保守層の多くの人を惹きつけ2016年の大統領選を制しました。

 マスメディアへの対応も独特でした。トランプ氏の政治集会に出かけると、後方の記者席を指差し、「彼らを見ろ」と聴衆をあおり、聴衆が「最も不誠実なやつらだ」と一斉に叫ぶのが定番でした。トランプ氏は、主流メディアによる報道を「フェイクニュース」と呼び、「アメリカ国民の敵」であるとも言い放ちました。

 共和党支持者の間でマスメディアへの信頼度は目にみえて下がっていきました。今ではマスメディアを「とても信頼できる」と「まあ信頼できる」とする人の割合を足しても、10%台にとどまっています。一方、民主党支持者の間では6割近い人がマスメディアを信用しています。」

《政党支持者別にみたマスメディアへの信頼度 (アメリカ、1972─2023) GALLUP 調査より》(表参照)

「マスメディアを信用するかどうかが、その人のイデオロギー(政治的意見)と結びついているわけですが、総じて言えばアメリカ人全体で、マスメディアを信頼している人は3割程度にまで下がってしまっています。

 私はアメリカのそうした姿をみて衝撃を受け、メディアとは何か、どういう問題がありどういう役割を果たすべきなのかについて、真剣に考えるようになりました。そして日本に戻ってきたときに、人々のメディア接触と価値観との関係を客観的に調べるための世論調査や、メディアに関する教育に携わりたいと思い、現在のスマートニュース メディア研究所に転職しました。

 問題意識の根っこには、日本がアメリカのような分断社会になってほしくないという思いがあります。一人一人がマスメディアやソーシャルメディアの仕組み、それと人間の心理や社会との関係についての理解を深め、物事を多様な視点でみていくことが、暮らしやすい社会に結びつくと思うからです。」

**(ハナムラチカヒロ『まなざしの革命』〜第四章「情報」より)

・情報は情報である

*「膨大に流れる情報に対して、それを受け止めて消化するための時間はあまりにも短い、だから私たちは情報の流れの速さ、出来事の多さにただ翻弄されて、ほとんど思考停止に陥っている。そうやって何を信じていいかわからなくなると、広い視野を持つことを放棄し、狭い範囲で自分の利害に関係する情報や、わかりやすい情報だけにフォーカスする。あるいは次第に考えることをやめて、見たいものにだけ目を向けるようになる。そんな人々が多数を占めている社会はますます分断が進むが、逆に全体主義的な管理社会となる恐れがある。

 今、私たちはメディアから流れてくる情報に対して、いくつか異なる見方を示し始めている。最も一般的だと思われる見方は、従来通り報道機関が報じる情報をそのまま受け入れることである。それが真実であろうとなかろうと、多くの人が共有している知識や認識、価値観を受け入れるのが常識的だと判断する人はまだまだ多い。だが「なぜその情報が発信されるのか」というそもそもの前提は見落とされがちだ。その情報が発信されること自体が、世論を誘導しようとしている可能性は常にある。メディアとは、元々の成立の経緯からしても中立的な立場ではなく、何かの意図を持って情報を報じる性質があるものだからだ。それに注意することもなく、流れてくる情報を多くの人が鵜呑みにすると、皆が一斉に間違えてしまう可能性が高まる。

 ではその反対に、マスメディアの報道や政府の公式見解を片っ端から疑う見方はどうだろうか。メディアは操作されており、政府は嘘をついている。そんな態度で情報に接して、公式に報道されたことや多くの人が信じていることを受け入れずに、インターネットの中に真実を探そうとする。そういった懐疑的な態度を取る人は、以前と比べて増えている。だが、インターネットの中に真実があるとは限らないし、むしろ嘘に満ちている可能性の方が大きい。インターネットでは嘘が真実のフリをしても責任を問われることはない。それに一見、嘘のように見える真実は見落とされがちだ。編集もされず優先順位もつけられていない情報が流れるインターネット空間では、自分で情報を集めて自分で編集せねばならない。だが見たい情報だけ追いかけていると、簡単に何かの方向へ誘導されてしまう。それは自らが批判する「マスメディアによって誘導されている人々」と大差ないことになる。

 そんな中で何にも誘導されないような態度とは、そもそもたくさんの情報にまなざしを向けずに、何も知ろうとせず、何も考えようとしないことである。社会で何が起こっているのかの全体像や、誰がどのような解釈をしているのかに関心を抱かない。ただひたすら自らが好きなことにフォーカスする態度。社会の矛盾に悩むこともなく、深く考えることもなく、自らの欲することに忠実に突き進む態度、それは愚かかもしれないが、こんな時代では最も「強靱」なのかもしれない。だが、それは同時に最も「脆弱」でもある。自らの欲望こそ誰かにつくられている可能性が高い上、自分の見たいものにだけフォーカスしている人ばかりになると、社会には死角がどんどん拡がっていく。関心あることに目を奪われている間に、気がつけばあっという間に自分たちに不都合な状況が整えることも起こりうる。もし民主主義社会をうたうのであれば、主権を握る私たちが自らのことしか考えない愚かな主権者であることはとても危険なことだ。」

*「ではどのような見方が正解なのだろうか。報道機関やウェブメディア、SNSなどのさまざまな情報をフラットに眺めること。どの情報が信頼に足るもので、どの情報が怪しいのかを精査する態度。そして何が正しくて、何が間違っているのかを自ら確かめようとする努力。そうした情報との向きあい方がこれまで以上に必要になる。そのためには根気と忍耐力、そして能力を高めねばならないが、今の情報時代における真実の求め方の一つの方向性にも思える。

 同時にニュートラルに情報を見つめることは本当に難しいことだと知っておかねばならない。嘘か真実かに囚われすぎると情報の激流に溺れてしまい、知れば知るほど何が真実かわかなくなっていく。そうなると途中で考えることを諦めてしまうか、もしくは適当なところで立場を固めて好みの解釈だけを選ぶようになる。そうでもしないと何を信じるべきかわからずに、心を病んでしまうからだ。私たちは何かを信じたいと思っている。だから簡単に何かの主義や立場に囚われ、何かの解釈に囚われ、何かの感情に囚われてしまう。その状況こそ、私たちのまなざしが誰かによって操作されるのに好都合である。」

*「だから、私たちに最も必要なのは「情報は単なる情報でしかない」と正しく見る見方である。現代はあらゆる情報が、新聞やテレビ、ウェブサイトやSNSなどのメディアを通じて複合的にやってくる時代である。また誰もがある特定の見方で情報を切り取り、発信できる時代なのだ。そんな世界では、これまで以上に絶対的な真実などありえない。情報に固執することも、情報を遮断することも、情報に過剰な価値判断をすることも見方を曇らせてしまう。情報は情報に過ぎない。そうやって離れて眺めることが正しい理解であり、情報に溢れる社会の中で生きる最も賢い態度だろう。情報とは私たちがその場で必要な行動を判断する上での単なる材料であり、情報だけが私たちが何かを判断する唯一の拠り所ではないのだから。」

○山脇岳志(やまわき・たけし):1964年、兵庫県生まれ。京都大学法学部卒。1986年、朝日新聞社に入社。経済部記者、オックスフォード大客員研究員(Reuter Fellow)、ワシントン特派員、論説委員などを経て、「GLOBE」の創刊に携わり、編集長を務めた。2013年〜17年までアメリカ総局長。帰国後、編集委員としてコラムを担当したのち退社。2020年、スマートニュース メディア研究所の研究主幹に就任。2022年より同研究所所長。2021〜24年、京都大学経営管理大学院特命教授。現在は帝京大学経済学部客員教授を兼務。著書に『日本銀行の深層』、『郵政攻防』、編著に『現代アメリカ政治とメディア』、『メディアリテラシー 吟味思考を育む』などがある。

○ハナムラ チカヒロ
ランドスケープアーティスト、研究者。
1976年生まれ。大阪府立大学大学院生命環境科学研究科博士後期課程を修了。大阪府立大学准教授。2012年、一般社団法人ブリコラージュファウンデーションを設立。専門であるランドスケープデザインとコミュニケーションデザインをベースにした風景異化論をもとに、空間デザインやインスタレーションアートの制作、映像制作やワークショップ、その他の企画プロデュースなども行う。大規模病院の入院患者に向けた霧とシャボン玉のインスタレーション「霧はれて光きたる春」で第一回日本空間デザイン大賞・日本経済新聞社賞受賞。バングラデシュの貧困コミュニティのための彫刻堤防などの制作、世界各地の聖地のランドスケープのフィールドワーク、街中での状況パフォーマンス、映画や舞台に俳優としても立つ。著書に、『まなざしのデザイン〈世界の見方〉を変える方法』(2017年、NTT出版、平成30年度日本造園学会賞受賞)、宗教学者鎌田東二氏との共著 『ヒューマンスケールを超えて――わたし・聖地・地球(ガイア)』 (2020年、ぷねうま舎)がある。

◎山脇岳志『SNS時代のメディアリテラシー
       ――ウソとホントは見分けられる?』(webちくま)


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