長谷川 英祐 『働かないアリに意義がある』
☆mediopos-2484 2021.9.4
働かないハタラキアリの研究をされている
同調圧力とは無縁の研究者(著者)の
「無駄こそ人間の証なり」という宣言!?を読むと
無駄ばかりして生きてきたじぶんが勇気づけられる
すぐに役に立つことや結果がわかること
無駄のない効率的なことは
理解され評価されやすいが
その生産性の高さは
視点を変えてみると
必ずしもプラスであるとはかぎらない
論理や理論も同様である
論理や理論が成立するためには
多くの場合そこに当てはまらないものを
最初から視野の外に置く必要がある
意識的に排除することもあれば
除外したことに気づかないことさえある
なぜ「働かないアリ」が重要なのかといえば
「瞬間的な効率よりも長期的な存続が
優先され」たからだと著者は説明している
一見無駄に見えることは
視点を短期から長期にうつしたときに
決して無駄だとはいえない
無駄こそが全体を活かす可能性があるのだ
著者はおそらく同調圧力に抗してだろうが
「小学校3年生くらいの時に
「教師とつきあわないのがベスト」
と悟って実行したので」
生きてこられたということだが
ぼくの場合はもっと早く
幼稚園を即逃げ出した頃から
同様な態度をとるようになった
理由は「どうしてみんなと同じことを
しなければならないのか」という拒否反応だった
とはいえ好きなことばかりでは生きていけないので
仕事とそれ以外をほぼ分けて
仕事ではじぶんの役割を必要な範囲だけこなし
それ以外では社会的なるものから極力はなれ
同調圧力的なことを排しながら
なんとかこれまで「生きてこられた」
つまりは個人的にいえば
社会的に「無駄」とされている
そんなことばかりして生きてきたわけである
いまこうして書いていたりすることもそうだが
本書のタイトルをもじっていえば
「無駄ばかりしている自分に意義がある」
のではないかと勝手に思っている
■長谷川 英祐
『働かないアリに意義がある』
(山と渓谷社 ヤマケイ文庫 2021/8)
「私は、普段人が気にも留めないちっぽけなムシたちを主な研究材料にしています。実学的な意味ですぐに役に立つことはありません。しかしムシ眼鏡を通して人間の世界を見ると、実に面白い。様々な環境が変わりつつあり、いままでのやり方が通用しなくなりつつある日本という人間の社会が、どうしようとしていて、それはどのような結果をもたらすだろう、など、普通に生きていたのではまったく見えないであろう世界を、ムシのグリグリ眼鏡は私に見せてくれます。
真理に出会えた瞬間はとても感動的で、良質な芸術がもたらしてくれるのと同質な感動を与えてくれます。基礎科学は、すぐ役に立たないという意味で働かないアリと同じです。しかし、人間が動物と異なる点は無駄に意味を見出し、それを楽しめるところにあるのではないでしょうか。(・・・)生物は基本的に無駄をなくし、機能的になるように自然選択を受けていますから、無駄を愛することこそが人という生物を人間たらしめているといえるのではないでしょうか。」
「働かないアリ」研究の動機は、「全員が同時に働いたほうが、瞬間的な生産性は高いのに、なぜ全体の効率を下げても働かない者は必ず現れる仕組みをアリが採用しているのか?」という疑問でした。(・・・)答えは「全員が疲れて働けなくなると、誰かがいつもやっていなければならない重要な仕事をこなすことができなくなり、コロニーが大きなダメージを受けることを回避するため」です。
つまり、瞬間的な効率よりも長期的な存続が優先されていたのです。
論文を公表した後、自然選択説に立つ欧米の研究者から、この結論に異議が唱えられ、インドの新聞社から意見を求められましたが、事実は事実。彼らが研究したアリが違うとしても、私の材料は私の仮説を支持します。生物がなぜ今の姿や行動を示すのかは、その生物がたどった歴史を反映しているので、「アリだから皆同じ」というわけではありません。
一神教の学者は統一原理が好きです。しかし世界は複雑だし、それを安易に「まとめて」理解しようとすると大事なことを見落とします。「まとめる」ということは細かい情報をそぎ落とし、分かりやすい概念だけで現象を理解しようということですから、そぎ落とされる情報に現象の本質があれば、それに基づいた理論は検討はずれなものになってしまいます。
というわけで、「働かないアリ現象」から「瞬間増殖率の最大化」ではない「適応進化の原理」があるのではないかと考え、現在その研究をしています。
答えに到達していると考えていますが、その原理は、自然選択と両立し、両方が働くことで、一見、自然選択説と矛盾する進化現象(性の進化など)を説明することができます。ダーウィンは偉大な科学者ですが、40億年を生き延びてきた生物は一筋縄ではいきません。」
「子供の頃から個性的な人間を矯正しようとする日本の同調圧力社会では、人と違う考え方をする人間は潰されます。幸い私は、小学校3年生くらいの時に「教師とつきあわないのがベスト」と悟って実行したので、ここまで生きてこられましたが。」
「科学とは不思議なもので、オリジナリティがあり、革新的な理論ほど重要だとされているのに、そういうものを扱った論文は「通りにくい」。若い研究者は就職するためには論文の本数が必要なので、すぐ通る「下請け仕事」に走りがちで、野心的なテーマに挑むものは少ない。私のように、もう先がない者は、あえてそういうテーマをやれますが、手間ひまかかる割に実りは少ない。
「下請け仕事」で職に就いた学者は、研究費の審査などでもそういう研究ばかりに高得点を付けるので、下請け研究がますますはびこります。悪循環だし日本の科学の将来は暗いが、私はもうすぐ引退なので別にいいです。」
「今、役に立つものだけに投資しろ、という声は良く聞かれますが、それは滅亡への一本道です。40億年間を生き抜いてきた生物たちが、効率より存続を優先しているということが、無駄の重要性をなにより物語ります。
無駄こそ人間の証なり。」
「科学は理論体系の構築を大切な目的としていますが、理論との整合性ばかり考えていても、生物がその理論にしたがっていなかったら無意味です。かつて、ある高名な生物学者が「ダーウィンの進化論が出た段階で進化生物学者のやることは終わっている」と述べるのを聞いて、強い違和感を覚えたことを思い出します。
生き物はとても多様であり、その生きる環境も様々ですから、「どのような進化が起こっているのか、完全にわかった」などという態度は、思いあがりであるように私には思えたのです。
科学のなかで一つの理論体系が成熟してくると、すべての現象をその理論体系で説明できるものと考え、新たな考えを排斥する風潮が高まります。生物学者も社会のなかに生きる一つの個体ですから、周りの人間がみなそのように考えていると、自分が見た現象を最初からその枠組みの中で考えるように仕向けられます。また、そうしないと研究を認めてもらえないので、そうしない者は生き残ることができず、ますます思考の固定化が進みます。
しかし、説明できないものはどうしても説明できません。」
「大学の一教員である私は、かつて学生にある質問をされて「それはこういう意味だ」と説明しました。彼は納得して帰ったのに、後で「先生の言ったことは教科書に載っていません」と言ってきました。私はそのとき「君は自分の頭で納得したことより、教科書に書いてあるかどうかを正しいかどうかの基準にするのか? 科学者は、正しいと思ったことは世界中のすべての人が〝それは違う〟と言ったとしても、〝こういう理由であなた方のほうが間違っている〟と言わなければならない存在なのに?」と怒りました。
多くの研究者(プロを含む)は、教科書を読むときに「何が書いてあるかを理解すること」ばかりに熱心で、「そこには何が書かれていないか」を読み取ろうとはしません。学者の仕事は「まだ誰も知らない現象やその説明理論を見つけること」なのにです。優等生とは困ったものだと「変人」である私は思います。私はこれからも変人として、私たちの研究がそのような新たな科学の発展に役立つ一例となるよう、やっていきたいと思うのです。」
「生物の進化や生態の研究には、まだまだ何が出てくるかわからない驚きが残っていると私は思いますし、驚きがないのなた、そんな研究はもうやめたほうがましだと思います。人生もそうかもしれませんが、いつも永遠の夏じゃないからこそ、短期的な損得じゃない幸せがあると思うからこそ、面倒臭い人生を生きる価値がある、とは思いませんか?」
【内容】
ヒトの社会、ムシの社会/ 「とかくこの世は住みにくい」/個体は社会から逃げられない
7割のアリは休んでる/アリは本当に働き者なのか/働かないことの意味/なぜ上司がいなくてうまく回るのか
アリに「職人」はいない/お馬鹿さんがいたほうが成功する/働かないアリはなぜ存在するのか?
「2: 8の法則」は本当か/怠け者は仕事の量で変身する/経験や大きさで仕事は決まる
みんなが疲れると社会は続かない/規格品ばかりの組織はダメ/わが子より妹がかわいくなる4分の3仮説
生き残るのは群か?血縁か?/実証不能のジレンマ/社会が回ると裏切り者が出る
なぜ裏切り者がはびこらないのか/最初にやった仕事が好き/自然選択説の限界
説明できないという誠実さ/いつも永遠の夏じゃなく
など
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