5月11日 印刷について
結論からいうと、紙は無くならなかった。
というのも、ある研究によってデジタルとアナログで理解度の差が生じたからだ。無くならなかった紙は、教科書や専門書などの理解度に強く関係している本やノート、トイレットペーパーだけと言っても過言ではないだろう。
雑誌や新聞、ポスター、手帳、様々な書類は尽く電子化した。ただ、子どもが主たる利用者である漫画や子ども新聞は電子化してはならない、そんな風潮が蔓延している。電子化した背景には、温暖化や人手不足なども理由として挙げられている。
かつては、コンビニやオフィスには大型プリンターが設置されていたが、利用者の減少に伴いインクや設置料などのランニングコストが爆上がりしたことで、そうしたコピー機は教育機関を除いて存在しない。
合わせて大きく変化したことといえば、履歴書だろう。取り敢えず、履歴書というモノ自体はなくなった。もし、アルバイトや就職活動をする場合は、「Online Resume」と呼ばれるもののコードをメールや電話、チャットアプリ、就活用サイトで企業や事業所に通知するだけで良くなった。志望動機よりも、今までに何をしてきたのかというスキルについて記述することが多く、中途採用を含めた就職の際には、マインドテストやスキルテストの結果の提出を求められることもある。
これも、勿論Online Resumeのコードを伝えるだけで済む。
多くの人が関与するところで言えば、飲食店の伝票やお店でのレシート・領収書もモノ自体は姿を消した。企業の経費として落ちるものは厳格に定められ、脱税や粉飾決算というものは先ずできなくなった。また、家計簿を付ける必要もなくなり、購入履歴から基準を指定すれば自動で永遠に付けてくれる。
大事なものを忘れるところだった。「お金」も実物はなくなった。無くなってどうなったかは多くの人が知るところだが、どういった風になっていったのかという、詳しいことは何れ綴るが、貨幣が先に無くなり、紙幣が産まれて少ししたときに無くなった。見たことがあるだけで、実際に触ったことはない。
前に書いたように、記憶の定着はアナログの方が良いということで、電子辞書ではなく紙辞書が多く使われ、存続が危ぶまれていた辞書や辞典などは主要産業とまではいかないが、少ないながらも堅い利益を上げているみたいだ。
記憶の宮殿を普請するに当たっても、触ることのできる辞書というのは、強い。
因みに、アナログとデジタルで学習に影響が出るのかどうかということに関しては、間接的ではあるが日本で研究が為されていた。けれど、そのことを事実ではないと信じて疑わない人が多くいたために、偽情報だとして忘れ去られていた。
デジタルの文章を日頃から目にしている人は、およそ2秒で3,000文字を処理していると聞いたことがある。そんな速度で処理してどんなことが書かれているかということを理解するということは不可能だろう。
他にも記憶の定着には、他にも睡眠や腸内細菌が関与しているらしいが、これについても、その内書くことになるだろう。