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マンガ『ルックバック』で抉られすぎたので、一言言わずにはいられなかった

『チェーンソー』藤本タツキ氏の143ページ読み切り漫画が、インターネット上で物議を醸した。

この漫画を読んで、様々な"感動"があったからに他ならない。

"感動"とは、お涙頂戴だけではない。
歓び、悲しみ、驚き、恐怖…

快、不快、様々な感情が一同に動かされたことによって、結果"話題"となった。

公開日が丁度京アニ事件発生から2年後に公開されたこと、作中で京アニ事件を想起させる出来事が盛りこまれていることによって、議論は更に白熱した。

私が感じ取ったのは、そんな現実の事件への追悼でも、随所に張り巡らされた凝った仕掛けへの感動でもなかった。

これは、私の物語だと思った。

だからこそ、他の様々な感情で穢されたくないという思いが真っ先に浮かんだ。

おそらく、"何かに挑戦してきた多くの人"がそう感じたために、"そうでない人"との間に温度差が生じ、意見の対立にまで及んだのではないかと予測している。

この、学習机に向かってひたすら作品づくりに打ち込む姿は、遠き日の自分そのものなのだ。

始まりは、小さなことに過ぎない。
軽く描いた絵が何度も表彰されたから。
学級新聞の4コマで褒められたから。
ちょっと描いてみた漫画を、同級生が見てくれたから。

自分で自分のことを天才だと思っていたし、私にはは話作りの才能があると思っていた。

天才には努力すら必要ないのだと本気で思っていた。

予定が狂い始めたのは、やはり小学校高学年になってから。

隣のクラスのあの子に本気で敵わないと思っていた。

2歳上の先輩の人気に嫉妬していた。

必死で描いた。

インターネットもない時代、絵の描き方なんて知る由もなく、ただひたすら描いていた。
「自分は天才なんだ」と信じたくて。

何かに認めてほしくて、必死で描き続けてきたが、やがて私のなけなしのプライドをボッキリと折る出来事が起こる。

県内唯一の美術科高校に進学したかった。

「お前は何も功績を残してないから、受験はさせられん」

それが担任の回答だった。

悔しくて、悔しくて、放課後のトイレに篭って、ワンワン泣いた。
もう一生分かってくらい泣いた。
自分の努力が、全て無駄だと言われたような気分だった。

普通に運動も勉強もできて、生徒会もこなしていた内申書の良い私は、美術科のある高校の"普通科"に推薦入学することができた。

せめて同じ学校に通えば、何かしらの恩恵を得られるのではないかと思っていた。

だが実際は、美術の勉強をし続ける美術科を横目に、淡々と大学進学の準備をさせられるだけだった。

人生が真っ暗闇になった気分だった。

高校を抜け出して、絵を通じて知り合った大学生の通う女子大に潜り込ませてもらっていた。
まったく理解できない大学の授業に、無料で出席し続ける日々。
友達の授業が終わるまで、空き教室でひたすら絵を描き続ける日々。

私には絵が全てだった。
やめることなどできなかった。

だけど商業に乗り出す気持ちにはなれなかった。
挑戦して、認められないことが怖かった。
"凡人"の烙印を押されることが嫌だった。

なぜなら、私は絵だけ描いて生きていたかったから。

そんな時だった。
7つ下の妹が、中学校でイジメに会い、不登校になった。

彼女はひたすら絵を描いて過ごした。

そう、まさに『ルックバック』の京本のように。

妹はメキメキ上達していった。

発行した同人誌は、多くの人に求められ、またたく間に売れっ子作家になった。

「や〜めた」

私が筆を折った最初の出来事だった。

正直、見下していた。

7つも下の妹に、自分の7年間を、そう易易と追い越されてたまるかと思っていた。

自分の7年間が、吹けば飛ぶような薄っぺらいものだと思い知らされた時、私は結婚して、子供を産んでいた。

主婦で、趣味で、たまに描ければ良いと思っていた。

嫉妬に狂いそうだったため、大人気もなく、妹と絶交もしていた。

また7年の月日をかけて、今度は必死で子育てをしてきて、自分がどんどん空っぽになっていく感覚だけがあった。

何者でもなく、欲することもなく、情熱もなく、個を押し殺して、ひたすら"母"と"妻"という仮面を被り続ける日々。

ある日爆発して、ついに倒れた。

そこからだった。

また描くことを抑えられなくなったのは。

入院した精神病棟で、ただひたすら描いていた。


ひたすら描いていた私を見つけてくれたのは、"人"だった。

"人"に認められたくて、認めさせたくて、私はすべてをなげうって個展を開催した。

グループ展にも参加した。

満足だった。

正直、絵なんてめんどくさいし、描いても描いても終わらないし、できれば描きたくない。

念じた絵がそのまま浮かび上がってこないかな、と何度も思う。

でもインターネットが発達した今、たくさんの神絵師の作品を拝めるようになって、理想的なイラストが目の前に現れたとしても、やはり私は描きたくなるのだ。

これが"才能"じゃなかったら、何だと言うんだ。

絵なんて、できれば描きたくない。

でも、絵を描いて生きてきた。

私にもずっと、京本のように寄り添ってくれてきた友人達がいた。

私の作品を真剣に読んでくれる、君達のその顔が見たくて、作品を作ってきたのだ。

もしかしたら嫉妬で気が狂いそうになる妹も、ずっと私の背中を見てきたからこそ、絵の道に進んだのかもしれない。

受け入れられなかったのは、私だけだったのかもしれない。


私の夢は、"何でもいいから絵だけ描いて過ごすこと"

朝起きて、描きたいだけ絵を描いて、また眠りに着く。

それが許される生活をずっとしていたい。

年月が経って、今度は娘が不登校になって、ひたすら絵ばかり描いている。

私の薄っぺらい20数年なんかあっという間に飛び越えて、メキメキ上達する彼女には、感服しかない。

朝起きて、描きたいだけ描いて、また眠りに着く生活をずっとし続けていることが、うらやましくて仕方ない。

だけど今度は私が、娘にとっての藤野になれやしないだろうかと本気で思う。

二人でずっと、創作について笑いながら語らい合っていくためなら、私は地球の裏側にだって飛んで行ける。


ルックバックは、私の物語だ。

妹が描かなくなっても、娘が描かなくなっても、私は私のために、絵を描き続けるのだ。

また、絵が描きたくなった。

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