見出し画像

世界の全ては自分が作り出している

「自分という存在が消滅したら、宇宙そのものが消滅する」

という説がある。

宇宙というのは一人につき、一つ存在するという考え方だ。

私はこの説が結構好きで、それが本当なら、世界はもっと自由だと思う。

そもそも物質を構成する素粒子は、観察者が観ている時に初めて存在するという科学的論拠は、ずいぶん昔に発見されている。

二重スリットの実験

宇宙を観測する「私」が消滅する時、「私の宇宙」そのものがなくなる。

なんとも壮大な話だ。

意識しなければその存在を捉えられない

もう少し日常的な話に落としこむと、「嫌がらせを受けた」という出来事がある。

セクハラにパワハラにモラハラに、ハラスメントはこれでもかってくらい日常に潜んでいる。

しかしこれはハラスメントを受けている側が「嫌だ」と感じない限り、そこに存在しないことになる。

同じ言動を受けたとしても、全く意に介さない人もいるわけだ。

どうでもいいけど、私は夫に怒鳴られながら掴みかかられたり、感情任せに壁に穴を開けられたりを繰り返していても、マジでそれが暴力だと認識できなかった。

真剣に私が愚図でどうしようもない非人間だからこういう現象が起きていると8年間も思っていて、誰にも相談できなかった。

嫌がらせを受けた側は、「120%悪意がある」と思っていても、相手の常識の中では「嫌がられるとは夢にも思ってなかった」場合がほとんどだ。

私も「これが暴力だ!」と気が付いてから、相手の悪意に敵意を持ったが、夫はマジで120%「お前が俺を怒らせるから悪い」って思ってた。

なんなら「俺がコイツと子供達を正しい方向に導かなければならない」って真剣に考えてたし、「あなたの行為で私は死にたくなる」と伝えた時は、マジで正気を疑われた。

でも結婚する前はそれが暴力だと本当に認識できなかったし、自分が我慢すれば世界はうまく回るんだと本気で信じていた。

まあそれで死にかけたことで、ようやく外にヘルプを出せるようになったわけですが。

人間は嫌われたくない生き物

だって、人間は嫌われたくない生き物だもの。
わざわざ嫌われたいと思って行動する人は、「俺なんか忘れてアイツと幸せになった方がコイツのためだ」とかって少女漫画の世界にしかいないんじゃないでしょうか。知らんけど。

ほんと残念なことに、イジメの首謀者も、会社のお局様も、暴力夫も虐待親も、「相手が嫌がるかどうか」なんて意識の外にあるんだ。

ともすれば「相手のために」とか「仲間のために」とか「社会のために」とか本気で思ってる。そのように認知が歪んでしまっている。

認知の歪みは矯正で直すことはできるのだけれども、大体の人は生きられない出来事に直面するまで、自分が矯正しなきゃいけないレベルなのかどうかも知らずに生きている。

そんな相手の認知を「矯正してやろう」とか、「嫌がらせの報復をしよう」とか、「なんとかして相手を変えよう」としている時は、そんな相手と同じステージに立ち続けていることになる。

自分自身が「そんな人間もいたな〜」と、目にも入らないくらいステージを変えるのが一番効果がある。

相手を意識の外に置いている自分になることができれば、低いステージの人間は近寄ってこなくなる。

ちなみに夫君は、未だに「お前が悪い!」「子供が悪い!」「会社が悪い!」「社会が悪い!」って暴れることはありますが、「あなたはそう思ってるんだね〜」って、彼の価値観を認めてあげると、すぐに大人しくなります。

それを論理的に「それはこうでこうじゃない?」と、彼の価値観を否定してたので、口で言い返せない彼は、感情が爆発して大声と腕力に頼るしか自分を守る術がなかったんでしょうね〜。

とは言え、暴力は絶対に許せることではないので、腕力で主張を通すようなことは許容しませんが、いつも誰かや何かのせいにして不平不満だらけで不貞寝していた彼は、今では朝6時に起きて子供達の朝食と弁当を用意し、洗濯を干してから会社に行き、夜は19時までには帰宅して、夕食を用意する一人の父親に変わりました。

おかげさまでようやく私も精神療養できる環境が整い、今ではこの経験を役に立ててもらおうと、各地で講演を行わせていただき収入を得られるようになりました。
本当にありがたい限りです。

捉え方一つで世界は変わる

私が知るトップセールスマンは、正月実家に帰省して近況報告をした際に、父親から「お前に俺は絶対超えらんねぇ!」と言われたそうだ。

私だったら、「子どもの可能性を信じてあげられないどころか、邪魔をする、典型的な毒親だな〜」と思ってしまいそうだが、彼は違った。

「こんな歳になってまで親に期待されているなんてありがたい」

と満面の笑みで語っていた。

彼はトップセールスマンだから、こんなポジティブな捉え方ができるようになったわけではなく、意識を変えたからトップセールスマンとなったのだ。

その最初の原動力に、「親に認められたい」という想いはあったかもしれない。

「どう頑張っても認められない」という想いをバネにして、「認めてくれない親」という意識を解放し、自分の道を歩いている成功例の一つだなと感じました。

意識を変えるということ

意識を変えるというのは、表面的に「ないことにする」とか「無視する」とか、そういうレベルの話ではなくて、「潜在意識を書き換える」ということ。

繰り返し繰り返し、なりたい自分を潜在意識にインプットしていくことで、やがて現実の方が変わっていく。

例えばネガティブな言葉を言わないようにする。ネガティブな言葉を使う人と距離を置く。ポジティブな言葉だけを使うように意識する。

「あいつマジないわ〜」って言っているだけで、「あいつ」が誰だか区別できない人間の脳は、「自分ってマジないわ〜」って考え方も潜在意識に刷り込ませてしまう。

そうすると、チャンスなのにトライできない、頑張りたいのになぜだが頑張れないという自分を作り上げていってしまう。

松岡修造が「できる!できる!」と連呼しているのも、潜在意識に「できる自分」をインプットさせることで、ここ一番で「誰よりも自分自身を信じること」ができるようになる。

世界のトッププレイヤーや、トップビジネスマンは、この潜在意識を上手に使うということにホント長けていて、だからこそ極限までストイックに自分を追い込むことも可能なのだなと思い知らされる。

事故や災害や事件

この考え方の話をする時、必ずひっかかるのが、事故や事件や災害などで大変な苦しみを味わった場合も、

「潜在意識がそれを求めていたのか?」

という話だが、求めている求めていないという話ではなくて、意識が「現実社会にそれはある」と認識しているという話。

例えば私達の集合意識には、まだ「人が念力で空を飛ぶという世界はファンタジーだ」という認識がある。

だから人は念力で空を飛べない。

だけどもし、「私は飛べる」という人がいれば、その人にとっては現実だろう。

「人類は念力で空を飛べる」と確信している人間だけが、その存在を認識できるようになっているし、「ファンタジーだ」と強く認識している人間には、それが「トリックだった」と解析された記事の方が信憑性が高いと感じられ、「人は念力で空を飛べない社会」が現実化するだろう。

災害や事故、事件で子どもを喪ったり、生後間もない子が虐待死したりと、痛ましい事件が世の中には多いが、「そんなことは起こり得ない」という強い確信を社会的に作っていけない限り、それが発生するのは「今日の私」である可能性があるということだ。

世界は、もっと自由だ

上記の考え方は、ロンダ・バーン著『ザ・シークレット』や、ナポレオン・ヒル著『思考は現実化する』などで、爆発的に広まった自己啓発的な思考法だが、歴史上の偉人達を見ても、まず「自分はできる」と、自分自身を信じきるところから始まっているように思う。

そして偉人達のストイックな強さは、必ずと言っていいほど苦難から始まっている。

自分が味わった苦しみを、「他の誰かにもう二度と味わってほしくないから」

その強い理念から発せられた言葉が、行動となり、人を動かし、より良い社会へと変動し、偉人と呼ばれるようになった。

彼らに共通しているのは、苦難にすら感謝していることだと思う。

苦難があったからこそ今の自分があり、その結果、社会で苦しむ人を減らすことができたと。

今、受難のまっただ中にいると言うなら、その苦難すらも自分が用意したストーリーだと、それを越えた先に何か必ず意味があるんだと思えた方が、生きていく意味を感じられませんかね。

生き残った人から、成長する人へ

心理学用語では、心的外傷の原因に対して恨み辛みから逃れられない人のことを「サバイバー(生き残った者)」と呼びます。

そしてそれらの感情を整理し、次の段階に進めるようになった人のことを「スライバー(成長する者)」と呼びます。

自分も人も、社会も、ありのままを受け止められるスライバーとなるには、まず「苦しんでいる自分」を受け止めなければなりません。

何が苦しかったのか、本当はどうして欲しかったのか、甘ったれな自分、寂しがり屋な自分、自己中心的な自分、お子様でわがままな自分、全部認識して初めて人は「変われます。」

そしてその自己認識すらも大抵歪んでいるので、誰か家族以外の第三者の価値観が必要というわけです。

その第三者は、「認知の歪みとは何か」を勉強し続けている人で、あなたが心から信頼できる相手なら誰でも良いと思います。

「世界を変えたい」と強く願うなら、そんな人との出逢いを求めて、一歩動き出すことからなんじゃないかなと、息をすることすら苦しくどうしようもなかった私が、こんなにも生きやすくなったんだよという経験から、お節介を焼かずにはいられないのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?