白昼夢へ、透明少女

片方ずつ繋いだイヤホンから、ナンバーガールの『透明少女』が聞こえてくる。Rに僕の右耳、Lに彼女の大きめのイヤリングがついた左耳。今から海へ行くのに、邪魔にならないのかと心配になる。右耳からいつもより余白の多い音楽が雑に聞こえ、左耳の余白には列車がレールを越える音が聞こえる。
今さっき喧嘩したばかりだ。理由は忘れてしまった。多分お好み焼きはご飯のおかずになるか否かとか、目玉焼きは塩か醤油かとか、はっと思い出した時に笑い出してしまいそうな内容だと思う。
それでも繋いだままの手がお互い力なくぶらっと重力に負け、その手には座席下から噴出されている効きすぎている冷房の風に打たれている。
後ろの窓には木々が生い茂っていて、その切れ間にはコンクリートジャングルが広がっている。目の前の窓はブラインドが閉まっていて強い光が入るたびに日光の証明を果たしていた。

二両編成、辺鄙な土地の赤い電車。第一線を退いて都会からやってきたこの列車のロングシートは得体の知れない尻を運んで赤黒く変色している。
車両には僕たち二人しかいなかった。夏休み、海に向かっているはずの電車はもしかしたら違うところへ向かっていたのかも知れない。
『白昼夢みたいだね。この列車はどこへも向かってないし、私たちも向かってないのかも知れないね。』
彼女は前を向いたまま、そう言った。
『どうだろう。白昼夢にしては普通すぎる。おかしいところが何もない。列車のリズムだって寸分狂いはないし、光は無造作に侵入を繰り返してる。』
僕も一度だって彼女の方を見ない。
『だからだよ。これっぽちもおかしくない、完全な空間世界なんてあるわけない。もし、これが夢じゃないとしたら、私たちは異空間に飛ばされてるはずだよ。』
音楽と一緒に右の方から彼女の声が次々届く。
『夢だって醒めなければこのままでいい。異空間だってこのままどこへもつかない列車に二人で乗っていたい。』
繋いだ手から少しだけ重力から解き放たれる感覚がした。
『現実世界からハブかれた存在になっちゃうじゃん。本当はこの世界はやっぱり正しくて私たちが狂ってるのかも知れない。』
『それでもいいよ。もう戻りたくないんだ。』
『だったら一人でそうしなよ。白昼夢も異空間も、その中に存在すればするほど私は消えていく。あなたも消えていく。私たち2人だけでは存在し続けれないよ。』
繋いだ手がどちらからともなく汗ばんでいることを知った。情報量が多い汗をぎゅっと握りしめる。
『分かった。海で降りよう。』
ここで、ようやく僕は彼女の顔をみた。彼女もこちらを振り向いた。
『気づいたら俺はなんとなく夏だった。』
ナンバーガールが叫んでいた。いつもより遠く聞こえる好きな曲。透き通った彼女の目が笑いかけていた。目の前の窓からの光量が増した。
2人で背後の窓を眺めると、海がそこにあった。海面は異様にキラキラしていた。嘘っぽく空は青かった。詰んだテトラポッドは崩れそうで仕方ない。寄せては返す波は僕たちと同じようだった。繋いだ手を繋ぎ直し、彼女は大きなイヤリングを片手で器用に鞄の中へしまった。

変な時間にうたた寝をしてしまって、こんな夜中にその夢の内容をつらつらと書いてしまった。見たことない夢ではない。高校2年生の時に当時の彼女と海へ向かうと途中の思い出の断片だった。
ただ記憶がここしかない。本当にその後海へ行ったのか。海でどう過ごしたか。疲れた体で夜は何を食べたのか。彼女とどうやって別れたのか。
何もかも忘れてしまって残った記憶は、どうでもいい日常。『透明少女』の歌詞の中に、『記憶、妄想に変わる』という歌詞がある。そしてこの彼女は『過去は自分の希望がいくらでも反映される』と言っていた。
白昼夢のような情景は、僕の記憶であり本当に夢の中の映像だった。どこかに僕の希望が激しく混ざり、止め処ない妄想が真実を捻らせているかもしれない。
現実も記憶もこれでいい。遠出の帰り道が行きよりも早く感じること、世界一美味いと思っていた中華料理店に久々に行ったらそうでもないこと、人の顔を明確に思い出せないこと。それらと同じなんだと思う。でも嬉しくも悲しくも勝手に進んでいく時間が逆流することはない。すべての記憶はすべて現実にならないまま、現在が存在している。
その現在が終わってないのは、本当の記憶と僕の希望妄想なのは間違いない。
あの後海へ辿り着いたのかは分からない。もう彼女に連絡して確認することもできない。今も『透明少女』が鳴り止まない。
全ての記憶を抱きしめながら、なんとなく現実を生きていければとどうしようも無く思う。

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