宣誓、これからの私

友達「あなたはほんとうに変わらないね。」

私「変わらないのがいいでしょ!(どや)」

中学卒業後、別べつの高校に進学して、高校時代に再会したときのことだ。

当時、高校生になると、髪を染めたり化粧を激しくしたりして見た目を変える子が多かった。”高校デビュー”と呼ばれていた。私はじぶんに固執していたつもりはなかったのだが、それでもやっぱり周りの変わりようにはどこか斜に構え見ていたかもしれない。これはそんな中で私が鮮明に覚えている友達との会話である。

あれから10年ほどのときがたった今。

じぶんはほんとうになにも変わっていない。悪い意味で、である。未熟なじぶんを変えれていないのである。当然、生物として老けはしたが、垢ぬけない暗い見た目も自己愛の強い中身の幼稚さも変わっていない。もしかすれば、あの高校時代にすでに、友達は見た目だけではなく、”高校デビュー”と揶揄されながらそれに伴って中身も強くしっかり大人に成長していたのかもしれない。私はずっと、傷つきたくなくて変わってない。

***

話しは変わって。

facebookを見てしまった。

大学の先輩なのだが、新卒後大手商社に入社した。大学時代は勉強に関しては真面目ではなかったけれど、要領がよく明るくひとに好かれるような人だったので、真面目なみんなを差し置いていちばん最初に内定を獲得した。企業が欲しいと思う人だったのは、間違いないし、どこかみんなも納得していたんじゃないかなあ。

facebookを見る限り、会社も楽しそうで週末は学生時代から大好きなスノボーに今でも勤しんでいた。また新たな趣味も始めたらしい。まぶしすぎる。

こういう流れになると、もうじぶんと比べ始めちゃうよね。人間の摂理。わざわざ、じぶんが傷つく、落ち込む、暗くなるものなんて見なきゃいいのにね。

だから対してじぶんはというと、趣味なし職なし金なし、である。

私はそろそろ本気で変わらなければならないのである。「変わらないのがいいでしょ!(どや)」なんて、口が裂けても言うことじゃない。化石である。

今の境遇が社会的にどうかということを言いたいのではなく、私の気持ちの在り方なのである。つまり、ちゃんと楽しく生きられているか?という問いへのこたえがYES!なのかどうかということである。キラキラとかはどうでもよくって、じぶんの楽しさを持っているか?

しあわせであることは間違いない。それを毎日噛みしめている。

でも、もう少し楽しく生きたいからさ、私は変わらなければならない。成長しなければならない。変化の節目に弱くて、生真面目で、暗くて、笑わない。感傷的で、好き嫌いが激しくて、わがままで気難しい、性格を。

心ない大人のことばもあって弱い私は傷つくけれど、「へへへ~(笑)」って調子にのって、こっちのごきげんのほうが勝つぐらいになりたい。

今よりももっと、笑えるように。

今よりももっと、たくさんの経験ができるように。

今よりももっと、新しい世界に出会えるように。

今よりももっと、おもしろい魅力的な人間になれるように。

友達がひとりでもできるように。

ほしいのはこれだから、目の前のちょっとした邪魔な石ころなんてどうでもいい。

おはよう、これからの私。

オードリー若林先生の「ナナメの夕暮れ」がいま、いちばん読みたい本です。



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