危険信号・霊障
自分で危険信号に気付かないと本当に危ない_(┐「ε:)_
ここ数日本当に死にかけた。
突然発症してしまったのか積み重なって徐々にこうなったのかは不明。
文面にしてまとめないと自分の心の内を整理できないので、つらつらつらつらと書いて行く。
実はここ数日は非常にジェットコースターのような日々を送っていた。
楽しい事もあったし、覚悟を決めた上で進めて来た事はなぜか心のどこかで重圧を感じていた。
2023年08月26日のラストLIVEを迎えるこの3日間、そして1週間程前からのストレスは非常に危険な状態であった。
振り返って常軌を逸していた事は、抜け出せたからでもある。
兆候が分からずに突然来てしまうからこそパニックになるのだ。
・激しい動悸
・胸が閉まる感覚
・吐き気
・下痢
・感情の乱高下
・過呼吸
・眩暈
・冷や汗
とくに感情のコントロールが制御不能になってしまうのがあまりにも恐ろしいのだ。
LIVEの前日は会社で倒れてしまい、非常に危険だった。
休憩中に気絶してしまったし、思考もうまく動作せずに冷や汗が止まらずに心臓がずっとバクバクと波打つのだ。
原因不明で突然やってくるのだ。
そして、当日はギリギリ迄動き出す事すらもできなかった。
家の外に出て玄関先で座り込み動く事ができなかった。
ただただ、空を眺めて呆然としてしまい、心臓が激しく波打ち嫌な汗が流れるのだ。
危うくLIVEを飛ばしかねない位な危機感があった。
そして、なんとか落ち着いて自分に大丈夫だと言い聞かせてLIVEハウスに向かった。
しかし、LIVE中の記憶が一切ないのだ。
酒をそんなに飲んで居ないのに、ほぼ記憶が無いのだ。
どんなセトリでやったかも覚えて居ない。
おぼろげには覚えているが、ほぼ記憶にない。
それ位に恐らく精神的に限界だったのだろう。
どれだけ最後だろうとも、やはり我慢の限界を超えて来たのだろうと振り返って思う。
そして、翌日もこの波は終わらずに、仕事には行ったが、1時間に1回休憩を取るが、30分睡眠をして少し立ち直るもまた同じ症状が出る状態が続いてしまう。
仕事にならずに早退をさせて頂きました。
我慢して仕事しようと思ったが、あまりにも体調が酷かったので、もう無理だと思い、フラフラになりながら帰宅。
これが功を奏した気がする。
帰りは各駅停車でゆっくりと寝ながら帰ろうと思い、電車で爆睡。
そして、最寄駅で降りてからはゆっくり徒歩で自分の好きな道を歩いて散歩をしながら帰路につく。
ここまでの全てを思い返しながら、大変だったなって言う感情や、頑張ってやり切ったなと言う感情も含めて色々と考えて居るとやけにその日の夕日が綺麗で仕方が無かった。
夕焼け時の、まだ町が生きている時間に帰れるのも良かった。
まだ暑さが残るけど、セミの声もどことなく寂しさを感じて夏の終わりが来そうな空気を感じた。
なんだか、ゆっくりな、こうした当たり前の時間を過ごせる事もあまり無かったなと実感。
喧騒な中を過ごして、刺激の多い日々、それも好きだが、ゆっくりと時間が動く感覚の中で歩くのもすごく心が落ち着いたのだ。
家に着く頃にはすっかり体調も戻っており、あまりにも夕日が感動的だったので、そのまま彼女と散歩に出かける。
辺りは暗くなりかけており、なんだか街の景色がお祭りの後のような静けさすら感じた。
時間がゆっくりと進み、数日の喧騒な状況から一変してどんな状況でも味方してくれる彼女には感謝しかないと改めて思った。
夕方の外を歩くと、家のどこからか夕飯の香りがして来るのが小さい頃から好きで、なんとなくカレーを作りたくなった。
カレーの材料を買い、久々に夕飯を作った。
なんだかそんな当たり前の時間がとても幸せに思えた。
この感覚を死んでも忘れないと思った気がする。
身体こそジジイになっているが、子供の頃の汗だくになって遊んで疲れ果てて家に帰る感覚があった。
魂が弾み、心が喜ぶ方向に人生はいつでも進める事が大切だと思った。
身体の急な症状だが、確か始まりが1年半位前になるのだが、急激に身体が言う事利かなくなった。
身体や精神的な違和感が半端じゃなくて限界となった。
全ての言葉が刃のように胸に突き刺さり、本当にしんどくなってしまった。
褒められようが、称えられようが、その全てが重圧となり、悪心が生まれてしまう。
当然、人の愚痴や文句もだし、人の目が気になるようになり、外から出れなくなりかけた。
外に出れば、過呼吸のような意識が遠のいて心拍数が上がってしまい、動機と息切れがあまりにも激しくなった。
挙句の果てに変な汗が出て貧血みたいになって何度か電車で倒れた事もある。
ドアのすき間に口と鼻を置いて、空気を吸い、ドアが開けば1度外に出ておもいっきり深呼吸をしなければならない状態である。
仕事や私生活や音楽の全てが自分の思うように行かない時期があり、その中でも他人の言葉が本当に自分に凶器の如く突き刺さる状態になってしまった。
限界突破した頃、休職or退職を願い出た。
蓄積されたストレスがどうやら終焉を迎えたようだ。
そして、その後もその後でルーティン化していた配信活動も限界を迎え、ついには殻に閉じこもった。
感情の抑えが利かなくなり、暴発してしまったのだ。
昔は泣き言はよく言うのだが、涙を流すような事は無かった。
だが、歳のせいか涙腺が緩くなって泣くようになったり、感情の起伏があまりにも激しくなったりした。
とにかく休憩したい。
休みが欲しいのに、次々とスケジュールは更新されて行き、もう何も手に付かない状態になっていた。
パニック障害である。
まさか自分がメンタルブレイクするとは思わなかった。
過去に何度かブレイクした事あるが、休職して半年とか働けなくなったこともある。
身体と思考が停止してしまうのだ。
勿論、本質で言えば自分が良くないのだ。
自分のせいである事は間違いないのだが、抱えきれなくなってしまうのだ。
なんとかうまく行かそうとしたいのだが、そうもいかない。
胸が締め付けられて、息がしづらくなるのは本当に辛いものがある。
そもそもフィジカル面で来るからまさかメンタルとは思わず、原因が分からず困っていた。
心療内科にも行ったが、うつ症状の診断が出されてしまったのだが、うつでは無いんだよなーと変に違和感がありつつ。
体温調整がうまくいかなくなったり、変な汗が出たりすごく辛いものがあるのだ。
文面にすると、恋をしているデブに見えるかもしれんが、そんなときめいた胸の苦しさでは無い。
色々な問題が矢継ぎ早に到来するので、本当に辛かった。
この症状が出る原因として一番なのが、急激に環境が変わった事にあるが、その中でも『対人関係』が一番の比重がある。
世の中には他人の事をあまり気にしない人と、気にし過ぎてしまう人がいる。
気にし過ぎてしまうとなぜか対応がどうしたら良いかも困ってしまうのだ。
人に対して正解だろうが、不正解だろうが、自分が傷つきたくも無ければ、他人を傷つけたくも無い感情があり、気を使いに使って挙句の果てに無視をしてしまう癖がある。
自分が人付き合いを無くせば、良いと思ってしまうのだ。
引きこもりの中二病なので、殻に閉じこもるのは昔からなのだが、そーゆーのもおっさんになったら変えて行かないとなーって言うのは前からあった。
だから、頑張って気を使って暴言を吐かないように、大人の対応をしてきたつもりではあった。
そんな事言っても自分は陽キャでも無いので、すぐに悪態付いたり口が悪くなってしまうのでアレなんですけどもね。
そんな中で人が増えれば色々な人が居るのであり、やはり様々な対応に迫られる。
特にSNSの対応に関しては様々な事を対策してきたつもりではある。
言いたい事を言うために、自由であるが故に様々な事をやって来た。
・能面を被る
・アカウントをやたら増やす
・QRコードを使い2段階認証制にする
・鍵アカウントにする
・LINEブロック
・アカウントミュート・ワードミュート・アカウントブロック
能面を被り出した位から常軌を逸しているとしか思えないが、顔を隠す事は間違いなく心地いい状態であった。
髪の毛を伸ばし、顔を隠したり、終始サングラスを外さないとか、パーカーのフードを被りっぱなしにしたりなどなど色々と人の目を避けていた気がする。
今思えば、もう限界点は突破していたのだろう。
mixiで投稿をし始めた頃は恐らく常軌を逸していたかもしれない。
・無理するな。
・気にするな。
こうした優しい言葉も沢山聞いた。
でも、心のどこかではすごく傷ついてしまうのだ。
トゲのように突き刺さり、恐怖すらあった。
相手がどう思ってるかは分からないが、心にもない優しい言葉はもしかしたら相手を傷つけてしまう事もあるのだ。
口は災いの元とも言うか、やはり発言・発信は細心の注意が必要なのだろう。
頑張れの方が嬉しい時だってあるのだ。
なんなら、全員から無視されている時の方が頑張れそうな感覚すらある。
訳も分からずに心の内はモヤモヤしたまま毎日を過ごしていた。
それと同時に会社ではパワハラ・モラハラと、精神的に追い詰められるような事ばかり起きてとっくに追い詰められて限界を迎えて居たのだ。
限界だと思いながらも、心のどこかでやり切らなければならない覚悟もあり、逃げたくない感情もあったのだ。
やり切らないと、それこそ後悔をしそうな感じがしたのだ。
だからこそ、何があろうとも、何を言われてもトラブルがあっても乗り越えては来た。
しかし、いつかはコップに注ぐ水は溢れてしまうように、崩壊してしまったのだ。
TWITTERを発信すれば、巻き込まれるし、DMを送りつけられたり、どうでもいいようなしょうもない事件ばかりが起きるのだ。
自分に関係無い事での巻き込み事故も多くメンタルが崩壊した。
ただ、別に人を恨んでいた訳では無いのだ。
自分の中で結界を張り、対策を練る良いきっかけにもなったし、自分で抑止をして制御する事の大切さをとにかく学んだ。
偏屈でひねくれものなのは分かっている。
だからこそ、原因を追究する必要があるのだ。
精神的に限界な時、褒められようが称えられようが嬉しくもなんともない。
これも初めての経験であった。
SNSをやったり自分がステージに立つのは、別に認知の部分では無かったのかもしれない。
その理由として幾つかの原因があるのだ。
まず、興味関心が無い人に向けてやっている訳では無い。
興味関心がある人に対して発信しているのであり、その賞讃とは自分が発信するものに対しての正当な評価が欲しいからこその承認欲求だと思ったのだ。
ただ、寂しいから欲しい評価では無いのだ。
だから自分に対して興味関心があっても、その本質の音楽が好きだと言う土台が無い場合、受け取った賞讃はなぜかトゲの如く心に突き刺さったのだ。
もしかしたら逆だったのかもしれないと、最近は現象を振り返ると思う事があるのだ。
自分が有名になったり、売れている存在であれば話は別だったのだと思う。
仕上がっていないステータスのまま祭り上げられてしまい、賞讃だけが頭でっかちになった気がするのだ。
自分の器があまりにも小さかったのだ。
健康的な売れ方として、音楽が好きなコアなファンが食いつき、その後マスに広がるのが正常である。
それが逆になっている状態は非常に不健康であると感じる。
その際、確実に自分の周りの言葉や自分の中の思考と、今自分の身の周りで起きている事に差異が生じているのだ。
そして、更に言えば自分の力で動かした現象では無いところで働く力が働いてしまい、制御が効かない状態が続いてしまったのだ。
これには様々な人とほぼ毎日のように議論を続けて来た気がするのだ。
俯瞰して見る必要があったし、自分の中の人気では無い事は明らかであったし、それを念頭に動き続けて来たのだ。
ただ、シンプルに音楽がやりたかったのだ。
自分が再び音楽を始めたのは、生きている証拠を残す為である。
生きがいを人にどれだけ残すかが重要なのだ。
この評価を得る事ができないのであれば、当然メンタルも折れそうになるものだ。
相手にもされてないのに等しい気がしてしまうのだ。
きっと何も見てはいないし、聞いても居ないし、何も理解を示してはくれない。
諦めた事は何度も幾度もあった。
醜態を晒して、美談にする気も今更無いし、様々な人に迷惑を掛けた事も事実である。
それでも、周りの友人達はいつも心配してくれてたし、話を聞いてくれてたし、相談も乗ってくれた。
自分は恵まれているのだと思う。
友人のLIVEに行けば、純粋に音楽を楽しんでいる人達も多く、とても羨ましくも思い、絶対にこの場所に戻ると決めていた。
その為には何を言われても自分で決めた目標を達成する為にはやり切らなければならないと決めていた。
話は変わるが、様々な現象が起きた時、もしかしたら霊障かもしれないと思う事もあったのだ。
別に霊現象を体験した訳では無いし、自分がオカルトが好きだからあくまでも目に見えない事だから気のせいと言えば気のせい。
個人の主観である。
死霊なのか生霊が憑いて居るのかは分からないし、もしかしたら言霊のような呪いにも似た何かかもしれないのだ。
憎まれ口叩いていれば恨まれもするだろうし、呪われもするだろう。
自分の知らない間に話が飛び火したり、知らない間に攻撃を受けていた事もあり、周りが計り知れない程迷惑を被って居た事もあるのだ。
そんな時はどれだけ忙しくてもやる事がある。
・粗塩(伯方の塩)と日本酒(鬼ころし)を湯舟に入れて浸かる。
・平将門の首塚に行き参拝
もうここまで来ると困った時の神頼みである。
それほど切迫した状態であった事は間違いないのだ。
怪しさや眉唾なんぞどうでも良い。
古のカリスマの呪いを自分の力とする他に術が無い位に考えて居たのだ。
病は氣からと言う言葉通りなのかどうかは知らないが、なんとなく効果は絶大なのだ。
特に平将門の首塚と、神田明神にお参りに行き、しっかりお礼参りもして足げく通った事の効果はとても大きい気がする。
困った時の神頼みどころか、信仰の対象にしている位である。
平将門公は亡くなられたのは38歳の時である。
この頃に国を変えようとした事は本当にすごい事だろうし、国に逆らったのも後にも先にも彼だけである。
これほどのカリスマ性に頼らずして誰に頼るんだって話である。
一説によると、ヤクザの事務所に出向く位に霊体からするとおっかない場所らしい。
だから、例えば肩に生霊とか低級霊が憑いてたとしたらあっさりと取ってくれるとも言われている。
勿論、失礼があれば当然呪われるだろう。
過去GHQが首塚を動かそうとした時に、呪いの存在を信じずに強行しようとした際に工事関係者に災難が降り注いだらしい。
それも呪いと言われる所以である。
そして、大手町の周辺のビルは机の位置等も決まっており、オフィス街にポツンとこの場所はあるのだ。
皇居の位置から鬼門の方角に位置するこの場所は、かつて江戸城があった頃に、呪いの力を反転させて鬼門を守る為に使われていたとも言われている。
そして、更には地元の氏神様としても親しまれていた為、当然土地を守る神として大切にしなければ怒るのは当たり前の話だろう。
元々人間だった者が、死後祟りを恐れて神化した存在である。
自分の母が生粋の江戸っ子育ちというのもあるのか、非常に馴染みがあると言うか、行った瞬間からなぜだか心地いいのだ。
だから何度も足を運んでしまうのだ。
そうこう色々な事をしているうちに、ある一つのチャンスを友人がくれた。
自画自賛でもあるが、その時に背中を見せる事ができた気がするのだ。
あの瞬間の感動は忘れられない。
49BALLの存在だ。
自分の事は自分で守るって言葉通り、最後に助けてくれたのは自分自身だった。
そして、自分を支え続けて助けてくれた友達や恋人の存在だった。
何よりも、楽しいって気持ちに勝てるものは無かった。
自分の人生で心から輝ける場所がある事は、本当に胸躍るような気持ちになるのだ。
自分でも不器用な人間だと思う。
しかし、それでも自分が信じる道を進むしかないのが人生だろう。
頑固な事も分かっているし、考え方が古臭く頭が固い感じも自分でしている。
だからこそ、様々な事を学べた気がするのだ。
自分らしく生きる事ができない時、どんな名声があろうとも、賞讃の声も本当に辛くてしんどいのだ。
自分らしい生き方ができないのは本当に大変で、その瞬間はみっともないなと思うし、心が折れそうになるし、身体もしんどい。
心と身体が別々に離れてしまう感覚があった。
それでも、この先で何か良い事があると信じ、良い事を起こすと行動をして、とにかくやり切る覚悟を持って進める事ができた。
貴重な経験ができたし、やはり幽霊や妖怪よりも生きている人間が一番怖い。
怪談話とか聞いても、人怖の話が一番怖いのだ。
仕事のパワハラとか、学校や職場のイジメ問題にも通じる話だと思うが、言いたい事は言うべきだ。
しかし、逃げる時は逃げなければならない。
そして、必ずエスケープポイントは存在するはずだ。
逃避とは思わず、避難と考えていつでも場所を確保する事も自分の身を自分で守る事に繋がる。
畳みかけるように数年分の波が一気に来てしまったが、3日程で正常に戻ったので、後は時間が解決するだろう。
もう大丈夫だし、全てはここからがスタートだ。
大いに楽しもう!