素朴な疑問の会
早速、本題に入るが、神社仏閣を巡り、御朱印を購入する時に時々言われる事がある。
『値段はお気持ちで。』
この世でこんなに気まずい気持ちになる事は無い。
なんか知らないが、販売している方の目に見えない圧を感じる。
これだけは言える。
非常に気まずい。
値段設定を自分でする事は自分に判断を委ねられるもので、そこで初めてモノの価値が出るものなのだろう。
幾らかの金額が大切なのでは無く、多すぎず少なすぎずの金額。
相場としては300〜500円程だろう。
しかし、思うのだが、仮に1円を渡したとして難癖ありそうなしかめっ面をされたらどうなのだろう。
時々考える事があるのだ。
『お前は1円でこの恩恵を受け取ろうとしてるのか?』
こんな販売員の心の声が聞こえてきそうで仕方が無い。
そう言った目には見えない圧力が金額を底上げしている気がするのだ。
じゃあこの人はなぜ聞いて来たのだろう。
そんな疑問が出てならない。
そもそも相場で払う無難な感じで行くのであれば、別にお気持ちでとか辞めて欲しい気持ちもある。
仮に1円とか5円(ご縁)だとしたら、そんな人間は厚かましく救われないのだろうか。
いや、神のご加護はそんなものでは無いと思うのだ。
金額の大小で決まるものでは無い…と、信じたい。
逆にたった1枚の紙切れ(失礼)の御朱印に対して、30万払うとして、そこに神のご加護があるのだろうかと。
ん?
御朱印を購入すると、ご加護があるのか?
いや、違う…アレは恐らくスタンプラリーみたいなものだろう。
だから御朱印帳に集めると思うのだが、感覚としてはそうゆうものかと思うのだ。
だとすればなぜに有料なんじゃい!
そんな事言いながらも神社仏閣巡りが好きなので、ついつい購入してしまう御朱印。
気付けばいつの間にか集めているが、なぜ購入してるのか突き詰める事も無く買っていた事に最近気づいた。
『御朱印とは、神社やお寺を参拝した「参拝証明」として押印される印章印影のこと。 いわば、「神仏とのご縁の記録」です。 御朱印は社寺によって異なりますが、「印章」と「参拝日、神社仏閣の名称、祀られている神様・仏様の名前などを墨書きしたもの」で構成されているのが一般的です。』
なんてこったい。
当たり前だがしっかりした真っ当な理由があって驚いている。
1円だけ渡して購入したらどうなるかとか浅ましい自分を悔いたいと思う。
まず、こんな思考をはべらかす事が良くないよねって話なんだが、天邪鬼な性格故にどうしても心のどこかで考えてしまうのだ。
金が無い訳では無い。
金が無ければ元々買おうとも思わない。
そうでは無く、素直に思うところである。
なんだろう…。
言えば言うほど器の小さい人間に感じるこの文面は、テーマ自体間違えている気がする('Д')…。
気持ちも癒されるし、最高である。
別に願望成就の為に祈願しに行ってる訳では無く、顔と名前を憶えてもらいたくて遊びに行ってるようなものである。
ただ、自分の性格としては人神(菅原道真や平将門)が奉られているところが性に合っている気がする。
だから願掛けに行くのであれば、天満宮やら首塚に行く。
困った時の神頼みとは言うが、元人間の方がまだ聞いてくれるのではないかと思うのだ。
それこそ、強大なカリスマ性をかつては持ち合わせた人であろう。
それだけエネルギーに満ち溢れているのだ。
不遇の死を遂げたかもしれないが、呪いなんてものは味方に付けてしまえば、自分にとって巨大なパワーとなると思うのだ。
毒を以て毒を制すとはまさにこの事である。
そろそろまた参拝に行かねばなと思う今日この頃。
そんな感じ◎