農業をしたい妻、旅に出たい夫 #15
2017/07/12
「農業はしんどいよ。大変だよ」という言葉をこれまで何度聞いたことだろう。私が農業に関心があると話すと、農家さんや農作業経験者の多くは必ずと言っていいほど、最後にチクリとこんな忠告をした。
「忙しい時期は朝早くから夜遅くまで、一日中仕事だよ」
「食べる物には困らないけど、お金をたくさん稼ぐのは難しいよ」
「旅行にも行けないよ」
「身体きついよ」
「畑にばっかりいたら彼氏もできないよ」
これらは今まで私が耳にした、農業に対するマイナスイメージの数々だ。一方で「農業は大変なこともあるけど、楽しいですよ」と言ってくれる人もいた。それらは主に、他の仕事を経験してから新規就農をした30~40代の農家さんたちだった。
生きていくためには食べ物が必要と言えども、辛く困難なことばかりなら、人間はとうの昔に農業から背を向けているだろう。だが実際には、「大変」と言いながらも農家を続けている人がいる。新規就農する人や、農業体験教室に通う人もいる。農業には、何か人を惹きつけてやまない小さな光があるに違いないと、思わずにはいられなかった。
私はその光を探るために、「半農半ライター」として体験取材を重ねることにした。大変ながらも「農あるくらし」を楽しみ、自身の才能を生かしたり、夢に挑戦できる環境を自分の手で創り出している人たちの姿を描いてみたかった。
そんな思いを持って訪れた韓国で、私はある夫婦に出会った。6月14日(水)~7月4日(火)の3週間お世話になった、全羅北道長水郡にある農園「백화골 푸른밥상ー100flowers farm」の박정선(パク・ジョンソン)さんと조계환(ジョ・ケファン)さん。「農業をしたい妻と、旅に出たい夫」は、互いの夢を叶えるべく2005年に新規就農し、約2000坪の土地に50種以上の野菜を育てる有機農家として生計を立てながら、冬の間2~3か月は毎年海外旅行も楽しんでいる。
2人のライフスタイルや農業への取り組み方には、無理も無駄も、見栄も欲も何もない。あるのは有機農家として生きていく上でのポリシーと、自分たちの生活に合った販売システム、そしてお客さん(家族会員)への誠実さだ。
化学肥料や化学農薬、除草剤を使わず、有機質の堆肥と微生物で土地を生かす有機農法に取り組むだけでなく、環境に配慮し、界面活性剤が入っていない洗剤、歯磨き粉、石鹸を使用。食べ物のゴミは枯葉や草と一緒に発酵させ、堆肥として活用している。このような暮らしを始めて2年後の2007年、農園「백화골 푸른밥상ー100flowers farm」は有機農家の認証を受けた。
「農園の食卓をそのまま、都市の食卓へ移してみたらどうだろう?」
ソウルでの会社員生活を経て農家になった2人は、そんな素朴な思いから、就農した翌年にオリジナルの販売システムを確立。毎年5~10月の6か月間(24週)、週1回、家族会員に季節の野菜を送る「직거리(直取引)」を始めた。
「就農1年目は主にトマトを作り、仲介業者を通して販売したり、友人知人に発送したりしていました。自家用に野菜も育てていたので、トマトと一緒に送ってみると、“もっと食べたい”という声が多くて。試しに数か月間、家族や友人を対象に、週1回野菜を送ってみたんです。その実験がうまくいったので、翌年から会員を募集し始めました」とジョーさん。
募集期間は毎年4月のみで、今のところ先着130件しか受け付けていない。希望者は後を絶たないが、夫婦2人とボランティア3名でこなせる量を考えるとこれが限界だそうだ。
会員になれば、4月中に6か月分を一括入金するか、月払いを行うかが選択できる。4人以上の大家族会員は55万ウォン(約5万5千円)、2~3人の小家族会員は35万ウォン(約3万5千円)、1人家族会員は30万ウォン(約3万円)。会員の多くはソウル、またはソウルを取り囲むように広がる京畿道エリア在住者だという。
このような販売スタイルを「제철꾸러미(旬の小包)」と名付け、ジョーさんが市民参加型インターネット新聞「オーマイニュース」に文章を書いて紹介したところ、農業研究者たちは「アメリカのCSA(※)やーロッパの農作物販売システムをまねたのだろう」とコメントしたそうだが、ジョーさんたちは当時、アメリカやヨーロッパの情報を全く知らず、関心も持っていなかったという。
2人は就農前から、海外の農業に習うことではなく、韓国の伝統的な農業を実践することを目指していた。西洋化に伴い使用されるようになった化学肥料や化学農薬、単一作物の大規模農業が農村を疲弊させ、土地の力が弱まり、環境破壊と農村の没落につながってしまった、という思いを抱いていたからだ。
そこで昔ながらの農業、すなわち有機農法による돌려짓기(輪作)を行い、土地を肥やしながら少量多品種の作物を育て、季節ごとに採れる野菜を家族みんなで分け合おうと考えた。それが「제철꾸러미(旬の小包)」という販売スタイルを生んだのである。
スタート以来、一度も滞ることなく旬の野菜を送り続けてきた2人だったが、2012年秋には台風被害でビニールハウスが全壊。1か月半にわたり宅配が行えなくなったことがあったという。「家族会員のみなさんに手紙を送り、状況を説明しました。誰一人会員を止めることなく、再開の時を待ってくれたのは本当にありがたかったです」とジョンソンさん。
2人の「農あるくらし」は、虫食いの葉や、均一でない形、泥付き虫付きといった有機農作物の特徴すべてを理解し、週1回の宅配を心待ちにしている会員によって支えられている。
※Community Supported Agriculture(地域のコミュニティに支持された農業)。消費者が地域の農家から、農産物を代金前払いで直接定期購入するシステム。
この農園での生活はとても規則正しかった。特に、ボランティアが働く時間は9~12時、15~18時と明確に決められていた。
朝はパン・目玉焼き・リンゴ・コーヒーといった朝食を各自で用意し、好きな時間に食べたら、9~12時に仕事。12時に昼食をとった後は自由時間だ。午後の仕事は15~18時。仕事の途中には、必ず15分程度の休憩があった。シャワーを浴びて19時半に夕食。料理は主にジョンソンさんが作り、皿洗いはジョンソンさん以外の4人で順番に担当した。
月・水・金は発送作業があるので、ジョーさんとジョンソンさんは朝5~6時頃に起き、野菜を収穫。昼食後、30分ほど休憩した後はずっと働いていたし、私たちボランティアが18時に仕事を終えた後も、ジョンソンさんは夕食を作り、ジョーさんは約1時間ほど農作業を続けていた。夕食後には世界各国のボランティア希望者とメールをやりとりしたり、家族会員からの問い合わせに対応したり。2人はこうして一日中仕事をしていたけれど、どんなに忙しくても、ボランティアに毎日6時間以上の労働をさせることはなかった。
週に一度は休日もあった。午前中は自由時間、昼食後は車で約1時間圏内にある都市をみんなで訪れた。全州で散策してビビンパを食べたり、茂朱のミニシアターでポン・ジュノ監督の最新映画『옥자(okja)』を観たりもした。
この映画館では、日帝時代(植民地時代)に力強く生きた朝鮮人青年と日本人女性の実話を元に描いた、イ・ジュンイク監督の最新作『박열(朴烈)』も上映されていた。
約3週間共に過ごしたカナダ人カップルが一足早く農園を去った後、ジョンソンさんがハウス食品のジャワカレーの箱を私に見せてくれた。「ペイジーたちの部屋に置いてあった」という。彼女たちの置き土産で、私は農園最後の夜に日本のカレーを作ることにした。
中には、畑で採れたエホバク(韓国カボチャ)、ジャガイモ、ニンジン、タマネギをたっぷり入れることにした。日本からお土産として持ってきたイチジク酢を使ってフレンチドレッシングを作り、トマト、タマネギ、ブロッコリー、サンチュのグリーンサラダも添えてみた。
「農繁期は酒断ちしている」というジョーさんの目の前で、ジョンソンさんと赤ワインのボトルを開け、これまで2人が旅した国での思い出話に耳を傾けた。毎年冬になると2か月ほど海外のゲストハウス等に滞在し、本を読んだりドラマや映画を見たり、スーパーで買い物をして調理したり。暮らすように旅をしているのだという。
「友達には、“なんでわざわざ海外に行ってドラマ見てるの?”ってよく言われるけれど、観光するより、部屋でドラマを見たり本を読むのが楽しくて。そういえば、昔はよく日本人に出会ったけれど、ここ数年はあまり見ませんね。日本の人はどこを旅しているんですか?」とジョンソンさん。話はどこまでも尽きなかった。
農業をしたかった妻と、旅が好きだった夫。2人の夢を同時に叶え、12年目を迎えた今の気持ちを尋ねてみると、ジョンソンさんはこう言った。「頭だけを使う仕事より、体も使う仕事の方が自分には合っていると思ったし、農業を始めて一度も嫌だと思ったことがないですね」。一方のジョーさんは「農業は楽しい。でも田舎暮らしは難しいと思うことも多いよ。僕はできることなら、ずっと旅をして暮らしたい」と笑った。
2人が新規就農に至るまでの経緯や、田舎暮らしの現実、海外から来たボランティアたちとのエピソードなど、まだまだ書きたいことはあるのだが、続きは帰国してから少しずつまとめたいと思う。この農園には、今年の秋にまた1か月ほど訪れる予定だ。
▲エッセイ『韓国で農業体験 〜有機農家さんと暮らして〜』 順次公開中