幸せとは何か考えます#383
Facebookで千葉百華さんが
改めて幸せとか、豊かさについて考えている。
zoomとかで一緒に考えてくれる人いないかなあ。それかインタビューさせてほしい。自分の生き方の見直しにもなるなあ💭
という旨の投稿をされていて、いいテーマだと思い、今執筆を開始させました。
今日は、繰り返しにはなりますが、ノんスケにとっての幸せの定義を再確認していきたいと思います。
何を以て幸せと定義するか
幸せについて考える時、「どんな状態が幸せか?」とか、「何が有れば幸せか?」などと考える場合があります。
つまり、今の自分になくて手に入れれば幸せになるということ。
本当にそんな単純なことか否かは、手に入れるまでわかりませんが、考え方としてはわかりやすいのではないでしょうか?
なので、私が欲しいものについて考えながら、幸せの定義を模索していきたいと思います。
私が欲しいもの
幸せの定義から、最終的に欲しいものを考えると私が欲しいものは家族です。つまりは、子供と奥さんということになるでしょう。
人間として当然の答えなのかもしれないですが、同年代か年下の年代で同じような考えの方はあまり多くない印象です。
では、なぜ家族なのか…?という問いですが、極論を言うと彼女との将来を見据えた結果がそこにありました。
元々、大好きな彼女を大切にしたいという欲求があったのですが、それを具体的に考えていくと、彼女との将来だとか、彼女の自由や選択肢の最大化、子供の自由や選択肢の最大化こそが一番自分が満足できる論理らしいです。
自分で言うのもなんですが、私はあまり自分の物欲を満たす為に生きていると言うよりかは、自分の大切な人が喜んでくれることを日々の活動のモチベーションにしているようです。
これは、かねてからこの毎日noteから自己分析を重ねて得られた結果です。
綺麗事に聞こえるかもしれないですが、彼女が幸せになることが自分の幸せだから、自分を幸せにする為に彼女の幸せを第一に考えているのです。
なぜ彼女なのか?
疑問に思う人が多いと予想されるのが、なぜノんスケは彼女からパワーを受け取ることができているのか、ということではないでしょうか?
実際私自身ですら、本能的にそう感じて生きてきたので、あまり詰めて考えてはいなかったのですが、彼女の幸せ↑=自分の幸せ↑と感じるのは紛れもない事実らしいです。
ただ、そこについてあまりなぜ彼女なのか?というのは考えたことがなかったので、少し深掘りしてみたいと思います。
なぜ彼女から力を貰えるのか?
私のことをこれまで一番誰が支えていてくれたのかを考えました。そこにいたのが彼女だった。
最も私の考えを聞き、考えを理解し、好みを知ってて、良い所も悪い所もお互いに知り合った関係性がある。
私が辛い時は遠距離恋愛でも寄り添ってくれて、そしてどんな女の子よりも話を聞くのが上手なところに救われた。
結論を言うと、彼女が私の人生の中で、私のことを支えてくれた女の子だから、彼女に人生をかけて恩返しをしたいと思ったのかもしれません。
「あ、この人なら自分の人生預けていいな」と思った。私の彼女はそんな素敵な女の子です。
なので、彼女に特別な感情を持っているし、他の方では、なかなか代わりは務まらないし、何より隣にいる期間の差が違いすぎる。
結局は、一緒にいて居心地か良いかという安心感と、自分のアイデンティティを認めてくれる随一の存在であることが、大きいのです。
だから、彼女の為なら頑張れる。
そう、胸を張って言えるのです。
その先を考える
ここまで、結論から遡って考えてきましたが、彼女を大切にしている理由がわかったので、その先について改めて考えてみます。
彼女を大切にするということは、長い目でみて彼女に恩返しをしていくということ。
では、彼女が本当の意味で喜んでくれることとは何でしょうか?それは、直接彼女に答えを聞いても、まだ社会人にもならない為、わからない部分の方が多いです。
しかし、紛れもない答えの一つとしてあげられるのは、“選択肢が一つではない”という安心感ではないでしょうか?
私達人間には、“やりたくないけどやらなきゃいけない”と囚われて考えることが、多くありがちです。
極論を言うと、“どうして働きたくないのに働かなきゃいけないの?”という疑問にぶち当たります。
大抵は、それは義務だからと片付けられてしまいそうですが、それだと働きたくないのに働くという、ストレスにも通ずる我慢を引き起こすでしょう。
しかし、もしもそこに“働かなくても生きてはいける”という選択肢が現れたとすれば、無理に嫌な仕事をする必要はありません。
極論を言えば、寿命を短くするほど嫌な仕事なら辞めた方がいいでしょうということ。選択肢が一つより一つ以上の方が絶対に幸福度が高いと断言できます。
それは子供に対しても同じこと。
例えば、お金がなくてやりたいことや欲しいものを我慢させるのは、親としてはとても苦しいことでしょう。
我が子には自分たちの時よりも自由に、そしてのびのびと“やりたいことに全力で取り組んで欲しい”そう思います。
同じくらい、自分がその時に知っておきたかったこと、知っていれば行動が変わっていたことなどは、適宜教えていきたい。
このように、彼女を大切にする先には、我が子の成長に目を向けるのだと思います。
この時、優先度を変えたと言って、彼女を蔑ろにするのは本末転倒で、理想を語るなら、彼女も我が子も皆幸せにしたい。
そう願うのが最終的なゴールでしょう。
その為に、どうすべきか?という話。
私の仕事に対するモチベーションやお金を稼ぐ意味は、この幸せ哲学から見出されているのです。
終わりに
幸せとは?という哲学的な命題に対して、noteに自分の考えを書くのはこれが初めてではなく、すでに5.6回は書いてきた内容です。
しかし、このテーマは回を重ねるごとに、そして経験を重ねるごとに考え方がブラッシュアップされていくので、掘り下げて繰り返し振り返るのは良いことだと思います。
私の考え方は、割と古い考え方なのかもしれないですが、意味を持って働いたり、承認欲求を満たすためだけに働くよりも、良いモチベーションで働けるのではないでしょうか?
哲学から逃げず、自分の心に幸せとは何か?を繰り返し問いかけてみてください。
それでは、今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
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