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流通革命の、その後:極私的読後感(12)

5年ほど前まで、「流通革命による経済民主主義実現」を標榜して30年以上活動している団体のセミナーに度々参加していた。個人的にはあまり好きになれない団体なので、業務命令だと割り切って参加していた。なぜ好きになれないか?といえば、あまりに教条主義的であることと、その教条が実状にそぐわなくなってきて、現場で齟齬が生じていると実感していただからだ。

仕事をする人にとって、ある領域に確固たる「軸」を持つことがいかに大切であるかという事を、いつも常々考える。「軸(得意な領域と言い換えてもよい)」を持たない人にとって、「(仕事という)世界の解釈」はとても難しく、とっつきにくい筈だ。それは、ある領域で仕事を完結させる能力がなければ、別の領域を包括的に理解できないからだ。

それを教条主義的な原理原則論で乗り越えようとする考え方は、戦後の共産党における「国際派」と「所感派」、「主流派」との闘争の経緯を想起させる。高度経済成長期の「上り坂」を仕事人生の原風景とする世代と、(私のように)「下り坂」ばかり見てきた世代との、時代に対する感覚のズレは埋めがたいものがある。「そこそこやれば酬われた時代とは違うんだよ」とひとりごとを云いたくなる世代から「団塊世代」に対するルサンチマンが無いか?と云われれば、無い訳でもないのだが・・・。

そのイデオローグを信じた者(中内功 氏)と、独自の道を切り拓いた者(鈴木敏文 氏)との交錯する道程を描いたのが本書である。

彼(イデオローグ)は、確かに優秀だったし、「世界の解釈」も簡明で理解しやすく、ドグマもきちんと整備されていて、多くの人に夢を与えてきたのは事実だ。そう、国全体が万遍なく成長し、普通に働けば比較的単純に酬われた時代には。

しかし、日本は飽和し、人口ボーナスからオーナス(働く人よりも支えられる人が多くなる)に入った1990年以降、かつてのような大量消費志向から急速に循環型など別のパラダイムに転換が進んでゆき、すべての階層において過去の成功体験が役に立たなくなり、自ら状況判断する力が求められる現代に、果たしてそのドグマが通用するのか?という点が大いに疑問である。この本(上掲)の中に書かれる二人の現在を想うと、答えは既に出ているように思える。

その流れで、中内功氏を描いた佐野眞一の本を再読し始める。

やはり、第三者的に見ると、中内氏のほうがかなり魅力的に映る。が、実際「半径3メートル内」に居た人々にとっては、畏怖か、心酔か、嫌悪しか生まないのかもしれない。よくあるオーナー企業の姿か。

かつては、企業の幹部は重要な情報をいわば「独り占め」出来た。その人々だけで、ある種のソサエティを形成して互いに交わり、その中で生まれたコンセンサスが、企業や財界の意思決定に大きな影響を持つ時代があった。今でも若干そういう傾向は残るものの、いわゆる「世論」というものが多様化し、様々な角度方角から影響力のある「世論」が飛び交うようになり、又、経営レベルでの意思決定に必要な情報が、比較的中位階層の従業員でもアクセスできるようになってきている中で、かつてのようなスタイルでの意思決定プロセスや、それを前提としたマネジメントスタイルが、陳腐化してきているのではないだろうか。

ここでややこしいのは、(謂わば)オールドスタイルのマネジメントスタイルしか知らない経営陣は、情報へのアクセス手段や方法を知らず、秘書や側近が持ってくる情報のみで判断してしまうようになってしまっていて、逆に「情報弱者」になってしまう傾向が多々見られることだ。

簡単に云えば「知らぬは経営陣ばかり」という中で、実状にそぐわない意思決定をして自らの権威や能力を、あらぬ方向に飛散させてしまって、あげく経営判断を誤ってしまうことがある、ということだ。

かつては「カリスマ」型のリーダーが、そういう傾向(耳あたりの好い情報しか報告されなくなる)にあったが、今は、自ら情報を得て、判断材料にする能力が欠けているだけで「情報弱者」になってしまうリスクがある。しかも、かつてと違って、情報の流通速度が圧倒的に速く、しかも細密な情報にアクセスできるようになった今、早い判断を下さねばならなくなってきている。それには、常に情報にアクセスしつづけて、細かく蓄積しつづける根気強さが必要になってくる。

情報のサマリーだけで判断するには、サマライズする人材への出費と、アウトプットが出るまでのタイムラグを犠牲にせねばならない。サマリーを必要とせず、膨大な情報から必要な部分だけを読み取り、自ら判断する能力が望まれている。

そういう時代に、果たして「かつてのカリスマ」は、「カリスマ」たりえたのだろうか?この手の「たられば」に、さして意味はないのだが。

一方、最近では「周りに注意・諫言する人はいないのか?」というような事案が、いわゆるベンチャー企業の経営者でも相次いでいる。

時代はどうあれ、創業者やカリスマ経営者は、遠くから眺めるのは一番良いようだ。そして、「カリスマ」は、これからも必要なのか?という問いが、私の中からは消えない。

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