七人楽隊(監督:サモ・ハン、アン・ホイ、パトリック・タム、ユエン・ウーピン、ジョニー・トー、リンゴ・ラム、ツイ・ハーク/2021年)
香港は国ではない。中国の一部(特別行政区)である。第2次世界大戦のときには日本軍が占領したこともあるが、近代史から現代史の範囲に到るまでイギリス統治下にあった場所。しかし、もう私には1997年の返還後の記憶のほうが長い。経済的な繁栄を謳歌しつつ、一国二制度という奇妙な仕組みを与えられた、国のようで国ではない場所。一度も訪れたことはなく、子どものころテレビで見たジャッキー・チェンのカンフー映画と、TM NETWORK『Get Wild』のMVでメンバー3人があてどなく歩く背景、大人になってからやっと知ったジョン・ウーやウォン・カーウァイの映画から想像しているうちに、虚実が入り混じったイメージとしての香港。だが、近年の民主化運動を知るにつけ、その国ならざる国の切実さに胸を締め付けられることが増えた。
その香港の1950年代から現在(少しだけ未来)までの時代を、香港を代表する巨匠たちが、35ミリフィルムで撮るというのだから、ノスタルジックにならないではいられないと思っていた。7話で2時間弱、ひとつひとつが短い物語であるから気安くそれぞれの結末は語るまいが、短くともいずれも巨匠の名にふさわしい作品だった。英題に「Septet」=「七重奏」と冠している通り、7つの短篇はそれぞれ自由に創作されながらも、あたかもアンサンブルを奏でているかのように相互に響き合い、ひとつの音楽としての声量をもたらしていた。単にノスタルジーに溺れるのではなく、とにかく現在を生き、未来にも生き抜こうとする力に溢れていると言っても良い。
この、それぞれの物語が独立していながら一本の映画として感じることができるのは一体どういうことだろう? エンドロールの合間に思い浮かんだのは、1950年代から今日までという歳月の意味である。70~80年間、つまり、ちょうど一人ぶんの平均的な人生に近い。私自身はそこまでの年齢ではないが、親や年上の仕事仲間から聞く話から想像するに、そのくらいの歳月人生を過ごせば、さまざまな変化があり、一方で願っても変わることができないものがある。香港のそれは激動の人生と言っても良いだろう。「稽古」「校長先生」「別れの夜」「回帰」「ぼろ儲け」「道に迷う」「深い会話」と題された7篇は、過去と現在との邂逅を、登場人物たちの回想だけに留まらず、異なる世代の交流として描いたり、刹那としての今だけを追い求める姿に仮託したりと、人生のごく一部を切り取ってみせてくれる。登場人物たちのその前後を窺い知ることはできない。監督それぞれが限られた時間で精一杯表現しながら、どこかで肩の力を抜いて「これが香港というものだから、あとはよろしく」と言わんばかりだ。加えるならば、さまざまな役者たちの顔。みな舞台となる時代に応じた相貌をしているが、老いも若きもいる。往年の名優も無名の新人もいる。それぞれの役者たちは当然別々の役柄である。しかし、同時に一つの映画のなかで彼ら/彼女ら演じているのは「香港」そのものなのではないだろうかと思えた。
ふと、思い出したことがある。ずいぶんと昔にブラジル3世の方と話す機会があり、彼が「ブラジルは問題が山積みだが、問題が山積みだからこそ良い国なのだ」と笑っていたことだ。本作のプロデューサーのジョニー・トーも香港の現在を楽観はしてないだろう、しかし、香港を愛していることは間違いない。香港とは、過去を引きずりながらも常に現在を生きる彼らの故郷である。それを国と言わない理由があるだろうか。
「七人楽隊」(監督:サモ・ハン、アン・ホイ、パトリック・タム、ユエン・ウーピン、ジョニー・トー、リンゴ・ラム、ツイ・ハーク/2021年/111分)
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