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映画について書いたもの

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映画評や映画文化にまつわる文章。
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2022年8月の記事一覧

イレネオのために映画を

『ショートピース!仙台短篇映画祭2003』(2003年10月11-13日/せんだいメディアテーク)のために書いた文章である。初出:『ショートピース!仙台短篇映画祭2003 パンフレット』(2003年) 映画のはじまりは短篇であった。 それを単なる発明というより発見されるべきものとしてこの世に送り出したリュミエール兄弟が作った映画のなかでも、最も古いもののひとつに『工場の出口』という作品がある。文字通り工場の出口から次々と人が出てくる様子を撮影したもので、いくつかのヴァリエ

プチブルのひそかなたのしみ-凝視できない隣人を凝視するためのワイズマン-

この短い文章は、2002年5月30日付けのテキストファイルというだけで、何のために書いたのか思い出せない(思い出したら追記する)。しかし、当時せんだいメディアテークで企画した『映画への不実なる誘い』の打ち合わせか何かでお茶をご一緒しているとき、その講師である蓮實重彦氏からふと「あれ面白かったですよ」と言われたことだけは憶えているので、どこかに載ったものであることは間違いない。そして、たとえそれが社会人3年目になったばかり、映画をろくに知りもしないままの若造へのリップサービスだ

『映画はアリスから始まった』(監督:パメラ・B・グリーン)

すぐれたドキュメンタリー映画には、いくつかの種類があるように思うけれども、そのひとつに、映画を見た後、濃密な講義を受けたような感覚を憶えるものがある。まさに「教育映画」ということなのかもしれないが、それは単に「勉強になった」ということだけではない。今まで知らなかったことを知るスリリングさと、その後の世界が変わって見える驚きを与えるという点で、陳腐な言葉だが「感動的な映画」である。 映画の原題となった「Be Natural」を標語として自らのスタジオに掲げていたというアリス・

森を満たす不穏な残響 (『echo』/澤田サンダー)

まったく別の用件で訪れた青森の国際芸術センター青森[ACAC]で、ちょうどそのとき展示されていた「ヴィジョン・オブ・アオモリ vol.11/澤田サンダー|echo」について、せっかくなので何か書いてくださいとお願いされて書いたもの(一応は映像が専門と目されたためだろう)。今でも、いわゆるギャラリー展示における映像作品は頭から見るべきか、実はどこから見ても良いのか(むしろそれを推奨しているからこそギャラリーで展示しているのか)考えることがある。むしろ、作家や企画者ははっきり示し

『NOPE/ノープ』(監督・脚本:ジョーダン・ピール)

まず、映像に関わる学芸職という立場を横に置いておくと実はこういうものが大好物で、だから擁護するということではないが、ホラー映画はそもそも社会派なのである。よって、ジョーダン・ピール監督を「社会派ホラーの名手」と評の冒頭で安易に書いてしまうようなことは決してするまい。 だが、ここまでの短いキャリアをもってして「サスペンス映画の名手」とは言っても差し支えないだろう。優れたサスペンス映画とは何かについては『サスペンス映画史』(著者:三浦哲哉/2012年)をお勧めするが、ごく簡潔に、