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奥能登の伝統を継承する職人と祭り 蔵木工所


お話をお聞きした人

蔵さん

これまで

人口減の地域で挑戦していく職人魂

蔵木工所の歴史は、昭和32年に蔵さんの父親が創業したことから始まります
蔵さんは金沢の建具屋で働いてましたが、能登に戻ってお父様から会社を引き継ぎ、本業の木製建具業からリフォーム、オーダー家具へと拡げていきました

過疎化や人口減が進む中、地域の仕事だけではやっていけない状況で、言われた仕事は全部やっていく、普段やってる仕事以外も挑戦していくというのが、蔵さんの覚悟でした

時代の変化に対応し続ける

一時期、職人さんが10名くらいいた時もありましたが、多かった公共工事も減ってきました
蔵さんは、勉強して二級建築士の資格を取得、施工図を書けたので、お客様からも重宝されたそうです

ベビーケアルーム(授乳室)を能登空港へ

能登空港にある授乳室

木の温もりで安心して使える授乳室をオーダーメイドで製作

お母さんがゆっくりできるように設計
小さな兄弟がいても一緒に入れる配慮

この商品をひろめていくために、副業人材に協力をしてもらおうと考え、採用活動を進めて、2024年1月に面接をする予定でした


2024年

震災によって倉庫は全壊
1月6日から仕事の予定でしたが、受注していた大きな現場は中止に

そんな中でも職人さんたちは落ち着いて、1週間で工房の片付けをしてから、お世話になった人たちへの修理や復旧、建具を直して回りました

仕事はあっても経営は厳しい状況に

困っている方々からの仕事は増えてましたが、大きな仕事は回復しない為、月末になると資金はショートしていたそうです

蔵さんも職人さんも被災しており、こなせる仕事の量も限られる中、外注のみなさんにも助けてもらいながらなんとか乗り切りました

現在でも地震復旧の仕事は続いているますが、人がいない状況は変わっていません


未来に向けて

後継者はいないものの、現在一緒に働いている職人2名への責任があると蔵さんはおっしゃいます

地震の後に廃業も考えたそうですが、お客様からの仕事の依頼や周りの方々に刺激や励ましをもらい、引っ張り出されたと感じているそうです

輪島塗を復活させる80歳代の塗師からの依頼

印象的だったのは、輪島塗の職人である80歳代の塗師の復活です
その際、「(震災前と)同じ状況じゃないとやらない」と、工房の復活をできないかと依頼が入りました
全国にも技術を持っている事業者は少なく、とても光栄なことだったと感じるとともに、自分より年配の方々の決意に、大きな刺激を受けたそうです

能登の祭りで復興祈願へ

蔵さんは「あばれ祭り」の祭礼委員会の幹部です
「復興祈願の祭りにしたい」
地震の影響で春は祭りができませんでしたが、夏の実行に尽力されました

「こんなときに祭りをやるのか」という反対も多かったと言いますが、町内会の意見を丁寧に回収し、道路復興のお願いや県知事へ協力依頼をしてまわりました

祭りを通じて繋いだ、人々の想いや行動

なんとか実行に漕ぎ着けた時には、反対していたひとたちも笑顔で祭りを見てくれました
全国各地から義援金も集まり、地元の関係者がクラウドファンディングでも祭りを周知してくれたそうです

宇出津が祭りをやったことで、他の集落も祭りを開催することへ
祭りが、復興の想いとともに受け継がれていくことができました

奥能登にとって、「祭り」とはイベントではない何百年も続く、生まれた時からある文化や伝統、これを継承していきたいと蔵さんは考えてます

今年のポスター


能登の魅力

「人」

蔵さんにとって能登の魅力は、人
周りの人がいて自分が形成されていると感じて暮らしている
みんな人との付き合いを大切にしている

「きのどくな」相手のことを気遣う、ありがとうという意味
能登に生まれて、能登に育てられて今があるとおっしゃいます

蔵さん、ありがとうございました!


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