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最近の記事

奥能登輪島の街の酒屋さん 酒ブティックおくだ

お話をお聞きした人これまで輪島で有名な酒屋さん 創業は戦前 奥田さんのおじいさんのお姉さんが、学校の先生を退職後に開業 当時は酒屋の免許を取ることが難しかった時代です 二代目は奥田さんのおばあさん、三代目は奥田さんのお母さんです 当時のお客さんは漁師さんや家族連れが多く、お酒だけでなくお菓子なども販売して、今でいうコンビニに近かったようです 能登では誰もやらない酒の専門店に 奥田さんは大学卒業後に金沢の酒蔵に就職、12年勤めてUターンされました 量販店にお客さんが流

    • 奥能登珠洲で江戸時代から繋ぐ「なりわい」の絆 今井商店

      お話をお聞きした人これまで創業は江戸時代 今井商店の歴史は、江戸末期に遡ります 当初は珠洲でつくられた塩を販売していたそうです 昭和50年に法人化され、荒物、鍋、フライパン、農機具から、 塩の専売、海産物までを商いするようになりました 地元に無くてはならない商店へ 地元の方々には生活必需品を提供し、能登の特産品を県外に販売するなど、能登と全国を繋ぐ、地元には無くてはならない存在としてなりわいを続けてきました 全国に多くのファンが増え 能登の特産品は、春ならワカメ、

      • 奥能登やなぎだから発信する人々の集い 能登みらい創造ネットワーク

        お話をお聞きした人これまで竹内さんは7年前に故郷の能登に戻ってこられました 一年ほど造園の訓練校に通いました やなぎだ植物公園を人の集まる拠点に 2019年、当時ぼろぼろだった公園をなんとかしようと立ち上がります 公園にはさまざまなポテンシャルがあるので、人の流れを変える拠点にしたい 外から人を呼び込もうと決意されます 二度に渡るリニューアルオープン 2020年4月のスタートを目指して準備していましたが、全国的にコロナが広まり緊急事態宣言が出され、リニューアル開演後

        • 奥能登で受け継がれる挑戦のDNA  和平商店

          お話をお聞きした人 これまで浅井さんは、10年前に東京からUターンされてご入社されました お父様はもともと旅館業をされていましたが、還暦を機に昔からやりたかった食品加工業を始められました それが和平商店です おじいさまも還暦でお寿司屋さんを創業、今では石川県でも有名なお寿司屋さんになっています 代々受け継がれてきた「挑戦」のDNAだと感じます 浅井さんが帰ってきたタイミングで、妹さんが企画した「いか煎餅」がヒット 地元の有志で結成されたイカをPRする「イカす会」に

          奥能登は今も昔も交流起点 能登定住促進協議会

          お話をお聞きした人これまで家賃問い合わせの電話からのご縁 今から9年前の平成27年6月、森さんご自身が移住の問い合わせしたことがきっかけでした ちょうどその年の4月から協議会がスタートしており、家賃を問い合わせただけなのに、協議会の運営をやらないかと誘われました もともとは金沢でさまざまなお仕事を経験していた森さん デザイン業のディレクターをしていた時に、取材で訪れた志賀町の農家さんの暮らしを見て、能登っていいなと移住を考えられたそうです 能登町には193の集落があり

          奥能登は今も昔も交流起点 能登定住促進協議会

          奥能登の伝統を継承する職人と祭り 蔵木工所

          お話をお聞きした人これまで人口減の地域で挑戦していく職人魂 蔵木工所の歴史は、昭和32年に蔵さんの父親が創業したことから始まります 蔵さんは金沢の建具屋で働いてましたが、能登に戻ってお父様から会社を引き継ぎ、本業の木製建具業からリフォーム、オーダー家具へと拡げていきました 過疎化や人口減が進む中、地域の仕事だけではやっていけない状況で、言われた仕事は全部やっていく、普段やってる仕事以外も挑戦していくというのが、蔵さんの覚悟でした 時代の変化に対応し続ける 一時期、職

          奥能登の伝統を継承する職人と祭り 蔵木工所

          奥能登のブルーベリーが繋ぐ「思いやり、信頼、実りある人生」 ひらみゆき農園

          お話をお聞きした人 これまで父親が大好きだった畑を残したい 平さんが事業を始めたのは、亡きお父さんが毎日通っていた思い出の畑を残したいという想いからでした それを後押ししてくれたのは、「ブルーベリー送って」というお客様の声 待ってる人がいるからブルーベリーを作ろうと決意されたそうです 未経験から周りに支えられて 「大変だったのは草の処理」 「無農薬で栽培しているので、虫の被害」 「イノシシの被害にも悩まされたこと」 と平さんはおっしゃいます 周りの方々に聞きながら

          奥能登のブルーベリーが繋ぐ「思いやり、信頼、実りある人生」 ひらみゆき農園

          奥能登から「修理する」文化を世界に ふくべ鍛冶

          お話をお聞ききした人 これまで明治41年創業 初代の勇作さんは馬車で毎日30キロ以上、部落ごとに農家を回って農具などを修理をしていました 二代目は今の宇津出に店舗を構え、海の漁師さんもお客さんになりました 代々続くものづくりへのこだわりは、道具が現場で使われることをイメージして作ること 農家や漁師のお客様の厳しい要望に応え続けて、今に至ります 奥能登には40件ほどの鍛冶屋がありましたが、人口減少や機械化で、総合的な鍛冶屋はふくべ鍛冶だけになりました アイヌ文化の

          奥能登から「修理する」文化を世界に ふくべ鍛冶

          豆腐にこめた奥能登の静かな執念 エステフーズヤチ

          お話をお聞きした人 これまで谷内さんは6年前に代表になり、卸売が主流だった豆腐販売を、直接販売に移行してきました それは、売り歩くことがアイデンティティだった豆腐販売に立ち戻ったことでもあります 飛び込み販売で顧客を増やす 祖父の代から60年お届けてしている顧客もいらっしゃいましたが、お客様を増やすべく一軒一軒に飛び込みの訪問販売も行いました 着実に増えていったお客さんの喜ぶ顔が見えることや、作った豆腐の感想ももらえることがやりがいだったそうです 父との衝突も厭

          豆腐にこめた奥能登の静かな執念 エステフーズヤチ

          NOTO FANs | はじめてのnote

          はじまり2024年1月1日 能登地方に大地震が起きました それから8ヶ月・・・ 大きな被害を受けた能登の事業者さんたちも動き始めています。 そんな事業者さんたちを応援していくために、NOTO FANs をスタートしました。 このnote を通じて、まずは能登の事業者さんを知っていただけるとありがたいです。 そこで働く人たち、歴史、事業、未来への想い。 少しずつですが、発信していきたいと思います。 人が生活をし続けるには、経済や事業が続かなくてはなりません 能登

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