実山椒レシピ。実山椒と一緒に枝豆茹でたら美味しい。枝豆なくなってもお酒残ってたから今度はその実山椒をチーズに乗っけてレンチン。タイパいいアテができたのであります。麻婆豆腐作るときに残ったおぬしなかなかやるな!なんて、ほろ酔いのわたしは思うのであります。実山椒ピザ作ってみようっと。
今日は息子の文化祭、我が子はさておき、受験を控えている3年生の振り切ったステージで涙が出るほど笑った。至極ありふれた感想だけど、心から大人になってもこのままでいて欲しいと思った。皆を喜ばせ、自分も楽しむ。最高。大人は汚いこと、夢を失わせるようなことをしちゃいかんのですよ。ったく!
投票はするが政治には疎く、県民でもないが、前某県知事のことについて、友人と風潮に圧されて「コソコソ」話していた違和感が「感」じゃなくなりつつある?人手不足のなか採用された部下との共通言語がないデキる人の困惑を見てきたこと、とりあえず大声出しておけ!が嫌いなのが違和感の根拠ですが…
お腹を蹴る胎児、6歳と1歳に挟まれて絵本を読んでいた私、絵を指す小さな人差し指、眠気に負けまいとする瞳、成長したこどもたちの紡ぐ言葉やスマホの中の美しい風景、育児中の深呼吸。中川李枝子さんとせなけいこさん。美味しくてかわいくてあたたかくて優しくて尊い時間をありがとうございました。
明日は国民審査。いくつかの裁判の内容なんかを読んだ。ところで、三淵嘉子氏の少年裁判所での説諭は感動的だったという。前に何人かの裁判官の説諭がまとめられた新書を手に取ったが、某レビュー「(解説の)言葉は、、(著者の)背景とセットですね。」モゴモゴ…。説諭だけまとめた本ってないかな。
今日は、いつもお世話になっている10歳以上年下の人たちに、(ネクタイの)ディンプルについてとか、国産小麦のこととか、朝丘雪路の父親は伊東深水だよ、とか話したら「知らなかった〜」と喜んでくれたので嬉しかった。わたしは「こまどりフォント」を教えてもらった。*見かけだけ年上*でいたい。
最近夕食の主食は玄米がゆ。そして野菜中心の惣菜。今夜は根菜いっぱいとささみのココナッツミルクシチュー(?)とサーモンメンチカツ。結局ダイエットにはなっていない、反省。とはいえ、玄米がゆを主食にしてから、翌朝の胃がクールだ。これで寝酒やめたら素敵になれるんだろうな、とか思うけど…。
最近の唯一の息子とのコミュニケーションは夕食時のサブスク寅さん。私は半世紀生きてるから5周目、息子は3周目。沢田研二と田中裕子の回で息子が知らないネタを提供してしまったり、中原理恵の回で「渥美清、もっと生きてて欲しかった」と泣いたりして、息子をドン引きさせている。寅さんが大好き。
閉口する現代美術と言われるものを見てからこっち、日本画をとても良いと思うようになった。余白が視覚の深呼吸を促してくれたり、今では非日常的になった鳥や鹿や猿の啼き声に耳を澄ませられるような自然の中にポツリと佇むような感覚になれるからだと思う。静寂を時々必要としている。まだ、時々だ。
今娘が住んでいる国の郵便事情。不在票を置く配達員と置かない配達員がいる。どっちかにしてくれなきゃ、不在票あり経験者は、自分宛ての荷物があったことに気づかないこともあるだろうに。そして再配達というシステムがない。私は極力再配達をしてもらわなくていいように処理しているが、ないって…
覚:熊谷守一、アンリ・マティス、村山槐多ときて、私が好きな画家って「フォービズム」の人々なのかと思っていたけど、児玉希望や最近知った落合朗風も素敵だと思ったりするし、やっぱりちょっとピカソも好きなので、もう絵画の好みを分類するなら「くっきり、くっこりしている類好き」とひとり合点。
米津玄師「しぐるるやしぐるる」の話の時、触れなかったけど、山頭火も好きなのかなあ。選ぶ言葉の整合性が高く、雑音がない韻文が好きだ。臭い匂わせではなく。ところで「しぐるるや」は「…今日も風さへ吹きすぎる」と同じ世界観だと勝手に思ってる。ジョギング休んで詩集を開こうか。言い訳です。