東大生による「能登の今」レポート〜2024春〜
はじめに
2024年1月1日、新年早々能登を襲った大地震。
その後数ヶ月が経ち、今の能登をこの目で見、感じるために
FS生からひなりん(6期)、にも(4期)の2名が
4月に能登町を訪問しました。
このnoteには2人が震災後の能登で
見、聞き、感じたことが綴られています。
1.のと未来トークのお手伝い(ひなりん)
お久しぶりです、FS6期生として活動しておりました
絹川雛子ことひなりんと申します!
お声がけをいただき、
4月に能登町での「のと未来トーク」イベントの運営にFS4期のにもさんと一緒に参加させていただきました。1月に震災があってからずっと行きたかった中でいただいたありがたい機会で、LINEに即レス後アルバイトやごはんの予定を全部キャンセルして急遽能登町へ向かいました!✈️
能登に着いて
いざ降り立った能登町は、一瞬あまり変わっていないように見えました。
しかし、空港から車までの短い距離の中で
地面が所々割れているのが見え、
確かにここで地震が起きたのだとわかりました。
また、久しぶりにお会いできた町役場の灰谷さんに震災後のお話を伺い、
かつて活動場所として使用していた
コワーキングスペースNOTO CROSS PORTが閉鎖されているのをみて、
ようやく能登町地震を現実のものとして受け入れられたような気がしました。
のと未来トークで感じたこと
さて、今回の能登町での私のミッションは、
「のと未来トーク」スタッフとして能登町の方々の思いをのこすことでした。
「のと未来トーク」とはNPOカタリバさん主催のイベントで、
震災後の被災6市町と金沢で行われている
「これからの能登をどうしていくかを、そのまちにすむ当事者のみんなで考える」対話の場です。
場所は能登高校。昼前に現地入りし、会場の設営をして午後からイベント本番。
イベント後の懇親会と片付けまで参加させていただきました。
本番は想像をはるかに超える多くの方々が来場され、非常に充実した会となりました。
イベントの最中は能登町の方々の声を聞き漏らすまいと必死にパソコンに指を走らせていたらあっという間に終了していたのですが、そんな中でも印象に残ったのは能登町の方々の
「活気」
でした。
震災から数ヶ月しか経っていない中でトークイベントを開催するとなると、
必然的にネガティブな意見や辛いこと、
悲しいことをたくさんお話しされるものだろうと
勝手に予想していたのですが、、、
その予想は大幅に裏切られ、
能登町の方々はどの方も未来を見据えてお話をされているという印象を受けました。
「震災が起きてしまったのはどうしようもない、これからどうするか考えよう」
「能登の未来について考えるいい機会だ」
というような声も聞こえ、
参加者お一人お一人が真剣に、
愛と熱意を持ってこの状況を受けて止めているのだと私は受け取りました。
最後に
大好きな場所に久しぶりに行けるという嬉しさの反面、
震災で私の知っている町はどう変わってしまったのかという
不安や恐怖も抱えながら今回降りたった能登町。
しかし、想像以上の活気と未来への真剣な議論の中で気づけば私が元気付けられてしまいました。
震災の被害の大きさを知ると同時に、
その中でも未来を見据えて少しずつでも能登町は前に進み始めている、
きっといい未来が待っているとも感じさせられる訪問でした。
私も傍観しているわけには行きません。東京からでも、また能登に行ってでも、自分にできることを模索し続ける必要があると強く感じました。基金を立ち上げてくださったFS7期の志賀さんを筆頭に、能登町と関わった1学生として、能登町の1ファンとして今後の復興に寄り添っていきたいです。とりあえず7月開催のあばれ祭りに行ってきます!🔥
(あばれ祭りについてはこのnoteの一番最後で紹介しています!)
2.能登の現状を知る(にも)
ここからは、FS4期生として、
2020年に能登町の伝統文化「あえのこと」のオンライン配信に挑戦した、にも(西森優)が執筆を担当します!
4月から、ビザスクというベンチャー企業で働いています。入社3ヶ月目を迎えて、やっと社会人生活に慣れつつあります。
能登町への訪問は3回目。
震災後、初めての訪問です。
復旧の現状
ひなりんと共に能登未来トークに参加し、希望を感じた一方で、復旧が遅れている状況も目にしてきました。
<家屋の倒壊>
町内だけで全壊家屋300棟、
全半壊合わせて1000棟にのぼります。
「3ヶ月経ってこれですか…」
訪れる全国の行政職員の方々が口にした言葉です。
東日本の復興と比較して、解体作業の進みがあまりに遅いのだそう。
ボランティアの数も圧倒的に足りていないそうです。
倒壊したあとの瓦礫は残されたまま。
全壊家屋と半壊家屋が歯抜け状に並んでいて、
そのことも撤去を難しくしています。
倒壊せずに残っていても、建物の多くは傾いており、いつ崩壊してもおかしくない状況です。
解体作業は進んでいません。解体作業前にすべての家財運び出しを済ませておく必要があるのですが、住民の多くは高齢者で、作業の人手が足りていません。
依然、断水が続いている地域もあり、
生活給水のタンクもところどころ見かけました。
<避難所生活>
能登町内では200人近くが避難所で生活を続けています。
初期から避難所として開設された、町内の中学校を見学してきました。避難所での生活は、プライベートはほとんどあってないようなものと感じました。ダンボールベッドは、立って歩き回れば中を覗きこめる程度の高さです。
つい2週間前に避難所を出たばかりのご婦人は「眠れても、休めていなかった。どこかで(周りの物音や人の気配を)気にしちゃうんだよね」とおっしゃっていました。
また今後、梅雨や暑い夏を迎える中で、仮設住宅での暮らしが少し心配になりました。
私の出身地である岩手県は、2011年の東日本大震災で被災しましたが、その後の仮設住宅における問題も様々耳にしてきました。湿気がこもってカビが生える・夏は暑く冬は寒い・隣室の音が聞こえる・高齢者の孤立etc…。東北の沿岸と同様かそれ以上に、能登は高齢者の多い地域です。仮設住宅や公営住宅における自治会運営やコミュニティ設計がとても重要だと感じます。
ただし、徐々に仮設住宅の設置や、帰還、あるいは町外への転出が進み、利用者数自体は減ってきています。
避難所になっている町内の中学校は、一時最大で2000人以上が生活していましたが、現在約15世帯を残すのみとなりました。
体育館の後ろ半分は、5月に行われる「とも旗祭り」の準備に使われており、少しずつ地域の活動も再開しつつあることを知りました。
それでも能登は美しかった
そんな難しい町の状況も目にしてきましたが、
能登はやっぱり美しいと、能登に着いてまず思ったことはそれでした。
瓦礫の山を前に、皮肉なほどの快晴。
初めて、晴れの日の能登を知った私は正直、感動で胸がいっぱいでした。
広い空、底まで覗き込める透明な海、水面に反射する太陽の煌き、はらはらと風に舞う満開の桜、その向こうに透けて見える青空、心地いい陽気。
船の上で黙々と作業をする漁師さんの日に焼けた顔。
祭りの準備のために用意された旗の迫力、
きっちりと組まれた縄の整然とした美しさ。
能登高校の教室、窓の向こうに見える釣人とのどかな海。
部活動をしているのか、体育館の靴の鳴る音、笑い声。
晴れの日の能登は、
海も空も町並みも
そこから垣間見える暮らしも
そこに生きる人も何もかもが、
雨の日の何倍も美しくて、
何のために能登に来たのかを忘れてしまうほどでした。
そしてそれらが織りなす能登の魅力は、
震災後も、何も変わらずそこにあると確信した訪問でした。
中でも一番印象に残っているのは、恋路海岸の朝日です。
同じ部屋に泊まっていたひなりんが早起きに成功し、
わざわざ私を電話で起こしてくれました。
海に反射し、地平線から伸びてくるまっすぐな光の線。
見渡すと早朝の町は、人気がなく波の音が響くばかりで、
あたりが静かに照らされていく光景は、
希望の訪れを目撃しているような気持ちでした。
7月「あばれ祭り」開催のご案内
さて、4月の能登の様子をお伝えしてきましたが、その時から、復旧の進捗も日常も、日々変化していきます。
ぜひみなさんも、「能登の今」を知るために、能登が私たちを惹きつける理由を知るために、足を運んでいただけたら嬉しいです。
7月の5日6日(金・土)には、
能登町の伝統的なお祭り「あばれ祭り」が開催されます!
寛文4年(1664年)を起源年として伝わる、伝統あるお祭りです。
昨年初めて目にし、火の粉を身体いっぱいに浴びながら、太鼓や鈴の音に合わせて力強く動きまわる神輿に圧倒されました。
(下記noteにも昨年の写真や感想載せています!)
町では、祭りの資金を集めるため、クラウドファンディングを実施中です。イベントページには、
あばれ祭りについての詳しい紹介も載っているので、
ぜひ読んでみてください!
※ 支援は3000円〜可能です。
リターンとして、ご芳名の披露や絵馬の贈呈などが用意されています。
※プロジェクトで集まった支援金は、
・復興花火大会の花火代金
・祭りに欠かせない神社の鳥居再建
に活用されます。
能登町支援の東大基金について
現在、FS7期を筆頭に能登町支援の東大基金が立ち上がっています。
ページには我々の活動内容についても紹介されておりますので、
ぜひご一読ください。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt84