尼系女子って造語?


 先日、十年ぶり二回目の合コンに行ったあとに「尼系女子の社会科見学 合コン編」というnoteを公開した。その際に、文章の師匠であるKさんから「尼系女子っていう言葉、検索しても出てこないのですが、造語ですか?」と言われた。

 尼系女子ーー私は自然に使っていたが、実際に検索してみると、私のnoteがいちばん上に出てくる。造語、と言っても過言ではないかもしれない。しかし、私の造語です!とは胸を張りがたいものがある。

 尼になりたい。出家したい。なぜならアラフォー女性が独身のまま生きるにはちょっと面倒なことが多いから。
 中でも私がいちばん嫌なのは、「恋愛市場にいる」と思われてまわりの男性陣からキモがられること。おそらく完全な被害妄想だとは思うが、男性の多い職場で働いているなかで「この女、独身だけど、俺に気があったらどうしよう……キモい……」と思われるのは心外である。私は恋愛市場に積極的に参加しないし、職場なんてもってのほかである。
 なお、アラフォー女性に限らず老若男女、職場恋愛すること自体は別によいのである。むしろすごくいいと思う。「ほかでもない私」が「恋愛・結婚相手を探している」と思われるのが、なんか気持ち悪いのである。「興味ありません!!」というレッテルをちゃんと自ら貼りたい。

 いいなあ、昔の人は髪の毛を切るだけで「私、恋愛興味ありません!」と意思表示できて。

 その気持ちから「尼系女子」という言葉を使ったのだが、「恋愛市場にいないことをきちんと周りにわかってほしい」という発想を私に授けたのは、三浦しをんである。

 その昔、私がまだ二十代半ばだったこと中村うさぎ・三浦しをんの共著である『女子漂流』を読んだとき、三浦しをんが「恋愛から手を引いていることをみんなにわかってほしい。出家(隠遁だったかも)したい」というようなことを言っていて、その瞬間、私の胸に「私も出家したい……」という気持ちが芽生えた。
 そのころはまだ私も二十代半ばで、妹も独身だったので「いうても親に孫の顔くらいは見せにゃあならんな……」といやいやいろいろしていたのだが、私が三十五歳になった二〇二〇年、妹が結婚、姪が誕生してからは「じゃあもういいか……」という気持ちになり、そして独身生活を謳歌しながら、現在に至っている。
 というわけで、「尼系女子」は「三浦しをんに触発されて使った言葉」であり、造語とは言い難いな……と思っている。 

 さらに、お友達に『海月姫』という東村アキコ先生の名作に「尼~ず」というグループが出てくる、とご指摘をいただいた。それも脳の隅っこにあったのかもしれない。私は東村アキコ先生大好きな割に海月姫は最初と最後しか読んでいないのだが(最終回だけ確認して感動してごめんなさい)影響を受けていないとは言い切れない。これを機に、『海月姫』を読んでみようと思う。


お知らせ
10月27日開催の文学フリマ福岡にて、この文章を序文とした『尼系女子の社会科見学』という折本を出そうと思っています!明日キンコーズで印刷する予定です。

なお、目次は

1.尼系女子って造語?
2.尼系女子の生態 南野やぎざの場合
3.尼系女子の社会科見学 インターネットでできた話
 (noteで公開済みのもの)
4.尼系女子の社会科見学 インターネットでできない話
5.尼系女子の煩悩
6.短歌連作50首「ごく軽量の愛」
7.「ごく軽量の愛」の尼系すぎる秘話

となります。
 今から5と7を書きます。ギリギリでいつも生きています。

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