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公演「緑色のストッキング」のためのnote④~安部公房の遺伝子…おいし水/「月間湿地帯」…「湖」と「人魚伝」~
エキゾチシズムを刺激する三島由紀夫らと違い、安部公房はその無国籍的なしつらえから海外だと西洋というより東欧の方に積極的に受け入れられていたという。あるいはガルシア・マルケスというラテンアメリカ小説の第一人者も安部公房のことは知っていたらしく、その伝播力は高い。
ガルシア=マルケスは1990年代末に行なった大江健三郎との対話のなかで、「自分たち外国の作家は日本の作家というと安部公房を知っていた。そして他の作家については知らなかった。自分にとっては安部公房は重要な作家だった」と述べている。
しかし、あくまで浅学でこだわりの強いやっかいな安部公房好きの俺の感覚において、「意志を継ぐ」レベルの後継者はとんと現れてないような気がしていた。勿論、ちょっとしたタレントくらいでも、「まあ、砂の女は読みましたあ…」くらいは言えている。だが、こと作家において、安部公房の影響を強く受け、さらにその遺伝子を現代に有用に使用できている存在に、僕自身はあまり巡り合えていなかった。
そんな時、Steamでインディゲームを回っている時に発見したのが、
おいし水というゲームクリエイター(しかし…変な名前だ)、そして彼/彼女が運営する「月間湿地帯」というサイトだった。
自ら絵を描き、自ら作曲をし、自らシナリオを書く。
プログラミング以外のことは全て自分で行う このゲームクリエイターだが、傍から見ると 超人的なように見える。しかし 個人でゲームを作っているアーティストにそういった人は多く 東方プロジェクトのZUNであるとかそういったのは 枚挙に暇がない しかしそれによって生まれる 才能の中も、たまにこういった突出した才能を持ってる人間が時たま、生まれるのだ。
そして月刊湿地帯のサイトやインタビューなども覗くうち、最初に受けた多大な影響というのが安部公房だったことにものすごく嬉しくなった 。正直。
そして、現在完成されているゲームの中で最も安部公房の色が強いと思ったのが一番最初においし水さんが完成させた「湖」というゲームである。
正直 「ファミレスを享受せよ」をクリアした後にやったこの「湖」というゲームにかなり僕は感動した。
「ファミレス」を上回る感動だったかもしれない。いいや、そうだった。湖についての真相、最初に選ぶ3人のキャラクター(ジョブと申しましょうか)、それぞれに用意された、平易だが深みのある物語のバリエーション…そう、それは安部公房のあの文体のようだ…。簡単、かつ周回を想定した現代的かつシンプルなシステム。そのシンプルさにも安部公房のDNAが宿っているようだった。しかもおそらくゲームクリエイターにしては相当な読書家で、それ以上に現在のゲームを多量に、しっかりプレイしている生粋のゲーマーでもある。
…特に…まあ、まず「湖」をプレイしてほしいが、この「湖」の中心にいるあるキャラクターで、強烈にあの、安部公房の短編「人魚伝」のイメージを思い出した。
もし、好きにプレイした後、時間がある人なら、ジョブで「旅人」を選択し、とにかく湖の中心に向かうようにしてみてほしい。単純なFlashゲームのようで、物語の感覚はものすごく深い。
もちろん簡単なゲームとして遊べるし、案外周回前提気味の難易度で油断するとすぐ死ぬし、奥深い。
「湖」は無音のゲームだが、おいし水さんの、音楽的才能の顕著さにも触れておきたい。
ピアノを嗜んで今でも弾くことを半ば日課にしてるような生活をしている模様で、SERUMという聞き慣れないシンセサイザーを多用するふくよかな音色の独自色は特筆すべきものだ。
ここで、半ば強引に安部公房に話を戻すなら、安部公房は日本で三人目にシンセサイザーを購入した存在でもある。
堤清二は1999年に行なわれたインタビューで、安部が武満徹に所有機で作成した自身の演劇作品「仔象は死んだ」の劇中音楽を聴かせたところ、武満の顔が真っ青になったと話していたと回想している
こんな恐ろしいエピソードすら存在しているし、おそらくピンク・フロイドから培った音色を響かせたのだろう。もし…いまほど容易に誰もが作曲できるようになっていたら、安部公房の作り出す電子音楽はどうだったのだろうか。カメラ・ワープロ・シンセサイザー…当時の最新機器を使いこなしながら、それの全てにおいて趣味以上の貢献を果たした安部公房のような存在。映画、演劇、あらゆるところに響かせた名前。彼こそメディアミックスの先駆者であった。
おいし水も、そのような存在になるだろうか。
というか、自分の感覚では、優れたコンテンツというのは、自然と今そうなる。作品のコンテンツをオリジンに、映画化も漫画化も舞台化もする。そんな中で、おいし水の作る世界観が、非常にその柔らかみのあるタッチで、安部公房の栄光のさらに次を開いてしまうことに何故か俺は期待してしまう。
すでに外国語に「ファミレスを享受せよ」は翻訳され、ワールドワイドに伝播していく。
しかも、当のおいし水は、逆にそれを牽制するかのようになかなかネームバリューを安売りしない姿勢取っている。そこにも俺は…文壇などにおもねらなかった安部公房の姿を重ねてしまう。
実は、メールをおいし水さんに送って、今回の公演のことを宣伝程度につたえたのだが、いまだ返信はもらっていない。
それでいい、構わないと思う。
自分のような棺桶にもう指先くらいは突っ込んでいる年齢のおっさんのことなど、若い者は聞かなくていい。
ただ、俺が死んでもし安部公房に会えたなら、おいし水の名は伝えてもいいかなと、思うのである。
見てほしかったなあ、俺の舞台。まあきっとこの人北海道にいるんだけどw
小屋入りが開始され、手続きが増えていく。
そんな俺の瞬間も、おいし水の音色に捕らえられている。
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