なぜ勉強が楽しくないのか。なぜ勉強がしたいのか。
#今日のWater # 10
子どものころは、勉強が嫌いだった。
なぜなら、何のために勉強するのか意味がわからなかったから。
学校の先生たちは、今やっていることの意味を教えてはくれなかった。
もしかしたら、教えてくれていた先生もいたのかもしれない。
でも、子どものときの私にはそれは伝わらなかった。
自分の子どもを見ていて思うが、「何で勉強しなくちゃいけないの?」と問いが出てくる時点で、うちの子にも勉強はあまり楽しいものじゃないのかなと思う。
昔の二宮金次郎が薪を背負い、歩きながら本を読んでいた様子を思うと、あまりにも違う。
当時はそこまでしても勉強したい人がたくさんいたのだと思う。
農家の二宮金次郎の親が、本を読めと言うことは考えずらいので、二宮金次郎は自ら進んで、楽しく勉強していたのだろう。
この差は一体…🤔
新しい知識は、素晴らしい刺激になる。
でもそれが、今の子どもたち、または私たちでさえ、しっくりきていない人が多いのではないか?
二宮金次郎と私たちの違い。
時代の違いと、体験の差なのではないかと思う。
昔の人に比べて、何をするにしても便利な時代。
私たちは薪を背負いながら本を読まなくても、空いている時間にゆっくりお茶しながら本を読むことができる。
その薪がなければ、ご飯が食べられない、お風呂に入れないなんてことはない。
昔は、生きていくために、火をおこさなければならなかった。
今では、火のおこし方は、ネットで調べたらたくさん出てくるし、学校でも熱と酸素と可燃物で火が着くと習う。
でも実際やってみると、簡単には火をおこせなかったりする。
そもそも現代では、ワンタッチで火が着く。
私たちがわざわざ、苦労して火をおこす必要はない。
火おこしなんて、昔の人は当たり前にできたんだろう。
そこには現代の私たちと、日常的に大きな経験の差がある。
昔の人が日常的にやっていることにノウハウがあったり、名前があったりしたら、それは日常を楽にしてくれる、宝の知識なのだと思う。
「これはこういう原理なのか!」「こうしたらもっと上手くできるのか!」
自分が上手くできなかった答え合わせが、本の中の知識にはたくさんあったのだろう。
経験が先にあり、たくさんの失敗を重ねているから思えることで、その経験の内容が変わっても、同じようにたくさんの失敗を重ねていれば、その後に入ってくる知識が面白くなる。
「こうやればいいのか!」(Water⛲️
「こうすれば、次はもっと上手くいく!」(Water⛲️
勉強しなさいなんて言わなくても、勝手に学び出すんじゃないだろうか。
二宮金次郎みたいに。
これを書いていて、昔の人は生きていくことに必死だったのだとあらためて気がつく。
生きていくためにやらざるを得なかったのだなと。
ときには、時代的に好きなことを諦めなければならないこともあったのかもしれない。
私たちは好きなことができる時代にいるのに、好きなことが見つからないと、もがいたりしている。
余計なノイズが多いってこともあるかもしれないけど。
それでも、もがけるってありがたいことなんだなぁ〜。