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自分に合った定義を採用していけばそれで充分

最近よく思うことがあります。
幸せや成功の定義ってなんだろう?ということです。

◯◯していれば成功。
◯◯があれば幸せだ。

人によって◯◯に当てはまる言葉というのは本当に千差万別で無限とも言えるほどの違いがあると思います。それなのに僕たちは他人の成功の定義や幸せの定義を採用してかんたんに不幸になってしまう。

ある種のコントをしているのだと思うのです。僕自身もコントを繰り返しいる身なのですが最近は違ったストーリーを描いていこうと思うようになりました。

それは言い換えると自分の幸せや成功は自分で決める。ということになります。まわりを見て憧れたり羨むことって僕もありますけど本当にそうなりたいか?それが欲しいのか?と問うてみると案外それは欲しくなかったりします。

自分を認めるために欲しかったり名声を得たかったりするだけで本当に欲しいわけではない。そんなものなくてもただ自分を認めればいい。本来ただそれだけのカンタンなことなのだと思います。

つい最近のことですがある話のなかでパートナーに理解してもらえないという想いが湧いてくる出来事がありました。端的にいうと誤解されたと感じたのですが 一瞬我にかえり必ずしも理解してもらう必要ってあるのか?と思い直しました。

思い直してみると
『自分の氣もちはちゃんと自分が掴めているから大丈夫』『相手は怒っていたが自分が悪かったわけではない』『理解されていないと思って無理に説明はする必要がない』と……そう感じました。

僕にしてはこれは珍しいことで絶対勘違いされたくないマン。絶対自分の氣もちを誤解されたくないマンだったのですが笑
そのときは相手も別に僕の氣もちを蔑ろにしたり無碍に扱う人ではないしな ということが頭に浮かんできて無理に説明したり納得してもらう必要もないなと感じました。

自分は理解されない人間だ。と信じていると理解してもらおうと必死になるのも当然だと思います。僕の場合もそうでしたが違う瞬間にはパートナーに理解されているのだから この場面で理解される必要ってないよなぁと思えるようになってきました。

相手に理解されるべきという氣もちを手放して自分の氣もちをまず自分が理解出来ているか?の方を大事にしようと考えをあらためようとしているところです。

幸せや成功だって同じことで自分が幸せだと感じられているか?成功していると感じられているか?の方が他人のそれよりもよっぽど大事なことだと思います。

あなたの様なユニークな存在はこの世界でこれまでもこれからもいないのですから。

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