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ハリボテの行く末

今まで、結構見かけ倒しで生きてきている。
運動が出来そうな外見
仕事バリバリやってそうな雰囲気

深く関わらないうちはそれでさらっと流して、できるバリキャリ女を演じてみたりするのだけれど、蓋を開けてみれば散々なのである。そういう自分を嫌というほどわかっているし、改善を心がけて自己否定してばかりだったけれど、いつしか、そういう自分であることを受け入れるようになっていた。

人から見たら「そんなミスするか?」というところを、もう否定しないことにした。間違えたらやり直す。やり直せるから大丈夫。なんとかなる。なんとかする。
そんなマインドでやってきた。

地域おこし協力隊になった際もそうだ。
仕事できそうな雰囲気だけで、できない私に周りがどんどん失望して行っているように思っていた。実際そうなのかもしれないが、失望されてもできない自分は変わらなかった。
それでも、デスクワークだったころに比べたら、地域の人と関わるこの仕事はとても楽しい。
人見知りのくせに人の和の中にいることが私の信条なので、書類提出はすこぶる苦手だけど、人に会いに行くのは頑張れるのだ。

誰だって初めての人と話すのは緊張する。その緊張感と2、3回会って私を覚えてくれた時のうれしさは、生きていくうえでの必要なストレスのようにも感じている。その点でも良くも悪くも見た目が影響しているように感じている。どちらかといえばスーツパリッと来てる方が似合う私が、土臭く農作業してたり、農機具にテンションあがったりしてるところは印象に残るらしい。

そんな感じで地域おこし協力隊としてやってきて、イベントも何回か開催したが、はっきり言って自分の作り上げているものがハリボテにしか思えない。こんなものでいいのか。こんな甘い目測でいいのか。結果を求められていないからできてることだ。
イベントをするたびに「これでいいのか」という不安しかなく、良かったと胸を張れるものが何もないのではないか。他己評価に依存しているといわれればそうだが、私だけのことではなく事業としてやっていくことなので、客観的な視点というものは必要になってくる。


 私のやっていることといえば、地域行事や収穫などの人出が必要なタイミングでイベントにして、都市部から人を呼ぶことである。地域受け入れ側スタッフが私一人のため、なかなかにてんやわんやな状況である。
 私自身、こちらにきて何回かイベントをした中での反省点などは修正しながらイベントをするようにしてきていた。地域の人も参加者も喜んでくれているように思う。私も楽しんでいる。しかし、これでいいのか。本当にこれで良かったのか。それがいつもつきまとう。
地域に絡んでイベントをしていくと、ある程度関わる人が決まってきてしまうところが、あったり、もっとこうしたいという地域の声を聞いてしまうと、何かできることはないかと思いながらも、対応しきれていない自分をふがいなく思う。

いつも出たとこ勝負でこなしてきた。ただ、こんな状態でいいのか。こんな薄っぺらな私はハリボテでしかない気がしていた。そんな話を知り合いのデザイナーにしたら、彼は「俺も自分のやってることそう思う。いつもこんなハリボテでいいのかーって思ってやってる。けど、ハリボテでもやり続ければ、層が出来てきて、下の方は鉄みたいに固くなってんねん」と言っていた。彼の言葉はすっと私の中に入ってきた。自分の作り上げるものに過度に自信を持って出してくる人はある意味尊敬するけれど、それよりも彼の、飾らない言葉が自分に近く寄り添ってくれているように感じた。

ハリボテであっても数を打ち続けねばならない。
下手な鉄砲も数打てば当たる。
あんまりいい表現じゃないけど、そんな気持ち。

目の前にやって来るものに対して無理せず真摯に対応し続けること。
それがハリボテなりのやり方なんじゃないかと思う。

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