減点方式ワールド
私が私でいたら×のつく世界とは、減点方式思考の世界だ。
あらゆることを減点方式で評価していく世界。
減点方式の考え方は学生の頃から馴染みがあった。
テストで問違えると減点されて正解すると加点
身近にあったこの考え方。
これがなぜ自己否定を助長させるのか…?
減点方式の考え方の3つの特徴
まず、改めてこの減点方式の考え方の特徴を上げていく。
①必ず"正解"が存在する
これはマルでこれはバツ
②正解に導くアプローチとして
バツだった問題を振り返り (原因追求)
次はマルにできるように勉強する
③高得点が良くて低いと良くない
これを応用して…
減点方式で自分を評価するとどうなるか?
先程の特徴を"自分"に当てはめてみると…
①必ず“正解(こうあるべき)な自分”が存在する
正解の自分はマルで不正解の自分はバツ
②正解(こうあるべき)な自分に導くアプローチとしてバツな自分を振り返り (原因追求)
次はマルに出来るように勉強する
③正解(こうあるべき)な自分に近い自分は良くて、
正解(こうあるべき)な自分とかけ離れた自分は良くない
正解の自分と不正解の自分が存在していることが分かる。
この減点方式の考え方ベースで生きると…
無意識にこうでいなきゃいけない自分という正解を設定し、無意識にこうでいなきゃいけない自分になろうとし、無意識に自分のバツばかりが目につくようになる。
バツばかりが目につくからバツな自分ではダメだと自己否定に陥る。
頑張って改善して自分なりにマルをあげられたとしてもいつまた自分にバツがつくか分からない不安と恐怖に怯える。
正解の自分に辿り着くことが当たり前だから出来なかったことが出来るようになっても素直に喜べない。
未来に対しても生き方に対しても正解を求め
正解すら見つかれば幸せになれると思い込む。
また、正解のない生き方に戸惑い正解が見つからないと
どこに向かい生きればいいのか分からなくなる。
そんな考えを繰り返し行き着く先は、心を失うこと。
過去の自分がそうだった。
正解だけを追い求め、心の言うことは無視。
「甘えるな。理由は?そんなのできない。こんな自分じゃダメだよ?」
そんな自己否定的な考えを繰り返すうちに私は自分が今どうしたくて今何を感じているのか分からなくなっていた。
この自分にマルとバツをつける減点方式の考え方こそが、私にとってはネがティブで自己否定的な考え方から抜け出せない理由になっていたと思う。
ずっとこの考え方の中に生きることは常に恐怖と隣り合わせ。
ポジティブでごまかしてみても根本解決には至らなくて
まるでいつも緊張状態でいるようだった。
また何時も原因や理由が分からないと気が済まないのも、減点方式思考に染まっていたからかもしれない。
原因を突き止め解決しこういう理由の為正解であると納得してきた。
だから同じように原因や理由さえ分かれば物事は全て上手くいくと信じ込んでいたのかもしれない。
けれど、本当に正解の私になれたら幸せか?
問題は全て解決して成功(幸せ)か?
立派になれたら本当に成功(幸せ)か?
きっと違う。少なくとも私は全然をそうじゃなかった。
正解 =幸せ
ではない。
幸せは別の場所にある。
だとしたらあれ程必死にこうあるべき自分に向かって頑張っていたのは何だったんだろう?
幸せになれないならなぜそれをしていたのか?
なぜもっと早く気づくことが出来なかったのか。