虐待被害者Vtuber【Ryo】
4歳で両親が離婚し、母子家庭の生活保護世帯で育ちました。母に脅され、小1の3学期から小6の終わりまで学校に通わせてもらえず、家に閉じ込められていました。近所の人と口を聞くことを禁止され、外出もほとんど禁止されていました。 ネグレクトも酷く、母は朝から夕方まで布団で寝ており、朝食と昼食は抜きでした。お腹が減って母を起こそうとすると、甲高い声で怒鳴られました。母はほとんど家事をせず、洗濯をしていないので、何日も同じ服を着せられました。夕飯は出来合いの食べ物を、私が買い出しに行か
学校の問題について、母に弁護士を呼んでほしかった。 警察を呼べばよかった。 学校を変えれえばよかった。 僕を信用してほしかった。 謝ってほしかった 僕を信用してほしかった。 子供を無視して、正当化しないでほしかった。 非を認めてほしかった。 ごめんね辛い思いをさせて、不便を掛けて、と謝ってほしかった。 常識的な教え方をしてほしかった。 まともに教科書の解説をしてほしかった。 自分たちの頭の悪さを認めて、努力してほしかった。 意地悪をしないでほしかった。
「あんたらは『お父さんどうしていなくなったの』と聞いてこなかったから楽やったわ」 母はこう言った。 この言葉だけでも、母がいかに身勝手で、自分の事しか考えていないかがわかる。 普通の母親なら、理由にかかわらず、離婚して父親がいなくなったことについて、私たちに詫びるはずだ。「事情があってお父さんいなくなって寂しくなるけど、ごめんね」と。 それをしないどころか、私や弟が生き延びるために、母親に同情し、父親の事を嫌いだと思うようになり、寂しさをこらえて、母に気を使ってその話
母の性格について分析することで、自分と母の心理を切り離し、自分の心を自立させることができると思い始めた。 早速、母の非常に特異な性格について、分析してみた。 1 異常な依存心の強さ 母は自分で責任をもって決断し、行動すると言う概念そのものを持っておらず、常に誰かが助けてくれることを期待していた。そして誰も母を助けてくれないと分かると、周囲の人を激しく憎み、被害者意識に陶酔した。 独身の頃から、周囲のおぜん立てや助けがあって物事がうまく進んだときでも、すべて自分の実力だ
日記 体調△→〇 午後12時半~カウンセリング フラッシュバックなどについて相談 先週は高頻度のフラッシュバックに苦しみました。 しかし、体力の回復とともに、あることに気づいたのです。 毒親や、嫌がらせをする同級生。普通の人間なら通じる話が通じない相手。彼らをどうすることも出来ない。 彼らの存在そのものが、私の絶望感、無力感、うつ状態の、根本的な原因だということです。 カウンセラーの意見がどうも腑に落ちない。 昔私が受けた被害について、加害者サイドの心情や背景につい
昔、奈良市で開かれた虐待防止策イベントに、パネラーとして出席しました。 私を含めて3人の人が、自らが受けた虐待被害を手紙にして朗読しました。 ↓動画内、2番手が私です。 https://youtu.be/oskMiUueefI 聴衆は約20名、その中には近隣自治体の町会議員などもいらっしゃいました。 緊張しましたが、自分の体験を包み隠さず話し、多くの方に受け入れてもらったことは、本当に良かったと思います。 今後も同様の話し手としての活動を行なっていきたいと思い、公
日本は虐待対策が遅れており、虐待防止法が制定されたのは2000年代に入ってからだった。 また、民法の親権に関する欄に「子の利益のため」と追記されたのは、2011年になってから。 それまでは、虐待親が親権を悪用してやりたい放題でも実質野放しにされ、被害者の児童は誰にも救われず放置された。 彼らの多くは、今も鬱や複雑性PTSD、それらに伴う生活苦で苦しんでいる。 虐待は、加害者である親が一番悪いが、それを放置してきた、法整備を怠った政府にも大きな責任がある。 彼らの苦し
ここ数日、風邪で休養していました。せっかくの連休だったので、勿体ないです。 休んでいる間、高頻度のフラッシュバックに苦しみました。 しかし、体力の回復とともに、あることに気づいたのです。 毒親や、嫌がらせをする同級生。普通の人間なら通じる話が通じない相手。彼らをどうすることも出来ない。 彼らの存在そのものが、私の絶望感、無力感、うつ状態の、根本的な原因だということです。 最近非常に心の調子が悪いです。 今日は朝母に虐待されていた頃の記憶、兄弟喧嘩をしただけで玄関先
(カウンセラー)今なら彼らに何と言いたいですか? そうですね、、、 とにかく彼らに「現実を受け入れろ」と言いたいです。 彼らは総じて人間のクズです。最低です。異常です。頭がおかしいです。いや、人間かどうかも疑わしい。 祖父や伯父については、人格障害か発達障害です。 しかし彼らは、自分たちをマトモだと思い込んでいる。それどころか、自分たちが他人よりも価値のある優れた存在だと思い込み、自信満々なのです。 私にはそれが信じられない。 なので私は、彼らが自らが異常だという
あの時あの学校の異常性を確信して、抗議するなり転校するなりしていれば、自分の心はギリギリ守れたのではないか。そう後悔することが度々有ります。 が、当時の私にはその選択肢が与えられていませんでした。学校の方針がおかしい、という理由で退学や転校するなど、高校側がメンツにかけて妨害したでしょう。 また、親戚と張り合うためにあの高校〜自称進学高に私を入れた母が、そんなことを許すはずがありませんでした。私には逃げ道が無かったのです。 A校長が亡くなった直後の学校だよりを読んで、私
○休職にいたるまでにはどのようなことがあったのか >2018年の秋に転職し、カスタマーサポートをしていました。内容としては、電話での携帯端末の操作サポートや、修理受付です。 もともと他人と喋るのは好きではないのですが、私の経歴で就ける数少ない職種の一つでした。 ・土日含むシフト制で、1日の出勤時間も4種類あり、生活リズムが乱れがち ・1日8時間ほぼぶっ通しで喋りっぱなし という負担がベースとしてあり、 ・だんだん成長して腕白になる息子の世話 が重なり、日々の疲れが取れなく
私のフラッシュバックについてお話します。 私は母子家庭の生活保護世帯で育ちました。 22歳のとき、私は不仲だった母親によって無理やり実家を追い出され、ホームレスとなりました。 3週間ほど親戚の家を転々としては追い出されを繰り返し、ついに行く当てがなくなり、所持金も底をつき、私は飲まず食わずの状態で実家周辺で野宿しました。 そして、フラフラの状態で最寄りの兵庫県K市役所の福祉課を訪れ、相談をしました。 最初課長Aが出てきて、「ど田舎の山中にある救護施設に入れる事ならできる」と
母はとてもプライドが高く、常に男性を見下していました。 が、己がそういう性格だという現実を受け入れず、頭の中では「優しく子供思いの良妻賢母」だと思いこんでいました。 なので虐待に不満を言うと、その事実には一切触れず「親に向かってなんて酷いことを言うんだ」と言って怒り出し、報復に2、3日一切の家事をしなくなります。 自立してから、毎日少しづつ母の虚像に気がつき始め、言いようのない怒りが込み上げてくるのです。 でも母は自分が正しいと信じて疑わない。でも私には母を反省させる
相談内容 4歳の時DVで両親が離婚 母子家庭生活保護 母による心理的虐待 (小学校への登校を禁じられるなど) 中学入るが、周囲が不良ばかり 高三まで同級生にありとあらゆる嫌がらせを受ける(刃物で脅すなど) 大学入るが神経症になり中退 親に嫌われて実家を追い出される 非正規の仕事を転々 3社目でうつ病悪化通院 縁あって結婚して子供3歳 5社目でうつが悪化して退職 自宅療養5ヶ月目 ↑今ここ 過去に受けた嫌がらせがよくフラッシュバックします。 母親への恨み 同級生への怒り
お母さん。 私が4歳の時、あなたは離婚し、生活保護を受け始めました。 お父さんは休日にパチンコに出かけ、遊ぶ金がなくなると、あなたの首を絞めたり、殴っていましたからね。 でも、私も5、6歳の頃から、耳垢がジュクジュクしているとか、胎児の時にお腹を蹴ったとか、あなたに悪口ばかり言われてきました。 「お前は父親に似ている」とも言いましたね。 幼かった私は、その言葉を真に受けて罪悪感を持っていました。 あなたがいつどこで怒り出すかわからないので、思考停止してしまったので
もしあなたが高校生で、母親が次のような状況にある場合、どうしますか? ・母子家庭 ・〇月のガス代が高い、不正請求だと言い出す ・ガス会社にクレームを入れる ・ガス会社がメーターの点検を提案すると、なぜか立ち合いを拒否する ・ガス会社が立ち合いなしで点検を行い、異常なしという報告書を投函したが、それを読んで「こんなん嘘や!」と言う ・消費者センターにクレームを入れるが相手にされず、腹いせにガス料金の支払いを拒否し始める ・3か月ガス代を滞納し、ガスを止められる ・以降一年半に