遠くで 近くで
2021年。大晦日。
今年いちばんお世話になった場所で、今、これを書いている。暖房がきいていてあたたかい。20年ぶりに訪れるようになったこの場所で、朝から父と、今年最後のコーヒー。
足もとのおぼつかない父に待っててもらい、私は敷地内のスーパーへお正月の買い出しへ行く。実際に買い物をしてみると、それらしいものはおそばとお寿司くらいで、いつもとあまり変わらない。長ねぎ。魚の切り身。仏壇に供える甘いもの。
「あとはゆっくりしなさい」
私が買い出しからもどると父はそう言い、重い袋をさげてひとりタクシーに乗る後ろ姿を見送った。いっしょに暮らして半年あまり。適度な距離で、それぞれの時間を過ごすほうがお互いのためだと、だんだん父もわかりはじめているらしい。ほどなくして、メッセージがきた。
『良いお年をー!』
SNSで交流のある方だった。
うれしくて、一気にからだの力が抜けて、コーヒーをすすりながら安堵。と涙。1年を通してたくさんの別れがあった。それでも、こころ秘かに憧れていた方たちとすこしずつ繋がり、言葉を交わしあうことが叶った1年でもあった。
今年この場所で、どれほどこんなふうに過ごしただろう。むこう3年分くらいのコーヒーを、いろいろな涙と共に半年でのんでしまった気がする。
月並みではあるけれど、自分にとってはそれなりに、激動の1年だった。今年のはじめから時系列に出来事を書いていくと年が明けてしまうので、そうするとジャニーズカウントダウンに間に合わなくなるのでここでは割愛して、3つ。
①住む場所が変わった
②仕事が変わった
③周囲の人が変わった
すべてがそろったとき、人生が劇的に大きく変化するとされる、かの有名な3つの条件。そりゃそうだ。そもそもこの条件がそろった時点でもうそこそこだいぶ変化してるじゃないかっっっ、と、なった自分としては静かに絶叫したい。そんな1年のなかで、今いるこの場所で私の支えとなったひとりの女性のことを書き留めておきたい。
その女性は『グランマ』という。
常連さんでよく顔をあわせるけれど、本当の名前は知らない。なので勝手にあだ名をつけて心の中で呼んでいる。最初はシンプルに『おかあさん』と呼んでいたところ、のちにお孫さんがいることが判明し、グランドマザー(おばあちゃん)をぎゅっとちぢめてそう呼ぶようになった。
常連さんはほかにも『ノッポさん』や『背広スニーカーさん』や『全権デスクさん』などがいる。グランマはみなさんと交流があり、店員さんたちとも仲がよく、あいさつをしたり手をふったりおしゃべりしたりと、いつも忙しくしている。
いかなるときでもニコニコ機嫌よくしているグランマを中心にして、そこから人々が繋がりを広げているように見えた。私もそのひとりで、グランマとあいさつを交わすようになり、そうしてほかの常連さんたちともあいさつや世間話をするようになれた。
今年出会った一冊の本。
あまりにもシンプルで興味深い一文があった。
あなたができる最も身近な社会貢献とは、
よい言葉とよい笑顔である。
読んだ瞬間、グランマのことだと思った。呼吸するのとおなじように彼女が日々しているその無償の行為が、なごやかなドーナツショップをよりあたたかく豊かにして、よいエネルギーをやわらかい手裏剣のように周囲に届けている。
不思議なことだ。
スマホで繋がった遠くの人。
よく顔を見かける近くの人。
みんな私のことをよく知らないし、私も相手の方をそれほど知っているわけではない。知らない人同士。それでも、私は一方的に勝手にその存在を心強く感じ、支えられていた。ずっと。父が入院したり、事故を起こしたときも気にかけてくださった。胸がねじれそうなほどにありがたかった。
すれちがっただけの、本当に知らない人にもたくさん親切にしていただいた。近所のコミュニティセンターからの帰り道、お花の手入れをしているところを通りがかって、しばらく眺めていた。
「すきなのもってっていいよ」
ジェントルメンが過ぎるおとうさんのお言葉に甘えて、ころんとした一輪をいただいた。栄養剤もなにも入れていない水道の水だけで、数日後、ちいさな蕾までひらいてくれた。
遠くで、近くで。
たくさんの方に声をかけていただきました。
支えられました。励まされました。
守られて、救われて、癒されました。
たくさんのものをいただきました。
来年は返せるだろうか。
みなさんのおかげで無事に年を越せます。
ありがとうございます。
どうぞ、よいお年を。
……はっっ、ジャニーおyほうcうぇるq?!?!?
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