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他者って何だろう

他者について考えるとき、自分と自分を取り巻く環境との境目について考えることがある。

「自分」が確立していた方が良いかもしれないが、それはなぜだろうか。

自分も環境の一部として流動的に生きてみたらどうなるのだろうか。
自分を取り巻く環境や自然に流されるままに、流動的に生きる。

流動的に生きていれば、川を流れる大石がやがて角を削られて丸い小石になるように、我々もやがて削られる。
大きな流木は、上流に止まる。
魚の腹に飲まれた砂粒は、魚と共に釣られて外の空気を吸えるかも知れない。
海までたどり着くものもいるだろう。


自然には意思を持った主体などないはずなのに、その自然の一部である私たちには、なぜこうも個体別の「意思」を持つに至ったのだろうか。


環境に背中を押されて、自然に背中を押されて、自分も自然の一部となって流動的に生きてみるのも良い。

流動体として生きるのならば、しっかりと目を見開いて生きていればなお良い。

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