母と娘の問題と共依存
原宿カウンセリングセンター主催の、信田さよ子さん公開講座。
母と娘問題と共依存ーケアと暴力の視点から。本日受講した講座の記録を残す。
私が信田さよ子さんを知ったのは、包括的性教育を学ぶ中でアダルトチルドレンの本に出会ってからです。クライアントさんの話を聴き方・自分自身の在り方がどうあるといいのか考えているうちに、愛と暴力についての話題にいきついた。
自己責任という言葉を用いることで、自分と他者を遮断することができること。そんなことを考えたりしました。
今回の講座は、ACと共依存のはなし。共依存とは、支配であること。
共依存タイプの母、ネグレクトタイプの母。ケアを与えて子どもを弱小化する暴力。信田さよ子さんいわく、共依存はパートナー間では用いないそう。親子関係に使うと。
無関心な母(ネグレクト)は、子育てのやるべきことはする。でも、娘に関心がない。ある時点で時間が止まっている(少女のまま)「娘のために」「我慢してきた不幸な私」を強いることはない。暴力的な夫から娘を守ることもしない。娘は母を守り不幸から助けようとするが母は気づかない(だって子どものままだから)娘が母親役割しないといけなくなる。心は十代のままの母親。
母への期待、わかってもらいたい。あやまってもらいたい。変わってもらいたい。こんなものは、断念する。
母親研究が重要であり、ドローン的視点でみること。自分が高いところから捉えること。高度を上げてメタ的視点。対象を観察し、対象の法則性を理解することで俯瞰できるようになる。母親に対して意味不明の人?何をするか分からない人?だと怖い存在になる。DV加害者に対しても同じことが言える。論理的ではなく見立てがたたない。相手にとって支離滅裂なことがしんどい。
研究することで理解して怖くなくなる。一人で母親研究をするのは難しいので、グループでやること。コミュニティをもつことがポイントである。母親を対象かして俯瞰すること、母親の支配の外側に立つことができる。
母殺し。母を殺すわけではなく毒親だとすることでもない。母を研究することで母から開放される。共依存的支配のからくりを知る。研究は、孤立状態でやると自責感がでてくる。研究は同じ苦しみを持つ仲間と一緒にやる。
最後まで罪悪感や不条理感は残る。私は母の責任をないがしろにしない。それは母を一人の人間としてとらえるよき娘であることを証明である。
母は人権がありペットではない。ペットは責任がないから可愛いのであって、母は一人の人間である。その責任を娘が母に責任があったと認めるこ一人の人間として責任をとれる存在として扱うこと。この上ない親孝行であると言える。
これまで父の問題は論じられてきた。母と娘の問題がなかった。子育てでこれだけは気を付けて。「後悔しない子育て」の本は、そのために書いた。母親がしてきたことを娘にしてしまう…の悩みの解決。
それは、夫の愚痴を子どもに言わないこと。夫婦の問題は夫婦の中で解決する。結婚は自分で選んだものであり、子どもには一切の責任がない。子どもをカウンセラー役にしないこと。夫婦は相互ケアが大切である。夫をケアするなら、妻もケアされること。
母親研究は、人に読んでもらうことを前提でやる。一人ではやらないこと。人生で大きな出来事が起こったとき、そこから時間が止まってしまうこと。PTSD的な。過去の自分の体験を振り返っていること。若干乖離したり凍り付いたりする。
母と息子はジェンダーの違いで距離ができる。性虐待にはつながるが。母と娘は同姓であるため自己と相手の同一化になる。代理走者とする。娘に嫉妬している。
父と娘の間は、ねじれた感じである。異なるジェンダーは、娘の女性性を否定することがある。「父の娘」というカテゴリーがある。父からのプレッシャーを抱えた娘の共依存関係がある。
本が読めない、授業に集中できない人の背景は、「字を見るとフラッシュバックがある」という乖離減少がある。大事な発見であり、それから本が読めるようになることがある。母から負の遺産を請け負っている。
【メモ】
そのような話の中で思ったのは、包括的性教育でいわれる境界線と同意。ジェネレーションバウンダリーをきちんともつこと。これがやはり大事だと感じた。私自身は、母親研究の深掘りは現状もう必要ないかなと思った。母と私は別人格であることを理解しているし、親を責める気持ちもない。自分の愛着形成に影響があったであろう関係性を知っていくことは、その時々にできればと思う。そういえば、今月末に自分の中の子どもに手紙を書くワークをやる。それもまた知らない分野を知ることになるのかなと思う。
凍り付きの話題がでたが、フラッシュバックと言われるようなもの。私自身、過去の嫌な経験からこのようなことが重度ではないにしてもないことはない。安らげる神経系のつながりを少しずつ増やしていけたらと思っている。実践中。過去のショックな経験は、体の感覚としてどうしても刻まれているんだろうと思う。自分の心と体を大切にしながら、人生楽しむために前向きに生きていきたいと思う。
★我が子には、夫の愚痴を聞かせないように気を付けたい。