畜産の問題は解決不可能(4/4)
Harvard Political Reviewの記事「家畜を処分する方法」からの続きです。全体の概略はこちらをお読みください。
3⃣常識の変革
悪夢のような状態
動物愛護団体のMercy for Animalsが現状を「きわめて非人道的」と批判する一方で、畜産業界の代表者は「悲劇」と表現している。
肉の消費が元に戻っても問題は解決しない。
Covid-19の蔓延を機会に、畜産の問題を掘り下げる必要がある。
①肉の需要が増えて屠殺が再開されれば、殺処分の悲劇が解決するのか?
②家畜の殺処分と屠殺の間に、実質的な違いがあるか?
③コロナウイルスのせいで殺処分される家畜は数百万頭。食肉用に屠殺される家畜は年間500億頭。
人間が動物を扱う方法の根底には常に支配がある。それ以外に一貫した方針はない。Matthew Scullyは「動物が生存に必要な基本的条件は常に、最もくだらない人間の欲望の犠牲になっている」と述べている。
人間による動物愛護は状況次第。基準は軽薄で一貫性がない。
①中国でアリクイを売るのは憎むべき行為。
アメリカで豚が虐待されるのは放置。
②コロナウイルスのせいで殺処分される鶏は可哀想。
通常の養鶏で殺処分されるのは問題なし。
家畜が市場で取引されれば、虐待は正当化されるのか。
現在の常識では、そういうことになっている。
人間の利益になれば、生体としての動物の存在は抹殺され、破壊される。
このような歪んだ考えは修正が可能だが、
それでも人間は、思いやりを優先せず支配を選んでいる。
食肉加工会社の動向には、「製品(利益の対象である生きた動物)」に対する愛情の欠如が表れている。経営が傾いた養豚業界は、子豚を人質のように扱って10億ドルの救済を連邦政府に要求し、補償金が得られなければ殺すと脅迫している。
Covid-19の流行が続く間は、数百万の動物を無用に苦しめて殺すことがないように、可能なことをすべて行う必要がある。
中身のない同情では意味がない。動物保護に関する人間の姿勢が、見ぬふり、聞かぬふりによる矛盾に満ちたものであることが、感染拡大の状況で明らかになっている。
直近の課題としては、連邦政府の補助金を家畜の殺処分に充当せず、コロナウイルスによって困窮している労働者と農家の救済に配分するよう要求する必要がある。
長期的には、この機会を契機に、動物との破壊的な関係を修復する必要がある。そのためには工業畜産を廃止し、政府による救済と今後の補助金を植物性の農産物と食品加工に再配分することが必要だ。こうした構造的な解決策を実施しない限り、動物に対する真の愛情や思いやりを実現することはできない。
コロナウイルスは、人間と共生する動物の立場から物を見る機会を私たちに提供している。事態が収束した時点でまた動物虐待から目を背けるようになったら、人間はまた動物を裏切ることになるだろう。
(原文リンク)
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