4年前、わたしは成人式を欠席した


成人式。20歳のお祝いで人生一度きりの大切な行事。  私は、平成7年生まれの代なので、4年前に成人を迎えている。  


いざ成人式のお知らせが来た時。さあ、どうするか。わたしは、たくさん考える必要があった。  


たくさん悩んで、悩んで、欠席することに決めた。 


理由はたくさんあるから、詳しく書くつもりはないけど、最高な仲間に巡り合ってハッピー地元ライフを送っていたなら、恐らく出席していただろう。


当日は、実家で特に何もしなかった。心なしか親が優しくて、次第に悲しくなってきたのを覚えてる。中学の時仲良くしてくれた友達は、私のこと探してくれたらしい、その子には会いたかったかも。


何よりも心を締め付けたのは親を悲しませたこと。周りの同級生達がキラキラしてるのにその姿を見れないって親不孝だよなって思ってしまって、これが一番しんどかった。  

4年後の今でもこの時期が来る度に、気分が沈む。駅前で振袖を着た女の子を見ると、母の悲しそうな顔を思い出してしまったり、テレビで成人式の話題がでるとチャンネルを変えたくなったりもする。 


わたしだって、親が望んだ"成人式を迎える娘"になりたかった。姉が着てたあの綺麗な紫色の振袖を着て、家族におめでとうって言われて寒空の下で白い息を吐きながら母校に集まって、久々に会う友達と写真撮ったりして、、。 


でも成人式を欠席したことに関して、自分の人生の過程としてはあまり後悔してない

成人式に出席した同じ地元の友達は、「成人式なんて大したことなかったよ、わたしも行かなくても良かったかも。」と言ってくれたし、話を聞く限り心から欠席して良かったと感じた。


社会的地位の格付け合いや、5年越しでルッキズム襲来なんて想像しただけで気が滅入ってしまう


一体何なのか、成人式とは。意味合いを求めることでもないけど、いまいち納得ができてなかった。わたし理論だと、結婚式や入学式など、式と名のつくものの中で最も効力がないのでは?という説もある。


当時学生だったわたしは、成人した自覚なんてこれっぽっちもなかったから、成人したことを心得るための式だと納得しようとしたけど、社会人になって自分で稼いだお金で生活する日常のが、よっぽど成人したことを自覚できる。


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成人式に行かないという選択をする人は一定数いると思うけど、ひとそれぞれに簡単に語りきれないような思いがあったんだと思う。もしかしたらそのマイノリティは、人生に苦い思い出を残したかもしれない。


でもこの先の人生、自分なりの成功ができたら、苦い思い出も成功の過程になると信じている。強く言い切る勇気はないけど、むしろそのフェーズにいなくてはやってられないと思っている。"あまり"とは付け足さなくても、後悔していないとはっきり言い切れるようにがんばりたいな、人生


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もうすぐ24歳になるが、4年越しで振袖を着て後撮りがしたい。やはり親に振袖姿をみせていないことが心残りとしてずっと残っているので、親孝行の一貫としての気持ちからだ。


正直なところ、20歳の女の子達に混じって後撮りなんてとても恥ずかしいけど、この先も続く後悔の芽はできるときに摘んでおきたい。


4年経ったから今だからこそ、後撮りをすることでわたしの気持ちにも何らかの意味が生まれそうな予感がしている。






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