戒厳令下の恐怖を描いた台湾映画「返校 言葉が消えた日」を見た雑感
インディーズゲームの「返校 -Detention-」は、中華圏(台湾?)に根ざしたホラーというので、ちょっと話題になり、どれどれと、任天堂Switchで発売された際にやってみたんですが、フルプライスだったら、「ちょっと厳しいな」とは思っただろうけど、2000円前後なら、「映画一本分」といったところ。
十分お買い得な作品でした。
土着的(台湾的? 中華的?)な表現・演出について言及がされることが多いようですが、「牯嶺街少年殺人事件」でも描かれていた白色テロの時代を、ホラーという器を使って、ユーザーに追体験させるというのは、ゲームという特性が十分に活かされた仕掛けだと思わされました。
小説、漫画、映画(動画)に続いて、物語を語る方法として、ゲームも、ますます発展しているんだなぁと感慨深かったです。
(ちなみに「牯嶺街少年殺人事件」に影響を受けたというのは、制作陣も認めているようです)
さて、世界的な大ヒットを受けて、Netflixでもドラマが配信されているようですが(未見)、先日拝見させてもらったのは、ゲームを原作にした映画。
本国(?)台湾では大ヒットということらしいですが、結論から言うと、「惜しいなぁ」というのが個人的な感想。
単純に、異国情緒のあるホラー表現は目新しかったのです。
また国民党統治の重苦しい雰囲気をホラーに重ねるというのも、十分に効果はあったと思います。
なんだけれども、娯楽作品として「分かり易さ」を目指したせいなのか、もともとのゲームが、「なんだか知らんけど学校で目を覚ましたら、徐々に変な世界に巻き込まれていく」という流れだったのに、映画の方は、冒頭から、「戒厳令下の厳しい言論統制が敷かれていた台湾が舞台です!」と声高な説明的シーンから始まって、ホラー表現たっぷりの異界(悪夢? 精神世界? 地獄の手前?)について、早々に「現実じゃないよ」と宣言しちゃうんで、(僕としては)肩透かしでした。
以降、回想(現実)シーンと異界シーンが交互が差し込まれて、どうして、このような恐ろしい世界(異界)が成立してしまっているのか、その謎が徐々に解明されていくんですが・・・・・・、ゲームで体験しているので、おおよそのネタを知っているからなのか、どうも上手にストーリーが進んでいる気がせず、なんでだろう? と、首を傾げること度々でした。
ゲームにおいては、開示する情報を限定して、「おおよそ、こんなことなんだろうなぁ」とユーザーにうまく想像を掻き立てることに成功していたけど、映画は、親切心からなのだろうけど、あんまりにも直接的に描き過ぎていたような気がしましたが・・・・・・。
でも、「親切心」のおかげで、より、悪夢の元凶が明確になったのは事実で、中華民国(台湾)の旗の前で、バイ教官が横暴に振る舞うのは、戒厳令下の国民党の横暴さをあらわしているだけでなく、古今東西、あらゆる国家において常に内在する権力の凶暴性を表現しているのでしょう、・・・・・・と言うか、国民党による台湾統治の強権性が描かれていても、どうしたって、その先の大陸、中国共産党の統治を思い起こさずにはいられないわけで。
この「返校 -Detention-」を制作して、一気に世界的な注目を浴びることになった台湾のゲームメーカー「赤燭遊戲」は、次作「還願 -Devotion-」において、習近平を揶揄した、いわゆるイースター・エッグを仕込んだおかげで、ゲーム配信サイトのSteamからもban(自ら取り下げたのかな?)されました。
元首が「プニキ」・・・・じゃなくて、「クマのプーさん」に擬せられるというなら、普通の民主国家なら「愛されキャラ」の証拠なのでしょうが、権威主義においては冗談でも許されないわけで、かつての独裁政治の恐ろしさを描いたゲーム作品をつくった会社が、次回作で、現在の独裁政治の恐ろしさを体験することになるというのは、なんとも・・・・・。
おまけ
↑は、任天堂switchでのソフト販売が好調だったので、ゲームソフト会社から発表されたイメージですが、ゲームの重苦しい雰囲気と違った軽いテイストが、なかなか衝撃でした。