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昔は良かったけど、未来はもっと良いかも。変化を恐れず、一歩ずつ。|宗教雑感|

はじめに

こと宗教においては、古き良き時代という懐古趣味が根強くあります。まぁ、それぞれの宗教の正典が古いのだから、その成立年代に心の指針が寄って行くのは、仕方ないのかも知れません。

でも、間違いなく言えるのは、
キリスト教の聖書を含めた、正典を整えた人あるいは神や、その正典に登場する人々は、未来を志向していた、ということです。

キリスト教に限って言えば、終末思想なんか、そうですよね。
今はまだ見えない、未来における、世の終わりを想像していた。

翻って、私たちは、どうでしょうか。
100年後、1000年後の未来を思い描いているでしょうか。

その結末が、世の終わりではなくとも、想像力を持って未来を考え、
今の生き方を整えていく。

そういうのって、大事なんじゃないでしょうか。

時代の変化に合わせて

「若い時の苦労は、買ってでもしろ」
とか
「子育てなんて、あとで振り返ってみると一瞬だし、その頃が一番いい時期だから、喜ばないとダメよ」
とか、
「やまない雨はないから、いつも前向きに生きよう」
とか。

そういう励ましの言葉を聴くことがあります。

個人的には、「若い頃の苦労」が報われた人の経験、「子育てを頑張り通したこと」が喜びとなった人の経験、「人生の梅雨前線はいずれ過ぎ去ること」を知った人の経験というのは、非常に有益な情報として受け止めたいと思っています。

人生の先達から頂く経験談は、いずれも大切です。もしも、自分よりも年上の人たちが、配慮して、遠慮して、自分の経験や思い出を語ることを止めたなら、私たちはこの先を生きる上での重要な指針の一つを失うでしょう。

私たちの生きる現在という時間は、空中に何の支えもなく浮かんでいる風船のようにフワフワしているのではなく、一つ一つ積み上げられた過去の実績の上に成り立っています。

当たり前のことですが、過去があるから、現在がある。そして、その過去を積み上げ、整えてくれたのは、人生の先輩たちです。そういう意味では、年長者を敬い、その話に耳を傾けることは、とても大切なことです。

ただ、その一方で、世界は常に進み、変わりゆくものだ、ということも意識しないといけません。

縄文時代と現在、安土桃山時代と現在、江戸時代と現在。これらの比較は言うまでもなく、大きな違いを示しています。これらの比較においては、十分な年代を経ているので、明確な時代的差異が確認できます。でも、その時代的差異は、ある瞬間に、ドカンと現れるのではなく、1年単位、あるいはもっと短く数か月とか数日単位の変化の積み重ねです。

私たちは、昨日とは少し違う今日を生き、今日とは少し異なる明日を生きます。そうやって、少しずつ変わり、違っていく日々を、あとになってまとめて振り返ってみると、ようやく大きな差異、変化が見て取れるようになります。でも、変化は毎日起こっているということです。

私たちの体もそうらしいですね。10年分くらい、まとめて振り返ってみると、成長や老いを確認できますが、その変化は、日々の小さな新陳代謝の結果です。私たちの血液は約4か月で、細胞は約1年ですべて入れ替わるのだそうです。毎日、その変化に気付くことはできませんけどね。でも、見えないところで、感じることのできないところで、私たちの身体も、私たちの時代も少しずつ、しかし、確実に変わって行っている。

変わることの必要性

だから、私たちの思いや考えも、少しずつ変えていかないといけない。

いや、正確に、丁寧に言うなら、
「今、起こっている出来事を、一緒になって喜んだり、楽しんだりするためには」、私たちの思いや考えも、少しずつ変えていかないといけない、と思います。

なので、逆に、いくら時代が変わろうと、いくら自分の肉体が変化しようと、「一緒になって喜んだり、楽しんだり」という願いがなければ、自分の思いや考えを変える必要はありません。譲れない考え、変えたくない思い、一生懸命に生きればこそ、そうした拘りは出てきます。

どこまでも伝統を重んじ、どこまでも若い頃のように。

変化を受け入れるよりも、過去の実績や成功を優先したい気持ちは、私にもあります。古文書に等しい聖書を読むことが好きな私ですから、時には「昔のように神様がしてくだされば良いのに」と願うことはあります。私は、基本的に未来志向ですけども、昔の教会に憧れることもあります。いいなぁ、って正直思います。

でも、私の好きな教会を次世代に繋いでいくためには、私の理想を頓挫させないためには。
変わり行くことを肯定し、受け入れる感性が必要です。

宗教って、なんか思考停止みたいな印象がありますけど、少なくとも私は、思考停止したくはありません。むしろ、古代から現代社会に至るまでの、様々な思想と知識を学んで、冷静に謙虚に、未来を思い描く感性を身に着けたいと思います。

過去4000年くらいを、ほぼ毎週、俯瞰するキリスト教だからこそ持ち得る、変化と未来を想定した態度を、整えて参りたいと思います。

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手探り牧師
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