家出少女、かつては私も子どもだった。
居場所のない子ども達が家に帰れず街を彷徨っている映像を観ると胸が苦しくなる。
かつて私も彼女たちのように街を彷徨う家出少女だったからだ。
両親が365日家の中で暴れ回るタチの悪い人達で暴力とヒステリーな声を浴び続けた私は笑顔の全くない萎縮した子どもになっていた。
そして中学生から家出を繰り返していたのだ。
食べるものを確保するために多少の悪いこともした。
『今日はどこに泊まればいいのか…』
夕方になると不安でこころがより一層落ち着かなくなってくる。
帰る家がないと一日一日が重かった、長かった。
トラブルになりやすかった。
笑っちゃうくらいポツンと一人残される心細さの中でいるのだ。
母は信用ならなかった。
子どもに愛情がないと物心ついた頃から感じていた。
母に父との喧嘩のダシにされるのは嫌だった。利用されるのは嫌だった。
でも面白いくらいに母の思うままの展開になるのだ。それを止めることはできなかった。
父には何を言っても無駄だった。
それは石や岩に訴えるようなものだ。
話がまともにできる相手ではなかった。
「離婚しないなら、私を精神科病院に入れて欲しい」と言った。
そこでせめて中学を卒業するまで過ごしたかったのだ。
このままこの環境でいればきっと自分が壊れてしまうと思ったのだ。
待ってなどいられなかった。
取り返しがつかなくなる前に…。
その頃私は決して世の中を恨んでいたわけでも大人を信用してなかったわけでもなかった。
大人は大人として尊敬を持っていた。
結局頼りになるのは大人なのだ。
そして自分の未来に期待も持っていた。
この両親から離れることができれば未来はそんな悪いものではないと漠然と思っていたのだ。
もう一度初めからやり直そうと。
きっと大丈夫、大丈夫だ…と。
この子どもの今を乗り越えることができればなんとかなる。
小さなアパートで一人暮らしをしたい。
そこで好きな本を読んだりドラマを観たり遅れをとっている学校の勉強もしたいと思っていた。
高校とか通うのは後でもいいと思っていた。
いつからでも通えばいいと思っていた。
早く大人になりたい。
家を出たい。
その後何だかんだと両親と離れたり一瞬暮らしてもいたが16歳の時他県に家出してその後両親とは完全に離れた。
その時の家出でも同じような小さなトラブルもあったが、何とか生きのびたのだ。
それは紙一重なことだったと思う。
大きな事件や事故に巻き込まれず何とか生き延びたことは偶然だと思う。
たまたま偶然、奇跡的に生き延びただけなのだ。
ちょっとしたことで家出少女は危ないことに巻き込まれやすいところにいる。
それは私も経験したし、いつもいつも怖かった。
逃げ方を知らないくらい幼かったりするのだ。
何十年も両親から離れたことで失ったものもある。
誤魔化したり嘘をつかなきゃいけない場面もたくさんあった。
眠れないくらい悔しい夜もあった。
惨めな気持ちはずっと持ち続けてしまった。
恋に敗れたり仕事で行き詰まると嫌な思いが滝から水が溢れ出るように出てきて止まらなくなるのだ。
自分なんて底の底の人間だ。
だって家がない常識もないタチの悪い家の生まれだから、と半べそになる気持ちがあった(わりと大人になっても)
でもあの時両親と離れたことは間違いではなかったとはっきり言える。
時には離れなきゃいけない相手がいると思う。
逃げなきゃいけない時があると思う。
どんな状況でも何とかなると思う。
もう子どもではなくなったが、あの家出をしていた頃が昨日のように思い出される。
本当に危ない目にあったなと可笑しくなる。
街を彷徨う家出少女たちの映像を見るとかつて自分も同じ場所でいたことを思い出す。
彼女たちに危険がないようにと願う。
と同時に無事乗り切って欲しいとも思う。
彼女たちの
自分の考えと判断で
無事乗り切って欲しいと思う。
様々な理由を抱えて家を出た少女たちに
『一人ではない』と伝えたい。
かつては私も同じ気持ちで街を彷徨っていた。
どこにも行くところがなかった。
やがて私は医療を学び仕事や家を持った。
でも不思議と原点は家出を繰り返していたあの頃のままだ。
そこに私の原風景がある。
歳を重ねても変わらない。
家出少女のまま居場所を今も求めて彷徨っている。
探し続けている。自分の居場所を。
自分の居場所を探しているのはかつての自分だけじゃなく今の自分もそうなのだ。
様々な理由で家を出た少女たち、
一人ではないのだ。
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