古武道と神道、その精神性 その1
※ 今回の記事は自己紹介無料記事月間の一つです。
2月から無料記事と有料記事に分かれます。
肩書きの一つである「古武道家」の説明のために「古武道」について書いてみようと思います。
まず、「古武道とは?」と「歴史的なこと」、「武士道」や「神道との関係」から見ていきましょう。
◎ 現代武道と古武道
現代のスポーツ武道である「剣道」、「柔道」などの元となった、それ以前の「ルールの無い武術」の事を指すと思っていただけたら良いかと思います。
歴史が古いものが多いのですが、「失伝」した流派がほとんどです。
私の肩書きの中に「古武道家」というのがあります。
正確には、「古武術」です。
「道」が付いていません。
「道」がつき出したのは、現代のスポーツ武道である「柔道」「剣道」などと成ってからです。
精神性としては「武士道」を伴いますが、基本的に、実際の戦闘に勝つための技術であり、ルールはありません。
徒手空拳の「柔術」や兵器を使用する「剣術」「居合術」「杖術」「槍」「薙刀」など、流派によって伝承は少し違うと思いますが、「総合武術」であることが多いのです。
スポーツではなく、昔の戦場の「技」というわけですね。
◎ 武家の精神性としての「武士道」の違い。
また、「武士道」については江戸時代の引退した武士のご隠居が書いた「葉隠」とは違います。
あれは「おじいちゃんの愚痴」です。
※ あくまでも私見です。
この時代の武士は、徳川幕府の完全管理下にあり、将軍や幕府に忠誠を誓わせるために「儒教」を重んじ、忠実な家臣を作っていたのです。
日本全国にあった各藩も同じです。
「儒教」は、集団を管理するためには使いやすいのです。
拡大解釈すれば良いだけのことです。
現代の中国でも「儒教」を、共産党政府は推奨しているとか・・・。
本来の戦国時代までの「武士道」は、平安時代末期に大江 匡房によって書かれたという「闘戦経」というテキストが書かれた時代にすでに成立しています。
◎ 江戸時代の有名流派
一般的に「坂本龍馬」が稽古した「北辰一刀流」などが有名ですが、私の家の武術は有名ではありません。
その理由は…
「北辰一刀流」を起こした「千葉周作」師範は、「浪人」です。
どの「藩」にも「仕官」していません。
彼らは、ビジネスとして「道場」を経営していました。
「北辰一刀流」と言う名前も、千葉周作師範が考えた新しい名前です。
武士から、町人、農民まで、お金を出せば習えました。
ビジネスだからです。
江戸時代には、現在分かっているだけでも、その流派数は700派を優に超えていたと言うほど流派は乱立していました。
ビジネスとして成り立ったからです。
しかし、私の一族は浪人ではなかったので、ビジネスとして「武術」を教える必要がありませんでした。
ただ、リスクマネージメントとして「先祖」がその時代、時代で新しい武術を習得して、それを伝承していっただけです。
ですから、「陰流」をずっと継承しているなどと言うものではなく、常に改良されてきました。
時代や兵器が変われば、戦い方も変わりますからね。
平安時代と戦国時代の戦い方は、技術や兵法を含め、全く違います。
◎ 祖父から学んだ古武術「腰之廻」と「活殺術」
「他人の飯も食わねば、武術は本物にはならない」
との「家訓」から、
私も先祖の例に漏れず、近代格闘技も習いましたし、「合気道」の師範六段でもあります。
家には古武術として、柔道の元になった「柔術」も伝承していましたから、結構、「柔道」も「合気道」も得意でした。
※ 「ブラジリアン柔術」ではありません。
日本の柔術です。家伝の柔術の元は、「天神真楊流」と「起倒流」などです。
私の家の古武道は、系図によると神官一族に600年続いています。
昔の伝書や家系図などは、偽書もかなり多く、本当か嘘かは確認しようがありませんが、「技」が残っているというのは事実です。
しかし、一族に伝えれば良かったものですから、流派名もありませんでした。
結局、我が家の古武道は、ビジネスでは無く、「究極のリスクマネージメント」の為にあったと言うことです。
米国に留学していたときに、武術によって命拾いしたことが何度かあります。
しかし拳銃などの火器には、それ相応の対応技術が要りますので、一応、古武術を教える代わりに、特殊部隊OBの方に習っておきました。
特殊部隊は、格闘戦が強いと言うよりは「武器や装備のスペシャリスト」です。
これにもストーリーがあるのですが、長くなるのでまたの機会に。
道場でも、上級者には教えています。
◎ なぜか最近増える古流の伝承者
あまりにもYouTubeで、他の格闘技や武道をやっていた人が突然、
「実は、古武道(剣術)を家で継いでいた」
と言い出す人が増えてきて、同じに思われるのが嫌なので、
「私の武術は先祖代々の家伝です」
とあまり言いたくないのですが、肩書きの信憑性を上げるためには
「書かないといけないかな」と思いました。
YouTubeは、古武道の伝承者だらけです。
最近は何故か、素手でやる空手などの武道や格闘技をやっていた人が、年齢を重ねると、皆、「家が古武道を継いでいた」となって「日本刀」を持ちたがるのです。
肉体の衰えを補いたいという心理が働くようです。
しかし、動きも、技術も、作法も何やら違います。
ほとんどの場合、
「日本刀の刀法」が、まるで違います。
というか、刀法がありません。
日本刀というのは、
空手や中国武術などで使われるヌンチャク(双節根)などのような、「農機具」から発達した武器ではありません。
人を殺傷する以外、使い道がありません。
料理になど全く使えません。
使いにくい事この上ないです。
そして、重要なことは
使い方を分かっていないと、人は斬れないのです。
ですから、刀法や日本刀の特性を知らないと、剣術を習ったことの無い方はもちろん、「剣道」をやっていた方でさえ、「日本刀で斬る」というのは難しく、「戦闘」で役に立ちません。
例えば、剣道は「叩く」ですが、剣術は「斬る」のです。
これは、全く違う技術です。
中には「木刀」しか持っていなくて、「一族が継いできた」と言う方もいますから、これは信憑性が疑問ですし、そもそも昔の「作法」が全くありません。
「宗家の刀」を失っていたとしても、現代では無理もないところもあり、不思議では無いですが、安く手に入る「刃」のついていない「居合刀」ぐらい持ってないと「抜刀」に関してさえ日本刀の本当の操法は出来ません。
私が指導していた古武道部では、全員、現代の剣道連盟の「居合道」の稽古のために作られた刃のない模造刀である「居合刀」を使っていたし、打ち合いの型は、木刀を使っていました。
もっとも、それらを批判する気も、それを邪魔する気も全くありません。
ちょっと、個人的な感想を書いただけです。
それは本当かもしれないし、そうでないかもしれない。
ただし、
武士の兵器である「日本刀」や「槍」「薙刀」などで戦ってみればすぐに分かることです。
しかし、そのようなことは「現代社会」で許されるはずもありませんし、意味がありません。
それに「現代の戦争」で、「日本刀」の出る幕などありません。
あくまで、古武術も健康や精神修養、礼儀作法の為にやれば良いと思います。
「茶道」や「華道」よりも、「身体」を動かせるし、深い身体操法を学べますから。
もっとも、どうせやるのならば実用出来る古武道が良いと思います。
「舞踊」では無いから。
ただ、古武道は失伝して、江戸時代に合った700を越える流派も、ほとんど残っていないというのが現状です。
◎ 剣術と神道
以前も書きましたが、曾祖父まで神職をやっていた神社が京都にあります。
今は、神社庁からの派遣の権禰宜(神職の位です。)が派遣されておられますが、神社の社紋の由来やお奉りしている神様が、何故、大国主なのかなどの「社伝」はお知りになっていません。
文章としての資料が失われたからです。
一族は「出雲系氏族」である上賀茂神社を創建した「賀茂氏」の神職であった為だとも言えますが、元の武術は「香取之太刀」だと伝え聞いています。
「香取神宮」の神である、「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」が何故、出雲系氏族なのかは「口伝」があります。
「古事記」の記述とは違う、「出雲神族」の「口伝」です。
歴史の中で、天皇家の祖先神である「天照大神」の歴史を作るために「古事記」は作られましたから、
藤原氏の施政以来、「神」自体の系統も改変されています。
権力を持ったら「勝ち」ですからね。
これもまた、機会があれば書きたいと思います。
知りたい方は、コメントください。
◎ 剣術、兵法の流儀
「鹿島之太刀」は、詳しい方だと、知っている方もいると思いますが、古武道界では有名な「香取神道流」ではなく、「香取之太刀」というキーワードは聞いたことが無いはずです。
「鹿島之太刀」も現代では「鹿島神流」という名前が有名ですね。
それぞれの流派には元があったと言うことです。
それには、香取神宮の存在意味と由来、鹿島神宮の存在意義と由来が関係しています。
今回、それを書くと文章が長くなるので詳しくは機会があれば書きたいと思います。
読んでみたい方は、コメントくださいね。
とどのつまり、
古い流派には「◯◯神道流」であるとか、「◯◯神流」、例に挙げると、「杖術」の「夢想神道流」の夢想は神から授かったという意味になり、「神道流」とは古い神社⛩️との関係がある事を示唆しています。
詳しくは、また、機会があれば書きたいと思います。
◎ 古流の医術と武術
私の武術は「室町時代」から続いている事になりますが、家伝では「古武術」とは言わず、「腰之廻」や「活殺術」などと伝えられていました。
漢方医学を元にした、「昔の救急救命法」である「活法」や「治療法」も伝えていたので、敵を倒す「殺法」と共に伝えられてきた「武術」です。
ゆえに、「活殺術」といいます。
昔の戦場では、相手を倒すだけで無く、「治療」も出来ないと駄目でしたからね。
「活殺術」に含まれる「漢方医学」から、先祖は江戸時代から明治までは神職でありながら「漢方医」でもありました。
現在の私の職業も、血筋なのかもしれません。
しかし、、明治政府は日本の近代化の政策としての欧米化政策のために、漢方医は明治に入って「一代限り」認めるとし、今後は「西洋医学」でないとダメだとなりました。
韓国とか、台湾には、「漢方医師」の資格はありますが、日本にないのはその為です。
ちょっと、残念ですね。
「その2」に続く。
注:肩書きシリーズで書くことが多すぎて、すぐに「その2」を書くわけではないです。