455.嫌なことには目をつぶる、嫌なことは避ける、嫌なことから離れる、逃げてしまえ。
(16)人生を好転させる方法
how to turn your life around⑯
1. SNSはただの道具、神ではない
最近は新しい神さまが登場したね。
もしかすると、神以上なものかもしれないけれど、それがなければ生きていくことができないというようにまるで麻薬のように、依存し、精神障害のようにそれを手放すことができなくなった。
それはね、まるで神さまから頂いた「お守り」のように、常に身に付けていないと不安に陥ってしまうものなんだ。
もし、紛失し、壊れてしまえば慌てふためくよね。
ちょうど外出して財布に一銭もないと慌ててしまうけれど、その非じゃあない。みんな、錯乱し、放心し、恐怖心の塊と化してしまうんだ。
それだけ大切な情報が中にあるわけだから、みんな慌ててしまう。回線が止まれば世界中がパニックとなり、567所ではないよね、きっとね。
それが、ほとんどの人が利用しているスマホ。
いつのまにか、そのスマホは神さまになった。
スマホはね、まるで自分を守ってくれるお守り(守護神)のようになって、そのお守りはSNS等を通して様々な場所に顔を出す。
スマホを持つ人々はそのSNS情報に振り回され、楽しまされ、依存させられ、支配(コントロール)され、しまいには洗脳までされている。
SNSもお金もただのツール(道具)なのだけど、その使い方を誤れば人を傷つけ、犯罪にまでも発展させてしまう凶器と化した。
まさに、使い方、使う人次第のご縁という道具だね。
2. 自慢ほど不味い味はない
縁って、不思議なもので、簡単につながる場合もあるけれど、すぐさま離れる場合がある。
せっかく出会った縁、やっと出会った縁、求め続けてきた縁というものもあるけれ、どんな縁でも簡単に離れてしまう特性がある。
中でも、「相手を理解しない」「相手のことがわからない」という場合は、すぐさま離れてしまうもの。
それってね、どうしてかというと、相手のことがわからない、理解できないという人は、「自分を知って欲しい」「自分をわかって欲しい」という考え方が中心のため、相手が何を求めて、何を考えているかがわからないからなんだよ。
私たちって、意識している場合と、無意識であってもついつい自分の存在を特別な者と考えてしまうのか、自分の位置を上に置いてしまうのか、「自慢話に花が咲く」よね。
だけど、本人には自覚がないため自慢話だとは感じない。
むしろ、自分の知っている知識、相手の知らないだろうと思う情報を話しているだけだ、と勘違いしてしている。
まず、相手と話す場合、自分が話す時間と、相手の話す時間を比べてみて、それが自分の方があまりにも時間を取っている場合は少しばかり要注意。
自分の話が多すぎれば、当然相手の話は短くなってしまうはずだよね。
話の長い方が相手には何を考えているかは伝わるけれど、相手の話が少ない分、相手の考えがわからなくなる、当たり前のことだけどね。
だから、話している途中には必ず相手にも話す時間をこまめに作ることによって互いの意思疎通がしやすくなることがわかるはずだよ。
人ってね、誰でも自分の得意な話や、好きな話、情報を話したくなる。まあ、それも自然なことだけれど、「相手不在のお喋り」は相手が嫌になってしまう恐れがあるよね。
coucouさん自身もそうだけど、話すという場合の注意点は「相手の顔をよく見る」こと、その顔がつまらなさそうな顔をしているか、あまり真剣に聞いていないようならばすぐさまその場で止めることだよね。
実際はなかなか話の途中で止められないのが普通なのかもしれないけれど、相手にはその話が苦痛の場合もあるからさ。
このように話すことによって相手に苦痛を与え続ければ自然と、自動的に互いの縁は切れてしまう恐れがある。
そう、求められていない自慢ほど不味い味がないものね。
3. 嫌なことには目をつぶる
嫌なことには目をつぶる、嫌なことは避ける、嫌なことから離れる、逃げる。
これもね、別に悪いことじゃあないよね。
嫌なことに目をつぶることができない。
嫌なことを避けることができない、嫌なことから離れ、逃げられない、というのもかなりの問題だけど、それを放置できないと、前号ページで話した「悪い縁」「良い縁」というものは存在していないけれど、自らが「悪い縁」を生み出してしまうんだよ。
だけど、それが自ら作り出した「悪い縁」だとしたら、すぐさま捨て去る、一切かかわらない、という考え方も必要になる気がする。
そう、嫌なことから目をつぶり、かかわりを失くすことも縁との付き合い方のひとつだからさ。
我慢など要らないし、我慢は必要はないんだもの。
4.coucouさんの一元論③
coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~
coucouさんはね、自分でとても酷い親だと思っている。
19歳の頃から事業をはじめて、24歳で結婚。
そして30歳近くで長男、次男、長女と生まれてきてくれた。
だけどね、想い出がない。
coucouさんの想い出って、苦しく辛い仕事の想い出ばかり。
事業はどんどんと拡大し続ける。従業員は増え続ける。
心は毎日思い重圧の中で闘う。
そう、事業を拡大し続ければ終わるまで止まらない機関車のように、ただ走り続ける以外に生きる道はない。
それがたとえ、いずれ線路が途切れることがわかっていたとしても走り続ける以外ない。当然、coucouさんの心の平安もバランスも失い、接待という夜の街に徘徊するようになった。
そう、信じられないことだけれど、寂しくて寂しくてたまらない。
まるで孤独地獄。
誰にも本音を話すことができない。
誰にも甘えることも許されない。
たとえ、甘えようとしたとしても、相手は嫌がる、お金の世界。
もしかすると、人間がこの世を去るときってこんな孤独な無縁地獄に落ちたときに起こるのかもしれない気がする。
想い出がないなんて、信じられる?
おかしいよね、とっても。
もちろん、家族旅行や何かの記念写真などない。
あるのは、仕事を通しての写真ばかり。
特に、お金がないときは悲惨だ。
誰も相手にしてくれないけれど、一番大切な家族だって救うことができない。もっと、酷いのは子どもたちの小遣いすら準備できない。
日々は、借金返済に追われ、お詫び行脚は続く。
家族だって、子どもたちだって、coucouさんが日々何をしているかなんて知らないし、話しても意味がないと思った。
そう、甘えぱなしのcoucouさんは一切の甘える場所を失っていた。
本当に家族たち、兄弟、子どもたちには迷惑をかけ続けたんだ。
だから、みんな逞しく育ったんだね。
だって、子どもたちはcoucouさんに甘えることができないのだもの。
親も子も甘え合うなんて、不可能。
せめてもの救いは、coucouさんのだらしなさ、不甲斐なさ、親としての資格、全部失格。これが彼らを逞しくさせた気がする。
どんな親でも親は親だと信じてきたけれど、駄目な親もいる。
たとえ、そんなダメな親でも、わずか役に立つ気もする。
それが、反面教師っていうんだね。
子どもたちは、それぞれ家庭を持った。
もちろん、coucouさんみたいな事業なんて頭にない。
堅実に、固く、賢く、コツコツと地道に歩いている。
そして、安定したサラリーマンとなって、平和に暮らしているようだ。
これも、反面教師としての良き結果だね。
少しばかり、役に立ったかな~
お~い、coucouさんの子どもたち。
もう、みんなとは会えないのかな…。
まあ、生きていてくれて、
平和に暮らしていて、
coucouさんみたいにならなければ最高だね~
Tennessee Waltz
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