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母親としての私
3姉妹の育児、決めていた事がある
「お姉ちゃんだから…」
「妹なんだから…」という扱いを絶対にしない事。
望んでその順番に生まれてきたわけではない
のどから立場を強要してはいけないと思った。
そして身につけて欲しかった事は
・人の嫌がる事はしない、言わない
・挨拶はちゃんとする この2つ。
やりたいと言った事は可能な事であれば
希望を聞いた。
反抗期はそれなりにあったものの
素直な優しい娘たちに育ってくれたと思う。
いけない事をした時は叱ったし
褒める事も抱きしめる事も積極的にして
私なりの思いは伝えてきた。
成績なんてどうでも良いと思ったので
高校受験も行けるところ…で落ち着いた。
長女は結婚して家庭を待ち次女も独立している。
同じように接してきたつもりでも
三女にはすこし苦労して教えられた事が
沢山ある。
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2歳ごろから感じていた違和感
コミュニケーションが取りずらいと
感じる事が増えてきた。
育児相談に行くと療育を勧められて通い始めた。
アスペルガーの傾向があるものの
グレーゾーンとの事。
この事をたまにしか帰ってこない夫に伝えると
「でも、普通じゃん!問題ないじゃん」
と認めたくないようだった。普通って何?
娘が生きづらくないように早めに
対応してあげたかったので独断で
療育に通い続けた。
幼稚園での集団生活も始まり成長も
感じられたし、お友達も多く楽しく通えていた。
就学前の知能検査で普通学級で大丈夫と
言われたものの支援学級との併用をお願いしたが
様子を見ながら必要になったら…という
校長先生と養護の先生の判断で
普通学級のみでの学校生活が始まった
低学年の頃は問題なく通えていた
それでも女の子同士の複雑な
コミュニケーションはやはり苦手で
お友達は男の子ばかりだった。
自然とゲームで遊ぶことが増えていた。
高学年になってくると行き渋りが始まった。
学校に行かせなくては…
娘の気持ちに寄り添えず休ませたら癖になる
という私の価値観を押し付けた。
時には力づくで布団から引っ張り出したり
学校まで付き添ったり
試行錯誤してなんとか休まず登校させようと
強要していた。遅刻や早退が増えてきた。
それでも送り迎えをしてなんとか休む事は
避けたかった。
そして娘は限界を超えた。5年生にはすでに
私より体格が良くなっていた娘。
「行こう」と差し出した私の手を力一杯振り払い
「お前にうちの気持ちなんかわかんないだろう
もう死ねば良いんでしょ うちなんていない方が良いって思ってるでしょ」と大泣きして叫んだ。
絶望した。この子にこんな思いをさせて
追い詰めていた自分を許せなかった。
自分がなりたくなかった子供の心を傷つける
母親になっていた。只々申し訳なかった。
この日初めて休んだ。
どうして学校へ行って欲しかったかを説明もした
そして辛い思いをさせた事を誤った。
わかってもらえたかはわからない
それからは行ける日は保健室への登校
そして休みたい時は休んだ
少しづつ笑顔が戻っていった。
十人十色、個人を尊重しようなんて
綺麗事を思っていたつもりだったけど
蓋を開けてみれば
学校に行く事が当たり前という集合意識
固定観念にがっつりハマっていた。
三女が教えてくれたこと。
みんなと違っても良い、笑顔で自分らしく
いられる事それが何よりも大切な事。
不登校でもネットで仲良くなったお友達とは
遊びに行ったり外出もしている。
電車にも1人で乗れるし買い物もできる。
それが三女らしさなんだな。
不登校になってから小児精神の通院を始めた
私に言えない悩みも先生には
相談できているようだ。娘の心強い理解者。
そんな三女も今、中学3年生。
中学には一度も登校していない。
週に1日生徒が完全下校した後の夕方に
担任の先生と15分ほど話して帰る。
先日、担当医が勧めてくれた通信制高校の
受験を終えて無事合格し進路が決まった。
オープンキャンパスに何度か行く中で
週3日通学コースを自ら選択した。
三女の未来は明るい。
三女の事で少し母への負の思いが
軽くなったような気がした。
母親だからって完璧じゃないよね