データって本当に削除出来るの?
電車に乗ってて一つ疑問に思った事があります。
それがタイトルにもある「データって本当に削除出来るの」ってことです。
僕が気になったのは、データが消えるのも、ただ一方的に「消える」のではなく、何か消費した代わりに消えるのではないか。という点です。
削除って言われるとなんか跡形もなく消える様を想像するじゃないですか。
でも何かの代わりに消えたなら、消えるんじゃなくて交換じゃん...
実際に気になりませんか?
久しぶりに家から出たら人が多くてしんどくて、瞑想しよ、と思い瞑想していたらこんなことを考えてしまいました。
自分を落ち着けるために瞑想はとても効果的で、僕の場合は、呼吸をしつつ雑念が沸いてきたら宝箱のような形の箱に入れて閉めて、何処かに放り投げる。という感じでやってます。「雑念を箱に入れて投げ飛ばす」イメージを作り出すのがポイント。
これをひたすらやっていたのですが、この放り投げた箱のイメージって、どこかに放り投げても溜まり続けるじゃん。と思いました。
気にしなければ良い話ですが気になってしまったものは仕方ありません。
こう考えた時に、じゃあパソコンとかで行われるデータ削除ってどうなってるんだろう、という考えに行き着きました。
僕の予想は多分、パソコンとかの電子機器の寿命と引き換えにデータを削除する。という等価交換的な扱いなんじゃないかなって思いました。
でもその等価交換も、莫大な数をこなせるし、そもそも使ってる時点で「存在を消耗し続ける」ので「一方的に削除してる風に見える」んじゃないかなぁって。
人間も、生きている時点でそもそも消耗し続けてるから、一方的な旨味なんて存在しないのかもかもなぁ。
なんか話が壮大になってきた。
そんな感じです。
瞑想は頭がスッキリして良い。