この人が親友で良かった、という話
noteを始めたとき、自己紹介的なことを書いた
この記事にも書きましたが、
私は「社会的ひきこもり」というのに当てはまっています。
数年前に、実家を出ない大人のことを「子供部屋おじさん」「子供部屋おばさん」(略して「こどおじ」「こどおば」)という、ネットスラングがあること、その言葉は否定的な意味で使われてることを知ったとき、
けっこう、傷ついた。
ネットで言われてることに当てはまると、こういう気持ちになるのか……。いや、そんなこと言われましても、人にはそれぞれ事情があって……(だんだん声が小さくなる)
43歳で無収入"子供部屋オバサン"の危険な末路 「単発バイトはたまにする」 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
この記事の中で、「こういうことをやっておいたほうがいい」と書かれていて、
「現時点での家計費等(主に支出面)の話し合い」
とあるんだけど、
これ、少し前にやったことがある。
母に、何にどれぐらいお金がかかっているのか知りたい、と訊いたんだけど、それはおばが知ってるから
「私、わからない」と。
だったらおばに訊く、となるんだけど、……訊けない。
私がお金に関することを話すと、おばの機嫌が悪くなるから。
機嫌が悪くなったおばはすごく怖いし。
朝、忙しそうに動いてるおばには「絶対話しかけない」と決めています。
(でも普通のときは、普通に話せるんだけどね。機嫌悪くなって、キレると怖いの。こっちが傷つくようなトゲトゲした言葉が多くなるし)
<無収入の「子供部屋おじさん・おばさん」が生み出される背景にあるもの。それは、「真面目に働いても賃金が上がらず暮らしが楽にならない」「就活の失敗、急な病などで、一度道を外れるとセカンドチャンスがない」といった社会の問題点だ。
このことに政治はもっと目を向け、対策を講じるべきことは言うまでもないが、一朝一夕には解決してはいかないだろう。筆者は切迫している問題を抱えているご家庭こそ、まずは第一段階として、上記のような内容の「家族で生きるための“人生会議”」を折に触れて、実践することを提案したい。>
(<>内、記事から一部引用)
これを読んで、「ときどき思ってたことだなぁ」と思った。
「一回道をはずれると戻れないし、どうしたらいんだろう」とか、
「戻れない私が悪いのか……」と自己嫌悪になって落ちこんだり。
私が「社会」とか「世間」から離れてしまった最初のきっかけは、
20歳前後。
その頃、自分の部屋で、布団の上に横になっていることが多かった。
眠れなかったり、寝ることができても少ししか寝られなかったり、
頭がすごーく重く(おでこの中に、砂が詰まっているような感じ)、
やる気が出ない。
テレビを見ても、笑えなくなっている自分に気づく。
鏡を見たら、自分の眼が、
アニメでトラウマを抱えて心を完全に閉ざした人みたいな、真っ黒な眼になっているような気がした。
短大を休学、そのあと退学。
あまりその頃のことはよくおぼえていない。
(このときからだいぶ経って、精神疾患は「脳が病んでいる状態」ということを知る。
あまりおぼえてないのは、簡単に言うと、頭の機能の具合が悪かったから)
自分の精神状態が良くないのはわかっていた。自傷行為をしていたし。
リスカが始まったのが、確か、高3の終わりぐらいだったような。左手の甲、親指の付け根あたりをカッターで切っていた。最初は傷が浅かったけど、だんだん傷が深くなり、少しずつ切る回数が増えていった。
高3のとき、学校を休みがちになっていた。
だいぶ昔のことなので、うっすらとした記憶しか残ってないのだけど、
その頃、担任の先生に言われて、家族の誰かと大学病院に行った記憶がある。
初めて行く場所で、すごい天井が高くて、入ってすぐ、エスカレーターが2台あった。
私は内科を受診したと思っていた。でもいま思いだしてみると、もしかしたら、あのとき行ったのは児童精神科だったんじゃない? 本当はどうだったのかはわからないが。
状態がかなり悪かったときは、朝起きたらすぐに「あ……死にたい」と思っていた。それから一日中、ずっと気分が落ち込んでいて、上に向くことがなく一日が終わる。
脳内メーカーってあったじゃないですか。
名前を入力すると、赤い文字で「愛」とか、黄色い文字で「金」とか出てくるやつ。
そのときは、黒い文字で「死」だけが脳内にいっぱいあるような感じでした。
で、短大をやめた次の年の4月、久しぶりに親友Tに会おうと電話をかけた。
『007 ダイ・アナザー・デイ』の映画の試写会のチケットが当たって、
ふと、彼のことを思いだした。
映画を観る前か、観た後だったかは忘れたけど、Tとマクドナルドに入った。横並びの席で、そのとき、自分がいま、病んでいることを話した。
これを話したら、嫌がられるかもしれない。友達やめようって思われたりしないかな、と内心不安に思いながら、「どう思われてもいいや」なんて投げやりに思ったりもしていた。
体のあちこち切ってる。たまに死にたいとか思ってしまう。一方的に話していた。
彼は黙って聞いてくれた。
こちらが長々と話をしたあと、彼は言った。
「僕は、坂井さんのお葬式には行きたくないよ」
そう言われて、その後、死にたいという気持ちは徐々に薄れていった。
回復するスピードはすごくゆっくりで、ときどき気分が下がったりしつつ、上下に揺れながら、だんだんと元気になっていった。
その言葉が効いたに違いない。私は、独りじゃないと思えた。
思えば、あのとき彼は、弱っている私に適切な態度をとってくれた。
「坂井さんより辛い思いをしてる人はいるよ」
「死にたいなんて言うなよ。生きたくても生きられない人がいるんだよ?」
などと言わなかった。
精神的に弱っているとき、正論をつきつけられると、逃げ道がふさがれるというか、何も言えなくなってしまう。なぜなら、正しいから。
言われていたら、さらに落ちこんだことだろう。
ありがたい。
彼と会ったあと、少し経ってから、家族に言い、つきそってもらって大学病院に行った。
ただ、それで治った、もういまは何でもない、とも言いきれない。
あのときと違うのは、家族に「いまメンタル的にすごくしんどい」と口に出して伝えられるようになったこと。
私の母は、娘の顔を見ただけで「あ、綾花、いま精神的に調子悪いな」と見抜くことはできない。
ほかの家族も、私が部屋の中でちょっと無気力になっていたり、憂鬱のひどいのになっているとき、気づかなかったりする。
部屋の中にいるから、家族から見れば、よりいっそうわかりづらくなる。
だから口に出さないといけないんだけど、「言葉にして伝える」という基本的なことができなくなる。これも、おそらく、病んでるから(脳の機能が悪くなるから)なんじゃないか、と思っている。
いま、年齢的に体調が揺らぎやすく、
今までなんともなかったのに「えー、私なんでこんなに(自分に対して)否定的になってるの?」「私ってダメだな……」って状態になることが多く、戸惑うことが多い日々。病院が必要になったら、行かないとな、とも思っている。
「病み」なんて言葉が若い人たちのあいだでごく普通に使われるようになってるけど、
それは世間的に精神疾患の人に対して、偏見が薄れ、理解者が増えたからなのか。それとも、そんなことないのか。
たぶん、後者。
みんな、軽い感じで使ってるんじゃないだろうか。ひどい状態になったら、スマホなんて見てられなくなるよ。
どんなに心が丈夫な人でも、人間だもの、弱くなることがある。
歳をとったら体だって衰える。すごく辛いことがあって、心が弱ることもある。
弱くなる、という、ごく普通に誰にでもある事を否定する人たちが増えなきゃいいなと思う。
私の場合、親友Tがいた。それが大きな助けにもなり、支えにもなってる。いまでも。
本当にありがとう。