家族の現実、受け入れるには
最近、祖母のもの忘れがひどい。
ボケるのって(認知症という言葉より、こっちのほうが重くならないので、あえてこういう言い方をしてます)、
年単位ではなく、月単位で悪化していく。スピードが速い。
私は、一応少しだけ知識があるし、しょうがないこととして受け止めている。
けど、おばはそうではないらしく、ときどきすごい怒っているときがある。
例えば、自分のタオルがどこにあるか、わからなくなっている。
間違えて、ぞうきんとして使っているものをタオルとして使ってしまうこともある。
その間違いに気づいたおばが、イライラして、かなりストレートな言い方で祖母に言う。でも、祖母は言われたことを忘れるので、そんなにダメージはないように見える。
ただ、それが聞こえてくる私は、「そんなに言わなくても……」となる。
今朝、早く目が覚めてしまい、リビングにいたら、おばと祖母の話になった。
祖母はまだ寝ている。
「もうダメだよ」
「そうだけどさ、でも本人のいる前で言っちゃダメだよ」
祖母が、自分で自分のことを冗談半分に、「バカになっちゃった」などと言うんだけど、たぶん、そうやって自虐的に言ったことも次の日にはおぼえていない。
おばは話を変え、自分が歳をとったときの不安を口にする。
もし、自分があんな風になってしまったら。そうはなりたくない、とか。
私にはそれが愚痴にしか聞こえないので、聞かされると正直言って「はあ、またか……」となる。
母が亡くなってから、おばは、自分がボケたら……という内容の愚痴を言うようになった気がする。
そういえば、「歳をとると、それによって生じる体や心の変化に対する不安がいろいろと出てくる」って、ヘルパーの勉強したときに習ったような。
私は「聞き流す」ということができない。すごく苦手だ。
以前、このnoteに書くことのほとんどが愚痴になっていた。それだって、何か見聞きしたことを気にしないでいられなくて、ストレスがたまり、noteで吐き出したかったからだと思う。
おばは、もう少し祖母のことをそのまま、しょうがないとあきらめつつ受け入れてほしいんだけど。
それが親だったら、やっぱり受け止め方は違ってくるだろう。
母がもし生きていたら、介護が必要になっていた可能性がある。それほど状態が悪かったし、もし助かったとしても、誰かがつきそったりしなければならなかったかもしれない。
それにかかるお金、時間、サポートする側のストレスなど、大変なことばかりだ。
最近、録画していたドラマ『新宿野戦病院』を見ている。
ドラマに、母一人子一人で、認知症になった母親の面倒を見ている男性が出てくる。ドランクドラゴンの塚地さんが演じる、堀井さんというナース。
その堀井さんが
「(母親が認知症になった、という)現実を受け入れないとね」
というニュアンスのセリフを言うシーンがあったのだけど、
他人事として見られなかったな。
堀井さんの母親も、自分で立って歩くことはできるし、会話もできている。
私は子どもの頃、入院していた病院で、高齢の女性と同じ病室になったことがある。大人になったいまならわかるけど、あの女性は認知症になっていた。
ある日、その女性がベッドの上で排泄してしまい、
病室内にすごい匂いがした。
あ、これは、と匂いで気づいた私。
ナースが女性のベッドの周囲にあるカーテンを閉じ、少ししたら
「きゃあああ! ワダさん、もらしてるー!」
と絶叫。
窓際のベッドにいる私に、左ななめ前のベッドにいるおばさんが
手を左右に振って、窓を開けて!と私に指示。
私は病室の窓を開けた。
この状況に、ちょっとだけ笑っていた。
妹さんも、見た目が70代ぐらいの方で、ほぼ毎日病室に来ていたその女性を見て、子どもながらに「大変そうだな」と感じとっていた。
現実を受け入れる、か。
母が亡くなったことは、だいぶ受け入れたというか、慣れたんですけどね。