人のため自分のため
人のためってどおいうことだろう。いつも思うのは、人のためとおもって、何かを行うとき、邪心が入ることがある。見返りを期待すると言ってもいいだろうか。裏の気持ちが瞬時によぎったり。そんなとき、自分を卑しくおもう。自分のために生きるのが、最初にやることであるとおもうけど、案外自分について正直であるとき、人は関心をしめしてくれたり、人のためになって喜んでもらえたり、うれしい結果になる。そんなときがほんとのことのように感じる。意図があってやるのではなく、純粋にやりたくてやることの率直さ。
やっぱりおもう、正直に生きるのがいい。散々がっつんがっつん壁に頭をぶつけて生きてきたけど、あまり悔いが残るということがないのです。人からみたら、何をそんなにもがいてるの?というとき、わたしは必死で生きてた。どこにも逃げないでいた。人からみたら、ぶざまでも、それでもよかった。
前はもっとカッコつけてガチガチだったから、どうしようもなかった。失敗するのがすごく怖くて怖くて、カッコ悪いとこを見られるのが怖ろしかったんだろう。過剰に着飾ることも保守でしかなかった。中身で勝負してないということ。30代半ばあたりから、少しずつ余計なことが剥がれてきたようにおもう。玉ねぎの皮をむくように、わたしも自然にむいてゆく。気づくとまたむいて、ただいまも、むいてる最中。
この書くという行為も役に立ってくれている。書くことは、メンタルの安定にもつながっている。心の中にあることを外へだしているのだから、素晴らしい効果がある。なんでも出会い、人とも事とも物ともタイミングがある。その時にさっと手を出せるかにかかっている。打算などではなく、直感的に今の自分とかち合うのかどうか。見極めが肝心です。
それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。
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