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御茶ノ水駅周辺(湯島方面) 坂めぐり ゆるてくウォーキング

東京駅からJR中央線で二駅目「御茶ノ水駅」。
多くの教育機関が立ち並ぶアカデミックな街。
江戸時代から栄えてきた歴史あるこの地は、緩やかな坂が張り巡らされた地形が特徴的だ。
秋空の下、江戸の街並みに心を馳せつつ、様々な坂をめぐり、ゆる~くのんびりウォーキングしてみた。
《 約3時間(休憩含む)  8500歩、6.5km 》


①相生坂(湯島一丁目・千代田区外神田二丁目)

外堀通りの一部、御茶ノ水駅から神田川に沿って「昌平橋交差点」に向かって下る坂。
「相生坂」とは一般に対になった坂の名称で、並行していたり、二つに分岐したりする坂のこと。東京都内には、いくつか「相生坂」と名付けられた坂がある。
御茶ノ水の「相生坂」は神田川北岸に位置する坂だが、その対岸にある「淡路坂」(千代田区)も「相生坂」の別称を持つ為、文京区教育委員会が、この二つの対になる坂を「相生坂」と名付けた。

相生坂(外堀通り) 右は湯島聖堂、左は神田川

②昌平坂(湯島一丁目・千代田区外神田二丁目)

「湯島聖堂」の東に位置し、「本郷通り」から「外堀通り(相生坂)」に下る坂。
寛政10年(1798)、「湯島聖堂」再建の際、聖堂の西にあった「昌平坂(旧昌平坂)」が構内に囲い込まれてしまった為、聖堂の東にあった無名の坂を「昌平坂」と呼ぶようになった。


左手が「湯島聖堂」
「湯島聖堂」内
巨大な孔子像がひっそり佇んでいる。

③湯島坂(湯島一丁目)

「中山道」の一部で、「神田明神」と「湯島聖堂」の間を走る道。「本郷通り」を「湯島聖堂前交差点」から「神田明神下交差点」に下っていく坂。
「明神坂」、「本郷坂」の別名がある。
1733年の『江府名勝志』には、既に「ユシマサカ」と明記されていた。

④清水坂(湯島二丁目・三丁目)

「蔵前橋通り」の「清水坂交差点」から北に上る坂。「湯島天満宮」に続く道。
明治以降、この一帯を所有していた清水精機会社が土地を提供して坂道を整備したことが名前の由来。
関東大震災(1923年)後、清水精機会社の創業者・清水廣吉の主導のもと、新妻恋坂とともに、復興事業で坂周辺の地区が整備造作された。その功績を讃えて「清水坂」と名付けられた。


★ 立寄り処❶ 『神田明神 』

敷地内の「文化交流館」内には、カフェ・ショップ(1F)、お手洗い(B1)がある。

写真(上)の左側 ガラス張りの建物が「文化交流館」
神田明神の東側の坂道(階段)
男坂(上)と女坂(下)は並んでいる。
道幅が少々狭いからか、女坂の方が険しく見える。

⑤新妻恋坂(湯島一丁目~三丁目・千代田区外神田二丁目・六丁目)

「蔵前橋通り」を「サッカーミュージアム入口交差点」から「妻恋坂交差点」に下りる広い坂。坂上は「本郷通り」、坂下は「昌平橋通り」。
坂名は、北に並行して走る「妻恋坂」に由来する。

⑥妻恋坂(湯島三丁目・千代田区外神田六丁目)

「清水坂」から、「妻恋神社」の前を東に下りる坂。
坂の名前の由来となった「妻恋神社」は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、その妃である弟橘媛命(をとたちばなひめのみこと)を、「吾妻はや」と恋い慕ったという故事から名付けられた。

⑦三丁目の坂(湯島三丁目)

「妻恋坂」南の階段。「妻恋坂」の途中から「蔵前橋通り」に下りていくと、通りを挟んだ向こう正面に「神田明神裏門」がある。

⑧立爪坂(湯島三丁目)

「妻恋神社」の東に位置する、「妻恋坂」から北に上る坂。一部は階段になっている。
江戸時代、この道はゴミ捨て場であった為、「芥坂(ごみざか)」と呼ばれていた。

⑨ガイ坂(湯島三丁目)

「三組坂」の途中から北に下りていく坂。
「ガイ坂」の名前の由来は不明。「芥坂(ごみざか)」の別名がある。

三組坂(左に伸びる広めの坂)とガイ坂(正面奥に伸びる細めの下り坂)

⑩三組(みくみ)坂 (湯島三丁目)

「昌平橋通り」の「三組坂下交差点」から西へ、「三組坂上交差点」まで登っていく坂。
関東大震災(1923年)後の帝都復興計画によって造られた道。坂下の「昌平橋通り」の整備と一体で開通。
この開通当時の町名「湯島三組町」から名付けられた。
「湯島三組町」とうう町名は、徳川家康死去の元和2年、家康に仕えていた中間・小人・駕籠方の三組の者たちが江戸に戻され、この地に屋敷地を与えられたことに由来する。当初は「駿河町」と呼ばれていたが、元禄9年、商家の許可を得て、「三組町」となった。

⑪三丁目6・12の間の坂(湯島三丁目)

「三組坂」から南に下りる坂。西側はかつて湯島台の崖地だった(現在は「全国家電会館」が建っている)。

⑫東都文京病院北の階段(湯島三丁目)

高台にある「東都文京病院」の北には、二つの階段がある。

★ 立寄り処❷ 『サカノウエカフェ』

三組坂と清水坂の交差地点(「三組坂上交差点」)にある人気カフェ。
店内には、2人掛けテーブルが6卓ほどある。
交通の便が良いとは言えない立地にもかかわらず、客足が絶えない人気店。
狭い店内は、平日でも常時満席状態だった。

⑬二丁目17・18の間の坂(湯島二丁目)

「霊雲寺」前の道を西に下り、「サッカー通り」の「湯島二丁目交差点」まで続く坂。

霊雲寺(右)前の緩やかな坂道

⑭傘谷坂(湯島二丁目・本郷三丁目)

通称「サッカー通り」の一部、「サッカーミュージアム交差点」から北に延びる坂。
坂名は、かつてこの地が「傘谷」と呼ばれたことに由来する。

⑮湯島御霊社北の坂(湯島二丁目)

「湯島御霊社」を西に下ると「傘谷坂」に出る。

⑯湯島御霊社東の坂(湯島二丁目)

「湯島御霊社」正面の鳥居から南に下る坂。坂下は「蔵前橋通り」。

右に湯島御霊社の鳥居がある。

⑰横見坂(湯島二丁目)

「清水坂」の西に並行し、「蔵前橋通り」から上る坂。坂下は「樹木谷坂」の坂下につながる。
坂を上る際、西横に富士山が見えたことが名前の由来とされる。

★ 立寄り処❸ 「おりがみ会館」

見学は無料。
2フロアーの展示スペース。
トイレは1階と3階にある。

⑱樹木谷坂・一丁目8・10の間の坂(湯島一丁目)

「樹木谷坂」は、「本郷通り」から「新妻恋坂(蔵前橋通り)」に下る坂(新妻恋坂の入口には「おりがみ会館」がある)。坂上は「東京科学大学病院(旧東京医科歯科大学病院)」、坂下は「新妻恋坂(蔵前橋通り)」を挟んで「横見坂」の坂下とつながる。
徳川家康が江戸入府をした際、坂下の谷に樹木が繁茂していたことが坂名の由来。「樹木谷」以前には、「地獄谷」と呼ばれていた。

「樹木谷坂」途中から東に下りる坂(一丁目8・10の間の坂)には、事務所やマンションが立ち並ぶ。

⑲ 一丁目8・9の間の坂(湯島一丁目)

「樹木谷坂」の東に並行して、北に下りる坂。小規模事業所が集まる一角。

★ 立寄り処❹ 「御茶ノ水 小川軒」

人気高級菓子「レイズンウイッチ」をお土産に!
カフェ(1F)とレストラン(B1)もある。

⑳順天堂医院・東京科学大学病院の間の坂(湯島一丁目)

湯島一丁目5と本郷三丁目1・3の間にある一方通行の坂。「順天堂大学医学部附属順天堂医院」と「東京科学大学病院(旧東京医科歯科大学病院)」に挟まれた道。坂下は「外堀通り」、坂上は「本郷通り」。
両病院の駐車場出入口はこの道にある。

★ 立寄り処❺ 「東京科学大学病院内のカフェ」

「東京科学大学病院 M&Dタワー」は関係者以外立入禁止だったが、病棟内は一般でも利用可能。
東京科学大学C棟1階のスタバは穴場かもしれない。

今回は御茶ノ水駅周辺のみにとどめたが、お時間があれば、もう少し北上して、「湯島天満宮」周辺の坂めぐりも追加されることをオススメする。


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