小説歩き、コンドル、比較伝統、それと煎餅屋。
春分あたりの平日、久しぶりに東京へ向かう。何年か前は毎週の土曜日に、なんやかんや講義をしたり、打ち合わせをしていた事を思うと、その気力体力がまるで夢であったように感じられる。いまはもう、数ヶ月に一度でも十分なほど、価値刺激受容体が低下してきている。必要なのは外部刺激ではなく、知識とその知識の内面化なのだ、と言い訳をしながら、自らのバイタリティを甘やかす。打ち合わせを終えて、AKと合流するために上野に向かう。合うのも久しぶりである。仙台では未だちらちらと降雪があり、肌寒さに我慢を着込む日々であるが、東京ではコートもいらない心持ちで、嬉しい。待ち合わせまで若干の余裕もあり、最寄りの出口からあえて出ない。とりあえず目についた公園口から、駅を出る。改札を出て、信号向こうに目に付くでかい建物では、袴を着た晴れやかな人々が賑わっていて、よりそうした季節が眩しい。アンビデックス時代、社長にコンテンポラリーの鑑賞をおごって貰いその建物で観劇した記憶も、ふいに思い出す。もう6年ほども昔であり、それも少しは眩しいと言えば眩しい記憶である。桜もぽつぽつ咲いているため、にぎにぎしい公園を行きながら、情景を小説のモノローグ様に頭に浮かべていく「小説歩き」もする。ホバリングするカモメ群、それらに翻弄される中東風のご婦人がた、大行列する一蘭、それを歩道橋下に眺める自分。そうしたものを頭の中で描写しながら、歩く。不忍池を南側に沿って歩き、交差点を右に折れる。湯島ハイツの背面にまわると、びっしりと壁設された室外機にゾッとする。室外機って壁面に直接設置していいんだっけ、とググるも、特に規制はないらしい。その角を道なりに行くとすぐ、最初の目的地である国立近現代建築資料館のある、旧岩崎邸庭園である。
旧岩崎邸での、今回の見どころはふたつ。巨大さに目を引かれる庭園造形物と、ジョサイア・コンドルと大河喜十郎の、顧客満足度をぐいっとつかんだだろう、大胆ながら精緻な仕事の数々である。庭園に入るとすぐ、広々とした庭園の遙か向こうへ視線が吸い込まれ。そこには、規格外であろう石灯篭の巨大さがある。庭の距離感、石灯籠のサイズ感、原ミュージアムアーク中庭に見えるキャンベル缶のそれを連想させる。そうした現代美術然としたサイズの灯篭が、木陰で春日を避けながら、悠悠とたたずんでいる姿が清々しい。灯篭がそうしたサイズ感であるためか、手水鉢、庭石などももれなく大きい。そうしたところに、岩崎家と当時の日本財政界の規模感と悠々たる岩崎家の生活を想像させられる。また、洋館と和館が大胆に接続された建築物の、随所に見られるサービス精神と、オッケーオッケー、やっちゃいましょう。といったような、大胆でいて、しかし、調和のために精緻に調整された、ジョサイアコンドルや大河喜十郎の仕事に随所で感心させられる。洋館の刺繍天井、金唐革紙、見切りにあしらわれたロープなど技も素敵だ。とくに、「菱」に基づくモチーフの効果。もっともこれは、所見で見回っている段階ではそれであるとは気づかない。最後にネタバレをされてから意識に登って来るという、仕込み芸の到達点である。特に三菱財閥家の岩崎一族にとって、こうした仕込みは存分に、顧客としての満足を満たしたに違いない。そもそも、近現代建築資料館で開催されているアイヌ関連の展示を見に来たついで、という閲覧ではあったが、こうした造形と、財閥家の生活や活動から感じられる、当時の日本が置かれた各種主義の黎明期への態度と、そこから確実に現代に繋がっている、悲喜交々織り混ざった精神の流れを感じられたことは、アイヌの展示を見て感じるだろうものと接続していると予感させるものだった。
アイヌ展では、自然的な感覚の喪失から連鎖的に失うこととなる、人間的な感傷についてを特に考えさせられる。伝統や歴史とのつながり(そこに連結する神々への畏敬)の喪失によって、現代人は集団的不感症、または集団的神経症に罹患している、とはフランクルの言説であり、そこここで、さまざまな文脈でさまざまな人が示唆している。展示では、歴史に基づくかたちで生活や制作、生きるということをフォーマット化している場面に多く出会う。そこには、伝統と、今の自分たちとの比較という重要なシステムがはたらいている。わたしたちは、現代において、そうした伝統との比較を失ってしまった。比較とは、(端末内で)身近な相手の日常とのものであり、それはスワイプで巡ることができる類いのものとなっている。手近なものとの比較は、わたしたちの精神をより一層現実的なものに落とし込む。かつて民俗がよりどころにしていた伝統との比較には、そうして自分自身を外部データベースへと接続するような意味合いも含まれていたと想像できる。定期的にアクセスし同期していくことで、集団としての指針も得ながら、個も強化できる。なんならそこには、ある種アップデータも存在していて、インストール出来たかもしれない。そんな想像をする会場には、おそらくテキスタイルインクジェットで出力した生地を使用しているだろうネクタイも展示されていて、それはその構成においてはごく一部分に過ぎず、異色であったが、そうした「比較するためのデータベースとしての歴史」というものが意味を持つのであれば、そうしたありかたは正しい。マニ車、スーパーよさこい、簡略化されたすべての伝統と同じくシステムを内包しているネクタイである。これを形骸化とは呼ばず進化と呼べることは、まだ人の持つ未来性への希望である。
こうした比較伝統とは別に、はたしてすべてのその時代の民たちが、同じように勤勉で敬虔であったか?についても考えが及ぶ。また、明らかに「仕事」という強度では無く、ある側面でその作業それ自体が癒やしや祈りの機能を有していたとしか思えない編み、織り、縫いの類いの制作物たちは、どういう特性をもっていた人々が手がけていたのだろうか、とも感じる。そうした比較文化においての、特性の割合の研究はネット検索する程度では出てきそうにない。これも課題として覚えておきたいポイントであるし、それはすべての過去の分かや伝統のみならず、現在手がけているプロジェクトの強度へのヒントにもなるだろう。
そうして一通り楽しんだ我々は、九段下に移動してとある煎餅屋に寄る。外国人観光客が入り口ではたむろしていて、センベイ?センベイ! と口々に発している。芹沢先生風の(あとで調べると芹沢先生のお弟子筋、鳥居先生であった)文様が染め抜かれたのれんをくぐり、名物である海苔煎餅が敷き詰められた缶をいつか買いたいなあ、と眺める。せめても、と、江戸前、と銘打たれた棒状の煎餅に海苔が巻かれて、20センチほどの高さの円形のパッケージにそれが詰められたセットを買う。包装紙も手元に残したいので、贈答用ですか、という問いに、みじんの動揺も無く、贈答用です。と答える。それに飽き足らず、鳥居先生(こちらは二代目とのこと)作の手ぬぐいの、在庫があればいただけるという張り紙を目聡く見つけ、あのう、とたたみかけてまんまと手に入れる。そうして会計などをしていると、奥のレジにはだいぶご高齢のおじいちゃんが立っていて、どうやらレジ開けを担当している。包装を担当した女性が、そのおじいちゃんに「2000円でーす!」と朗々と発する。しかし一度ではその発声はとどかない、何度か繰り返して、ようやく釣り銭に至る、というぐらい、だいぶおじいちゃんであるが、その胸にある名札には、その煎餅屋の屋号とおなじ名字が記されている。おそらく先代なのではないだろうか。そのお店は、九段下一店舗のみで、他に出店などもしていないそうだ。先代がそうやって、自分の目の黒いうちは、自分の手の届く範囲が明確なうちは、接することの出来るお客さんと相対していたいのだ、というような気持ちの強さを一瞬で想像するにはありあまるほど、だいぶおじいちゃんであった。そこには、たしかに伝統との比較によって態度価値を強く体現している人間の姿があった。