スタニギー再再考の中の、ハリー・ハーロウ
スタニギー(うさぎ)に、よだれがつーっと染み込んでいくのを見る。ぬれそぼった痕跡が広範囲にひろがって、スタニギーは、より重たそうに垂れさがる。この子(スタニギーのこと)も、それはさぞや本望だろう、と考えて、良かったなあと目を細める。スタニギーがよだれを引き受けるという行為は、歴とした仕事である。郵便局員が、郵便物をしっかりとお届けするそれに相当する。だから、よだれを一身に引き受ける彼(スタニギー)の姿は、とても誇らしいし、本来的なあり方だ。
その日はじめてうちに来た男の子は快活に、ものおじせず、ぶーといいながら行ったり来たりする。男の子が動き回るとそれにあわせて、スタニギーが上下に跳ねる。ただでさえ、六重のガーゼとドミット芯の身体構成でしっかりとし、そこに多量のよだれも含ませているので、その上下運動は激しい。その間にも健気に、忙しない様子でよだれを一身に引き受けている。そうした姿が、やはりいっそう誇らしい気持ちがする。
そうして男の子が額に汗し、でっぷりとした重々しいスタニギーを、ぐにっとニギる。ニギるといっても、そのあんぱんのような存在感のある手が、ニギりニギられたのか戸惑うほど同化してもいる。もちもちとしたスタニギーと、もちもちとしたあんぱんとが、一体化しているようにも見える。
ニギるという行為を心理学的に、または発達心理学の歴史に沿う形で考えたいという考え方は、ほかのスタイには無いスタニギーの特色の一つだ。
「心理学の、過去は長いが歴史は短い」
(1908,Abriss der psychologie,Ebbinghaus,H)
というエビングハウスのことばを、このニギるという生理的欲求の歴史に当てはめることもできる。
『ニギニギの、過去は長いが歴史は短い』
ニギニギのそうした歴史を形作ろうと、スタニギーたちは自然主義的に、ときに実証主義的にこどもたちに接し、そうしてよだれを一身に引き受けながら頑張っている。この頑張りがニギニギの耀かしい歴史に、確実に紡がれていくだろうという想像は、親心を抜きにしても大それた分析ではいだろう。(という自信に、大いに親心が、どうしても溢れる。)
子どものころにニギニギによって獲得した感覚なにもかもを、大人になっても持っていられるわけではないことは、言うまでもない。けれども、ニギニギという行為の「外」にあるもの全体、つまり、布の質感や重さ、暖かさ、繊維のしたたり、肌理。そうした全体は大人という外郭の「外」に残るものだと考えられる。そうした「外」を正しく理解するために、今一度、ニギニギの土台となる心理学に目を向けたい。
ハリー・ハーロウ(Harlow,H 1905-1981)は、アメリカを代表する萌芽期の心理学者。社会的孤独に関する実験でよく知られる。20世紀初頭、それまで哲学でしか触れられてこなかった「愛」という問題に、科学という手法で切り込んだ草分けである。ヴントが心理学実験室を創設し、エビングハウスが上記の言葉を残してから数十年、愛の過去は長いが歴史は短い。が、その後ボウルビーら「愛着理論」や清水の「甘え理論」などを巻き込みながら、愛は今に至る。
ハーロウは、子どもの愛情にもいくつかの段階があると述べる。最初の愛情は自己本位的な「器的・反射的愛情」、次に子どもが自ら養育者に触れられるようになると「慰撫と愛着の段階」へ、そして母子分離がはっきりと意識されると「安心と依存の段階」へと進み、ウィニコットの「移行対象」の概念や、安全基地理論などと合流して、子どもは、個を形成しながら発達を進める。
スタニギーは、まず、この「反射的愛情」に寄り添い、さらに「慰撫と愛着の段階」にも積極的に介入していっているところに、まずポイントがあることを忘れないようにしたい。
ハーロウの研究は、現在ではさまざまな観点から批判される。実験動物保護運動の観点と、女性解放運動の観点からである。一部、後年にそうした意図について明確に否定したという記述があるものの、ここでは触れかねる。
ただ、当時それまで支配的であった動機主義的な、ホメオスタシス主義的な、精神分析主義的に捉えられていた愛や接触について、つまりニギニギについて、もっともらしい主体的な立場を確立したことを、スタニギー的には評価したい。
ハーロウの「接触の慰撫」の概念について知り、考えることは、「子どもがスタニギーをニギる」という行為を「わたしたちが見る」ことと相まって、私たちがしまいこんでいる、過去のニギるという行為で獲得した、布の質感や重さ、暖かさ、繊維のしたたり、肌理の感覚、そしてそれに紐づく「丸ごと」を、「外」に引っ張り出してくれるという効果も期待できる。
わたしたちが、こどもとスタニギーの一進一退の攻防を目を細めて眺める感情の裏には、そうした意図も内包されている。
「愛情は今日まで、ほとんど伝説と文学の占有であり、人間の愛について客観的に報告されることはきわめてまれであった。おそらく、愛情などなくとも、心理学者はやっていけるのだろう。そうだとすれば、こうした現状は、まさに心理学者にふさわしい運命といえるかもしれない。ただ、わたしたちはそのような心理学者の仲間にはくみしない。」
(愛のなりたち,1978)
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